背中合わせ
アイリスは長剣で空気を切り裂くように、一度だけ薙いだ。鋭い音がその場に響いてから、空気中へと混ざるように消えていく。
自分の剣筋は鈍ってなんかいない。この手は壊すためにあるというのならば、そのためだけに振るう覚悟はすでに出来ている。
「あいつは……セプス・アヴァールは私が倒す」
「アイリス……」
地を這うようなアイリスの低い呟きに対して、クロイドがどこか戸惑ったような声で返してくる。
彼の前では、鮮血に染まりたくはないというのは本当だ。だが、それよりも勝るものが目の前にある以上、切り裂かなければならないことは分かっていた。
オスクリダ島で行われている愚行の元凶であるセプス・アヴァールを倒さなければ、この荒ぶる気持ちが治まることはないのだろう。
「絶対に、許さない。あいつだけは……あいつだけは──絶対に殺さなければ」
怒りに侵食されたアイリスが沈んだ瞳のまま、そう告げると左腕をクロイドによって強く握られる。
自分が知っている熱に込められた意味に気付いたアイリスは一瞬だけ、その温かさを以前、感じた際のことを思い出してしまう。
はっとしたように振り返ると、何かを決意したような真剣な表情をしているクロイドの顔がそこにはった。
「……俺も一緒に戦う」
「……」
その言葉に含められているのは決意だけではないはずだ。空気が、魂が、彼の全てが自分へと真っすぐ訴えて来ていた。
──アイリス一人に背負わせたりはしない。
声として発していないのに、彼の瞳を見れば何を思っているのか分かってしまったのだ。
「君がセプス・アヴァールに対して、剣を振り下ろすというならば……。その覚悟と責任を俺も半分背負う。……だから、君は君自身を保ったまま──折れない意思を持ったまま、剣を握って欲しい」
黒い瞳は揺れてはいなかった。静けさだけが含まれているわけではない。黒い瞳に映るのは自分だけで、その視線は何かを思い出させてくれるように熱く感じられたのだ。
どんな時も、彼は自分だけを見ている。その視線と感情、言葉にどれほど救われているか、彼はきっと気付いていないのだろう。
アイリスは短く息を吐いてから、剣を構えていた腕を一度、下ろした。
「……分かったわ。あなたには、私の傍に居てもらう」
「ああ。……イト達なら、大丈夫だ。リアンが魔法を使えるし、それに普段は二人で組んでいるんだから、そっちの方がやりやすいだろう」
クロイドに軽く頷き返してから、アイリスは運動場の上で剣を振るっているイト達を見下ろす。
二人とも、敵となるものの数が多い状況に慣れているらしく、ライカを守りつつも淡々と魔物に斬りかかっていた。向こうは任せておいても大丈夫だろう。
アイリスはセプスへと剣先を向け、クロイドは魔具をはめている手を向けて、いつでも攻撃できるように構える。
背中をお互いに預け合うように隣に立っては、呼吸を揃えるように息をした。
セプスに対する怒りが消えたわけではないが、それでもクロイドが隣に立っているだけで、先程と比べれば幾分か落ち着きを取り戻した気がする。
自分はすぐに突っ走ってしまうため、抑制となる存在が傍にいる方が冷静さを保てるようだ。
クロイドが二人を囲っていた結界を解く。合わせているわけではないのに、お互いがこれから何をするのか、言葉にしなくても意思疎通出来るのは相棒故だからだろうか。
「ふむ、二対一か。まぁ、いいだろう」
余裕があるのか、セプスはクロイドの風の魔法が消滅したことを確認してから結界を解いた。
睨み合うのは数秒だった。先に攻撃を仕掛けてきたのはセプスで、右手だけになった手をアイリス達へと向けて来る。
「……冷酷な業火」
セプスの指先で炎の塊が少しずつ形成され、やがてそれは躊躇われることなくアイリス達へと放たれる。
「っ! ──逆転せよ!」
クロイドが咄嗟に発したのは反転させるための魔法だ。それは向きだけではなく、相手の魔法を自分のものへと変えることも出来る中級魔法でもある。
セプスが放った炎の塊はクロイドの魔法によってすぐさま空中で停止し、向きを反転させて、今度はセプスの方へと勢いづけて動き始める。
「ほう!」
クロイドの魔法に感心しているのか、セプスからは喜びに近い声が上がっていた。
だが、セプスの間合いに入る直前でクロイドは次の呪文を重ねるように唱えた。
「破裂する炎華!」
炎の塊はセプスの目前で、まるで爆発が起きたのではと思える程に、一瞬にして鮮やかな色を広範囲に広げていく。
「ちっ……!」
セプスが右手で顔を隠すように覆った瞬間、熱風を切り裂いたのはアイリスの一撃だった。
「はぁっ──!」
クロイドの魔法でセプスの視界を奪い、その隙を突いたアイリスの攻撃はセプスと対峙してから、初めて彼の身体に届くものとなった。
アイリスが薙いだ剣先がセプスの横腹に、一直線に赤い線を描いてく。
「くっ……!」
しかし、思っていたよりも間合いの中に入っていなかったため、与えた傷は浅いものとなっていた。
アイリスはそのまま追撃しようとしたが、セプスが体勢を素早く持ち直し、右手をかざしてきたため、屋根上を蹴ってから攻撃を避けることにした。
アイリスが空中へと逃げるように跳んでいると、アイリスを捉え損ねたセプスの攻撃がクロイドへと向けられていた。
「曇りなき氷刃!」
セプスの魔法によって形成されたのは氷の刃だ。その刃先はクロイドへと真っすぐ向けられていたが、宙に浮いているアイリスの剣が届くよりも先に放たれる。
だが、対抗するための魔法をクロイドは瞬時に放った。
「冷酷な業火」
クロイドの指先からは息を吐くよりも早く、大きな炎の塊が放たれる。
氷と炎。それはどちらの威力が強いのか、瞬時に察していた。
クロイドとセプスの攻撃が重なった瞬間、一瞬にして消え去ったのは氷の刃だった。蒸発するように氷の刃が溶け切ったことで、燃やす対象を失った炎の塊はそのままセプスへと向かって行く。
「くそっ……」
セプスはすぐさま結界を魔法で形成したが、迫りくる熱波の衝撃によって、相殺するように結界と炎の塊は同時に消えていた。
「──はぁぁっ!」
そこへ空中へと跳んでいたアイリスが渾身の力を込めた一撃をセプスに向けて、迷うことなく振り下ろした。




