可哀想な人
「……可哀想な人だね」
ぽつりとライカから零されたのは怒りでも憎しみでもなく、ただそれが真実だと告げるような呟きだった。
ライカがそのようなことを発するとは思っていなかったのか、眼球として残っているセプスの瞳が少しだけ見開かれていた。
「あなたは本当に愚かで、ずるくて、最低で……そして、可哀想な人だ」
「……は? 僕が……可哀想だって?」
心外だと言わんばかりにセプスが呆けたような声色で呟く。それを肯定するようにライカは頷き返した。
「うん、可哀想だ。……あなたの行いを諫めてくれる人も、怒ってくれる人もいない。自分が何でも正しいって思っているなんて、本当に可哀想だ。それってつまり、誰もあなたの傍に居てはくれなかったってことでしょう? ……あなたの方こそ、学校で何を学んでいたの、セプス先生?」
ライカの大人びた冷めた物言いに対して、セプスは身体を小刻みに震わせているように見えた。
罵っているわけでも、嘲笑しているわけでもない。ただ淡々とライカは心の中で思ったことをセプスに告げているのだろう。
「あなたは僕達のことを愚かだと言う。確かに、流されて受け入れるのは楽だ。それは否定しない。でも、自分が愚かなことをしているって分かっていないセプス先生も十分過ぎる程に愚かだと僕は思うよ」
ライカはアイリスが先程、心の中で呟いた言葉を迷うことなくセプスへと向けて吐いた。
代弁などではなく、ライカが本心から告げている言葉であるはずなのに、どうして別の誰かの姿が重なってしまうのだろうか。
憐れみを込めた言葉をライカが呟いた瞬間、セプスの瞳に怒りの感情が含まれた炎が宿る。
「このっ……。僕のことを知ったような口を利きやがって……!」
セプスにしては珍しく、口調が荒々しいものへと変わった。感情を抑えることが出来ずに前面に出ているのだろう。
「分かるよ。だって、気付くことを教えてくれたのはあなただよ、セプス先生。……愚かな人間はね、自分が愚かだということは気付かないのに、他人が愚かだと思う部分には気付けるんだ。……あなたは愚かで可哀想な人だ。……本当に」
静かに向けられる言葉に対して、セプスは人間のものではなくなってしまった顔を更に歪めていた。穴という穴から血が噴き出ているにも関わらず、彼は感情をむき出しにしていく。
もしかすると、感情を制御する器官がすでに壊れてしまっているのかもしれない。
「ふざけるな……! この、僕が愚かなわけがないっ! だって、僕は……僕は何でも出来る。欲しいと思えば、何でも手に入る。望むままに、何もかも全て!」
まるで子どもの癇癪のようにセプスは言葉を捲くし立てていく。それでも、リッカの両脚によって身体を屋根上へと押さえつけられているため、動くことは出来ずに抗おうともがくだけだ。
「僕は優秀だ。分からないことなどない。知らないことなどない。だって、長年の望みだった、魔力だって手に入れた。魔法だって使える! ほら! 僕には欠点だと思える部分は一つもないじゃないか!」
自分自身を肯定していくことしか出来ないセプスの発言を耳に入れて、ライカやリッカはどのように思っているだろうか。
……子どもが駄々をこねているみたいだわ。
自分は悪くないと訴えているように見えて、呆れを通り越して憐れみの感情さえ浮かんでくる。ライカの言葉の通り、本当に可哀想な人に見えていた。
「僕は愚かじゃない! 愚かで無知なのはお前達の方だ! 僕が愚かなわけが──」
そこで突然、セプスの言葉が途切れた。いや、閉ざされたという方が正しいのだろう。
これは現実だと分かっているのに、認識することに時間がかかってしまう。
セプスの喉へと鋭い嘴を突き刺すように立てていたのは──リッカだった。
何度も、何度も。
喉を潰し、声が出せないようにと彼女は嘴を突き刺していく。呼吸するための器官を失ったセプスはすでに絶命していた。
もう声一つすら、発することが出来ない状態だと分かっているはずなのに、リッカは攻撃を止める気はない。
ただ、セプスの全てを壊してしまいたいとリッカは細めている瞳から感情をむき出しにしていた。
リッカはとうとう、セプスを殺したのだ。
「姉さん! 待って、もういいよ……」
リッカの行動を止めるべく、ライカがはっきりとした声を張った。
「もう、良いんだ。終わったよ。……セプス先生は死んだ。だから、もう……全部、終わったんだ」
「……」
諭すような静かな言葉をかけつつ、セプスの血によって染まっている屋根上をライカは歩く。
「これ以上……。殺さなくて、いいんだよ」
本当ならば、この姉弟が血に触れることなどなかったはずだ。彼らは元々、荒事や血生臭いことから、かけ離れた場所で生きていたからだ。
セプスは島人達のことを、変化を求めない愚か者だと罵っていたが、自分はそうは思わない。
……だって、島の人達はあんなにも幸せそうだったもの。
幸せのあり方は人それぞれだ。揺らぐことのない和やかな平穏こそが、この島の人達にとってはかけがえのない、優しく温かな幸せだったのだ。
それだけを求めて、生きていたはずだ。そう言えるのは、彼らが「神様」を信じて、安らかな幸せを願う程に純粋な心を持った人達だったからだ。
だが、もう今は誰もいない。穏やかな笑顔も賑やかな声も、向けられた優しさも全て、消え去ってしまった。
何もかもが真っ赤に染まってしまったのだから。
そして、自分も鮮血をもたらした者の一人なのだと改めて自覚しては、アイリスは唇を噛んでいた。




