実験場
それからもアイリス達はジェイド達とともに、地下通路の先へと進んだ。場所によっては横幅と縦幅が2メートル程の狭い通路となっていたが、入口から空気が入ってくるため、それほど圧迫感は感じられなかった。
物質を燃焼させることで二酸化炭素を多く排出させて、通路内の濃度を高くするわけにはいかないため、暗視の魔法だけを使い、ランプや松明は使用しないことにした。
空気は通っているようだが、通路の先が吹き抜けているわけではないらしく、背中から風が流れて来るだけである。
アイリスはちらりとライカへと視線を向ける。彼の表情は先程と変わらないままで、まだ疲れは出ていないようだ。
……それにしても、この長い通路は一体どこまで続いているのかしら。
一直線に続いているものの、その方角は一体どこに向かっているのかは分からない。
方位磁石を見れば、方位くらいは分かるかもしれないが、地上のどの辺りに位置しているのかまでは分からないだろう。
そう思っているうちに、次に開けた場所へと辿り着く。
扉も何もないそこは、一軒家程の広い空間が広がっており、この場所に長期間住むことが出来るのではと思える程に様々な日用品や家具が持ち込まれていた。
古びたソファと机と椅子、そして何かの薬品が入っているのか怪しい瓶と保存食らしき缶詰がずらりと並んでいる棚。
それらは日常的なものだが、同時にそうではないものも置かれていた。
開けた場所に先に入っていったジェイド達はぴたりと足を止めて、固まっている。
「何だ、これ……」
魔的審査課に所属しているラリオンと呼ばれていた青年がぼそりと呟く。誰しもがそう思っただろう。
アイリスもいつのまにか、息をすることを一瞬だけ止めてしまっていた。視界に映った光景があまりにも非現実的だったからだ。
同じ空間の壁沿いには、大きな杭のようなものが打ち込まれており、何かを捕らえておくための鎖が無造作に垂れていた。
杭も鎖も一本ではない。数えることを止めてしまいたくなるほどに、壁には鉄製の杭が並んでいた。
そして鉄製の大きな台が空間の真ん中辺りに置かれており、そこには拘束するための器具も設置されていた。大きな台は所々が何かによって擦れ、引っ掻いたような痕がはっきりと刻まれている。
見ていて胸の奥が焼けるように気分が悪くなってくる。それでも、視線を逸らすことなく、全てを焼き付けるようにアイリスはその光景を見続けた。
「……ここに、島の人達を繋いで……」
誰かが口にした言葉に対して、引き攣ったような息がいくつか漏れ聞こえた。
壁と床には何重と重なっている血痕がまるで塗料のようにその場を彩っていた。
息をすることさえ、忘れてしまいそうな程の──赤。
冷たい岩石の壁を彩っている色を見てしまえば、再びセプスに対する怒りがこみあげてくる。
「酷過ぎる……。人間のやることとは思えねぇ……」
ジェイドが呟く言葉がその場に響いていく。
「こんなの狂っているとしか、言いようがない……」
魔物討伐課のスロイドが眉を寄せながら舌打ちをしたが、その表情は青ざめていた。
「なぁ、セプス・アヴァールって奴は魔的審査課の監察対象の名簿に入っていたか?」
ジェイドが魔的審査課に勤めているポリィとラリオンの方へと振り返るが、二人とも同時に首を横に振る。
「いいえ、初めて聞く名前です。最新の名簿に目を通してきましたが、そのような名前の人間はいませんでした」
「元々、魔力持ちではない人間なので、対象にも入っていなかったのかもしれません。それに魔力を自身の体内に宿すための実験をしている者がいるなんて、今まで聞いたことさえなかったですし……」
「そうか……。とにかく、この部屋からセプス・アヴァールが実験を行った際に使用した道具や薬品と言った証拠となるものを押収するぞ。危険なものが入っている可能性があるから、出来るだけ慎重に行動するように」
「はい」
ジェイドの号令のもと、団員達は証拠を掴むべく、それぞれが自分の役割を自覚して、動き始める。
そこで、アイリスは地上の診療所から押収していたセプスが実験の結果について記していた書類のことを思い出し、クロイドの方へと振り返った。
クロイドも同じように思っていたらしく、彼はズボンのポケットへと突っ込んでいた書類の束を取り出してから、ジェイドへと手渡した。
「ジェイドさん。こちらを見て頂けますか」
「ん? 何だ?」
「診療所に隠されていた、セプスが行った実験による過程や結果が書かれた記録書です。……島の人達の体内にどの薬を投与し、どのような結果になったのかが綴られています」
クロイドの簡潔な説明にジェイドは大きく目を見開いてから、手渡された資料に目を素早く通してく。
鋭い瞳で一枚、一枚を上から下まで見通しては、次の書類へと捲っていく。次第にジェイドの額には青筋が浮かんできて、歯ぎしりするような音が口から零れていた。
しかし、感情を制御する術を身につけているのか、ジェイドは一度、目を瞑り、深呼吸をしてから再び瞼を開いた。
「……一年で、これほどの人間を殺してきたと言うのか」
感情を押し殺して溢された言葉は、深く悔いるようなものだった。
「本当に恐ろしいものは魔物ではなく、強欲な人間だったってことかよ……」
「ジェイドさん……」
イトがどのような言葉をかければ良いのか分からずに、瞳を迷わせていた。その場にいる者達も同じように無言のままだ。
魔物討伐課ではオスクリダ島へと年に一度、定期巡回をするべく訪れるのだが、恐らくジェイドはそのことを後悔しているのだろう。
魔物が住んでいないと言われているオスクリダ島では、島人を危険にさらすことなど何も起きないと慢心していたのかもしれない。
本来ならば、何も起きなくて当り前だ。
許され難いことも恐ろしいことも、何もなかった場所に入ってきたのは、異物だと気付かれないように笑みを張りつけ、白衣を纏った悪魔だ。
アイリス達とて、オスクリダ島にはエディク・サラマンをただ探しに来ただけだった。
だが、待っていたのは、もはや惨劇とも呼べる「神隠し」を利用したおぞましい真実だったのだから。




