手記
クリキ・カールの手記の最初の言葉は意外なものだった。
『私、クリキ・カールがこれからここに綴ることは、長年による研究と調査の報告でもあり、島の人々の純粋な気持ちを踏みにじる戯言だと思っていて欲しい。そのため、もし、ここに綴っていることを読む者がいれば、この手記が非公式な文章であることを了承して頂きたい。それでも、吐き出さずにはいられなかったのは、これ以上を私一人で押さえ込むことに耐え切れなかったからである』
まるで、懺悔するように綴られる言葉に四人は顔を見合わせながら、更に読み進めていくことにした。
『オスクリダ島に住み始めて、すでに十数年が経った。最初にこの島の存在を知ったのは、魔物討伐課での定期巡回で訪れた際だ。初めてこの島に足を踏み入れた時、私は何とも懐かしい気分がしたと共に、解放感を抱いてしまったのだ。つまり、簡潔に言えば、この島を気に入ったということだろう。穏やかで優しい島の人達と美しい海、美味しい料理や気候などに私は強く惹かれたのだ。その後、私はオスクリダ島に勤務する医師として、また教団の人間として、家族と共にこの島へ永住することを決意した。魔物はおらず、人生の中で穏やかで幸せだと思える時間がそれからは待っていた』
そこにはクリキ・カールがオスクリダ島の魅力にとりつかれていたことが楽しげに書かれているように感じた。
彼もまた、オスクリダ島の独特な雰囲気や島人達の人柄に強く惹かれていたらしい。
『しかし、ある日、言い伝えだと思われていた「神隠し」が実際に起きてしまったのである』
「神隠し」という言葉を目にしたアイリス達は一度、身体を仰け反らせた。クリキ・カールが生存していた頃にも「神隠し」が間近で起きたのだという。
それはセプス・アヴァールが島へとやってくるよりも十年以上前のことらしい。
『神隠しにあったのは島の若者が二人。どちらも利発的で明るく、そして年下に慕われる人柄をしていた。そんな彼らがある日突然、島内から姿を消したのだ。手分けして、島中を探したが二人を見つけることは出来なかった。島の人達は昔からの言い伝えである、森の中に入ってはいけないという決まりを守っているため、誰も森へと探しに行こうとする者はいなかった。言い伝えをしっかり守ることに純粋さを感じていたが、それと同時に信じるということに対して、恐ろしさも感じてしまっていた』
丁寧に綴られている文字は震えてはいなかった。恐らく、彼は頭の中で何を書くのかをしっかりと整理してから、この手記を書いていたのだろう。
『そして若者達が行方不明になってから、一週間程が経った頃、島の老人の一人がこう言ったのだ。「彼らは良い人間だった。だから、神様に連れていかれたのだろう」と。その言葉を聞いた時、私はこの島に住み始めて、初めて悪寒というものが身体中に走った気がした。もちろん、この島の言い伝えは知っている。迷える森と呼ばれている場所に住んでいる神様は気に入った者をこちらの世界から切り離し、そして神様の世界へと連れて行く──という伝承だ。ただのおとぎ話だと思っていた。何でも神様に連れて行かれた先の世界は苦しみも悲しみもない、幸福に満ち溢れた世界なのだという。それが現代までずっと、人の言葉だけで伝えられてきているのだ。神隠しは時折、起きているらしく、島の人達は自分達に近しい者がいなくなっても、それほど悲しい表情はしていなかった。いなくなった者達はここではないどこかで幸せに生きていると心から信じているからだ。その光景がまた、私の心に恐怖を生んで行った』
綴られている言葉は、アイリス達が疑問に思っていたことと同じことが書かれていた。
ライカの方にちらりと視線を向けてみたが、彼はただ真剣な表情でクリキ・カールの手記を読み進めているだけだ。杞憂だったかと、アイリスは視線を再び手記の方へと戻した。
『では、神様とは何だ。何故、人を攫うのか。その疑問がその日から生まれてしまった私は探求心を抑えきれなくなっていた。そのためには一つずつ、疑問を解決していかなければならないだろう。私は医師という立場を利用して、島の人達からオスクリダ島や神様に関する話を詳しく訊ねることにした』
アイリスはちらりと黒いノートから青いノートへと視線を向ける。
恐らく、クリキ・カールが乱雑に覚え書きを綴っていた青いノートは、ただ郷土誌を作るために使用していただけではなく、島人達から聞き取りをした際に書き残したものではないだろうかとふと思った。
『まず、一つ目。聞き取りによればこのオスクリダ島は、元は遥か東方の国からの移民が移住してきたことで、小さな組織体として始まったらしい。そのため島の人達の名前は東方寄りの名前だという。そこで私は別の視点に目を向けた。東方からの移民がこの場所へと移住してきた際に、持ち込まれたものは人間や物だけではないと考えた。そう、つまり思想だ。彼らはイグノラント本土の人間と考え方が少し違うのだ。それは物事に関することだけではない。──「神様」に関することももちろん含まれていた』
そこでアイリスは気付いた。クリキ・カールが小さな隠し扉の中に「東方の神々」、「名もなき神」と言った本を隠していた理由として、彼が個人的に東方の神様について調べていたからだろうと。
『東方の国は、主に一つの神を信仰しているイグノラントや周辺諸国とは違って、多神教の国であるらしい。そのため、あらゆるものに神が宿るという、独特な考え方を持っているのだという。物や自然、そして動物、もしくは人間──本当に様々だ。もしかするとそれらの思想を持っているからこそ、オスクリダ島で信仰されている名前のない「神様」は疑われることなく信じられているのではないだろうか。もちろん、これらはあくまで私の憶測だ。信仰は自由であるため、彼らが信じている神様のことを間違っているなどと言う気はない。ただ……私は、知りたかったのだ。島の人達が純粋に信じ続けるものを恐ろしくも、どこか羨ましく感じていたのかもしれない。だからこそ、知りたいと思う欲求に勝てなかったのだ』
知的欲求を抑えきれなかったことを懺悔しつつも、クリキ・カールはオスクリダ島の神について更に調べることにしたらしい。




