頼りない自分
セプスが実験をするための場所として使用していた島の地下通路へと向かうこととなったが、その入口である診療所はほとんど半壊と言っていい程に、瓦礫と化していた。
恐らく昨晩、地下に収容されていた魔物達が入口となる場所から一気に出て来たことで、周囲を巻き込んでは破壊していったのかもしれない。
数日前までは人が訪れていた場所だったというのに、今では廃屋のようになってしまっている診療所をアイリスはどこか冷めたような瞳で見つめていた。
それは恐らく、全てが隠れ蓑として使われていたことに、どうしようもない怒りを感じているからだろう。
だが、今は調査を優先しなければならないため、私情を胸の奥へと押し留めておかなければならない。
「──うおっ……。本当に深い場所だな。洞窟みたいだ。時間の流れと共に、自然に掘られたようには思えないし……。人工的なものなのか?」
「通りやすいように、倒れている棚や机は一度、外に出しておきますか」
「フィオル、暗視の魔法を全員にかけておいてくれ」
「了解」
応援として来てくれた魔物討伐課と魔的審査課の団員達が、慣れたように診療所の地下へと続く通路に入っていく中、アイリスは複雑な思いでいた。
装備は昨日と同じ、長剣と短剣だ。今はクロイドから暗視の魔法をかけてもらっているので、周囲は明るく見渡せるようになっている。
それでも今は、昨晩よりも知覚が戻ってきているため、鼻をかすめていく匂いに顔を顰めそうになっていた。
……血の匂いが深い。
ライカ自身がこの場所へと同行したいと願っていたが、地下の通路は空気が淀んでおり、血の匂いと獣の匂いが充満していたため、半魔物化によって知覚が敏感になっている彼にとっては、苦痛とも呼べる場所ではないだろうかと内心、心苦しく思っていた。
出来るならば、長時間滞在させたくはない。
「……改めて見ると、人工的に掘ったような通路にしか思えないな」
アイリスの隣を歩いているクロイドが周囲の壁を見渡しながら、不思議がるように呟く。
「でも、セプスがわざわざ掘ったとは思えないのよね。ブリティオンのローレンス家や組織の魔法使いに頼んで掘らせたのかもと思ったけれど、それにしては随分と古い気がして……。ほら、所々に苔や草が生えているでしょう?」
「確かに……。だが、どのくらい前に掘られたものなのか、何のために掘られた場所なのかを知る手がかりがない以上、どうしようもないな」
「そうね……」
何も分からないまま、進んで行くことに不安がないわけではないが、それでも知らなければならないことが先に待っているため、弱音を吐くことは出来なかった。
・・・・・・・・・・
暫く進んで行けば、昨夜、アイリスとイトが捕まっていた鉄格子が並んでいる場所へと辿り着く。
ジェイドを含めた応援要員の団員達は遥か遠くまで並んでいる大きな鉄格子をその瞳に映しては、それぞれが絶句しているようだった。
それまではイトからこの島で起きた事実を頭で理解してはいても、感情までは追い付かなかったのかもしれない。
「……まるで、収容所じゃねぇか」
額に汗を浮かせたまま、ジェイドがぼそりと呟く。
視線に広がるのは、同じ色の無数の鉄格子と足元を生々しく彩っている血痕。
血と獣の匂いは強烈で、その中に薬品のような匂いと例の中毒症状を起こす植物の匂いが混じっていた。
「これを一人の人間がやっていたとは思えないな……」
「……実験に関してはセプス・アヴァールが一人でやっていたようです。ですが、彼の背後には……ブリティオン王国の魔法使いであるエレディテル・ローレンスが関わっていると証言していました」
「エレディテル・ローレンス……。名前だけなら知っているが……」
さすがに魔物討伐課の副課長であるジェイドもエレディテルの存在は認識していたらしい。
だが、何故ブリティオン王国が関わって来るのだろうと思っているらしく、首を捻りつつも鉄格子の中に入っては顔を顰めていた。
「うーん……。俺の頭の容量を超えてしまいそうなことがこの件には埋もれている気がしてならないな。……あ、ポリィ! お前、採取する道具を持って来ていただろう? その道具で周辺に落ちている魔物の毛を収集しておいてくれ。あとで、魔法課で調べてもらおう」
「分かりました」
ポリィと呼ばれた魔的審査課の団員はすぐに鞄の中から、毛抜きの道具を取り出して、周辺に散らばっている魔物の毛を収集し始める。
その中にはリッカが落としたと思われる赤い羽根も含まれており、それに気付いたライカがどこか複雑そうな表情で眺めていた。
「ライカ……」
アイリスが声をかけるとライカはすぐに首を振る。
「いいんです。……僕は大丈夫ですから」
そう答えてから、ライカはジェイドへと一歩近づくように前へと出た。
「ジェイドさん。セプス先生の実験について詳しく調べられる際は、どうぞ僕の身体や血を使って下さい。その方が、色々と分かることもあるでしょうから」
「だが、それは……」
「協力は惜しまないつもりです。……あのようなことが二度と起きないためにも」
ライカのはっきりとした言葉にジェイドは苦いものを食べたような表情で、小さく唸っていた。
「……そのことについても、また後で話をさせてもらおう」
「……はい」
どうやらジェイドの独断による即決は避けたらしい。彼はあくまでも人道的にライカを保護したいと思っているようだ。
……ライカを教団で保護したとして、彼の居場所を作るためには私の力はあまりにも小さすぎる。
そうなるとやはり、発言力や権限と言ったものを持っているブレアに協力してもらうしかないだろう。
もちろん、ライカの面倒は自分が見るつもりだが、力を持っている者の協力がなければ、ライカの居場所は作ることが出来ないと察していた。
ブレアに負担をかけてしまうようで申し訳ないが、頭を何度だって下げてでも、頼むつもりだ。
ライカには落ち着く場所が必要となるので、半魔物化を抑えられるようになるまで、教団の外に出す事は賢明ではないだろう。
保護というのは、ライカの身柄を守るだけではなく、彼の心も守らなければ意味がないのだ。
アイリスは迷うことなく凛としているライカの横顔を覗いては、両拳に力を入れていく。自身の頼りなさを歯がゆく思っては、奥歯を噛み締めていた。




