島誌
クロイドとジェイドが揃ってから、アイリス達はさっそくクリキ・カールが書いた原稿を見つけたことを話した。
もちろん、隠し扉の中に入っていたノートと本も机の上に並べるように置いている。
原稿やノートの中身を読むことで、これらの本が同じ場所に隠されていた意味を知ることが出来るかもしれないからだ。
「なるほどなぁ……。まさか隠し扉の中に入っていたなんて……。良く見つけたな、ライカ」
「いえ……」
ジェイドはがしがしとライカの頭を大きな手で撫でながら、少し豪快に褒めた。ライカも褒められたことが満更ではないらしく、少しだけ気恥ずかしそうな表情を浮かべている。
「だが、島誌の原稿をわざわざ隠す必要なんて、あったのだろうか……。郷土誌にそれほど機密性があるとは思えないんだが……」
「そうよね……」
本来、郷土誌というものはその地域の歴史や地理、名産、気候といったものが詳しく記載されている。
戦争が多かった時代では、その地域の情報が外に出ないようにと厳密に管理されていたが、現代ではそういった考えは薄れてきており、むしろ後世に残すための記録として郷土誌は作られていた。
それゆえに、クリキ・カールが隠し扉を作ってまで、他人に気付かれないように隠していたことに首を傾げてしまうのだ。
「まぁ、色々考えるよりもまずは読んでみようじゃねぇか」
確かにジェイドの言う通りだろう。アイリスは三人の顔を確認してから、島誌の原稿を一枚ずつ捲っていった。
原稿にはオスクリダ島について、アイリス達がまだ知らなかったことについても詳しく記載されていた。
島の人口や、一年中温暖な気候、島の特産物といった当たり障りのないことが生真面目な文字として綴られている。
だが、それだけではなかった。オスクリダ島は元々が東方の国からの移民が移住してきたことで、島として成り立ったと書かれていた。
それまではイグノラント王国領に属してはいたものの、最初は無人島だったらしい。
東方の国からの移民が移り住んだことで、同じ国でありながらも独特な空気を持った場所となり、島の人間には東方よりの名前が多いということが書かれていた。
これらの記載はイトとクロイドが先日、話していた推測と合致している。
「ライカの名前にも、何か東方の国の言葉の意味が込められているのか?」
東方よりの名前についての記述を読んでいる際、クロイドが少し興味深げにライカへと訊ねると彼は小さく頷き返した。
「はい。……僕が夏生まれだから『来る夏』という意味を込めて、ライカだと聞いていますが、もう一つの意味もあります。えっと、確か……『雷花』という意味も含められているそうです」
「雷花?」
「ええ。……東方の国では彼岸花と言われている花の別称らしいです。島の人達の名前も東方の国の言葉が由来となっているものが多いようでした。島のお年寄り達が言葉遊びとして、たまに言葉や名前の意味を教えてくれたりするんです。と言っても、今の僕達はイグノラント語ばかり使っているので、東方の国の言葉を理解出来る人の方が少なかったですけれど」
「そうなの……」
どこか寂しさを含めた瞳でライカはぽつりと呟く。
「……しかし、原稿を読み進めても当たり障りのないことばかりだな。それが郷土誌というものだろうが」
話の流れを変えるようにジェイドが唸りながら言葉を発した。
「何というか、あえて触れていない気がするんだよなぁ」
「え?」
「ほら、オスクリダ島には昔から神隠しを起こす『神様』という存在が信仰されていたんだろう? 島の誰もが神様を信じていたと聞いているが、それにしてはこの島誌の中には一文字も神様って言葉が出ていないんだよ」
「そういえば……」
アイリスは目を通し終えていた原稿をもう一度、注意深く読み直してみる。だが、目を凝らしながら『神様』という言葉を探しても、一つとして見つけることは出来なかった。
「本当だわ……。一文字も載っていないなんて……」
「郷土誌ならば、その地域で信仰されているものについて触れられていてもおかしくはないと思うけれどな……」
アイリスの疑問に同意するようにクロイドも眉を中央へと寄せている。
「それに『迷える森』についても言及はされていないし、巨石についても書かれていない。……まるで、最初から存在していないように扱われているみたいだ」
自分達が探しているものは見つけられたが、探している事柄についてはこの原稿用紙の中には一切触れられていないようだ。
「なぁ、ライカ。お前や周りの島の人達は神様や迷える森について、話すことはあっても森の中の巨石については何も知らなかったんだよな?」
ジェイドが腕を組みながら、再確認するような口調でライカへと訊ねた。
「そうですね。森の中へと入ったアイリスさん達から初めて聞かされた時に、巨石の存在を知りました。……島の子どもは森の奥に入ってはいけないと小さい頃から言い聞かされてきたので」
どこか遠くを見るような瞳でライカは答える。
「そう、そこが疑問なんだよなぁ」
ライカの答えにジェイドは困ったと言わんばかりに深い溜息を吐いた。
「迷える森に入ってはいけないというのに、神様に攫われることを幸福に思う──という信仰が根付いているんだろう? その部分の発端となるものが一体、何なのかが疑問なんだよ。神様という存在が人間に認識されるためには、信仰され始める最初の由来というものがあると思うんだよなぁ」
「……」
ジェイドの疑問にはアイリスやクロイドも心の中で同感していた。いまだに解き明かされていないオスクリダ島の謎の一つだ。
ライカも今となっては疑問に思っているらしく、ジェイドの言葉に首を縦に振っていた。
「神様が信仰されているのはずっと昔からですが、その由来などは知りませんね……。島のお年寄り達からもそのような話は聞いたことはなかったです」
ライカは机の上に置かれている本を手に取ってから、何気なく眺め始める。それは「東方の神々」という題名の本だった。
著者はイグノラント王国出身の旅作家で、東方の国を旅した際に出会った多くの神々について、著者なりの考えがまとめられている本のようだ。
「……僕達はどうして神様を信じていたのでしょうね。目に見えないのに、どうして……」
小さく呟かれる言葉は弱々しく聞こえ、ライカの瞳は淀んだ凪のように見えていた。
信仰しているものを疑う、その行為は信じているものへの冒涜なのかもしれない。だが、疑問には思わずにはいられなかったのだ。
……まるで、魔法が解けたみたいだわ。
信じるという一つの意思で塗り固められていたものが何かが引き金となって、溶かされてしまい、内側に秘めていたことが前へと出てきてしまったのだろう。
それでも、ライカの悔いるような呟きに正解を答えられる者はいなかった。
「……とりあえず、クリキ・カールが書き残している手記でも眺めてみるか」
本当はライカに対して何か言葉をかけたかったのかもしれないが、クロイドはぐっと耐えたような表情で、机の上の黒いノートへと視線を向ける。
「そうね。読んでみましょうか」
クロイドに頷き返してから、アイリスは黒いノートの最初のページへと手をかける。このノートには何が綴られているのだろうか。
期待と不安を抱きつつ、アイリスはノートのページをゆっくりと捲っていった。




