愚心
アイリスは襲い掛かって来る魔物を剣で薙ぎつつ、セプスに向けて顔を上げる。
彼は校舎の上で、まるで闘技場の催し物を見ている客のように楽しそうな顔をしていた。他人事だと言わんばかりに嘲りを含めたまま、彼は歪んだ笑みを浮かべ続けている。
「ああ、アイリス・ローレンスを殺してはいけないと言っているのに、困った子達だ……」
そう零しつつも、魔物による攻撃を止めさせる気はないらしい。何もかもを楽しんでいるだけ──そんな表情や態度、言葉全てに激しい感情が沸き起こっていく。
「本当に愚かだな。……信じるだけしか能のない奴は……生きていても無様で浅ましいだけだ。憐れに思う価値さえ無い。その身体を価値あるものへと昇華した僕に感謝して欲しいくらいだね」
「っ……!」
セプスがまるで自分が行ったことは正しく、褒められるべきことだという意味を含めた言葉を口にした瞬間、アイリスの中で渦巻いていた彼に対する怒りが一瞬にして破裂してしまう。
身勝手で、傲慢で、そして愚かな心を持っているのは彼の方だと言うのに、セプスはまるで島人達が全て悪いと言わんばかりにその言葉を言い切ったのだ。
いや、きっと、彼は自分の心が他人からどのように思われているのか、深く考えてはいないのだろう。セプスが持っている世界の中には彼しかおらず、他人の存在など認識していないのだから。
自己中心的、そう呼べる人間には今まで何度か会ったことはあるがセプスと比べれば、他の人間は全て小さな子どもの我儘だったようにさえ思えて来る。
長剣の柄を握る手に自然と力が込められていたが、意識はしていなかった。気付いた時には、アイリスは風を切り裂くように自らの足をセプスの方へと走らせていた。
自分へと迫って来る魔物の牙を流れる水のように交わしつつ、アイリスは一直線にセプスへと向かって行く。
校舎を目前にして、アイリスは地面を強く蹴り上げてから、屋根に届く高さまで跳躍した。
屋根上へと着地したアイリスは勢いを留めることなく、セプスへと突っ込んでいく。彼はどこか余裕ありげな笑みを浮かべてアイリスへと右手をかざしていた。恐らく、魔法を放つ気なのだろう。
「はぁっ──!」
セプスから魔法を繰り出される前に、アイリスは一気に間合いを詰めてから、長剣で一閃を薙ぐ。
仕留めようとするアイリスの気迫に圧されることがないまま、セプスはまるで舞踏会で踊っている際の足取りのように、どこか優雅な動きでアイリスの剣を避けている。
戦闘慣れしているようには思えなかったが、恐らく魔物化していることもあり、ライカと同様に身体能力が上がっているのだろう。
アイリスが追撃するようにセプスへと攻撃を続けていれば、いつのまにか校舎の屋根の端まで追い込んでいた。
そのことにセプスも気付いたのか、意外だと思ったらしく少し目を丸くしているようだ。
「おっと、危ないな」
背後をちらりと見ては、これ以上後ろへ下がる場所がないことを確認しているセプスの隙を突いて、アイリスは一振りに全ての力を込めてから弾丸の如く、セプスに向かって突き刺していく。
「っ!」
しかし、セプスはアイリスの剣先が身体に触れる直前で、背中に生えている両翼を羽ばたかせて、宙へと浮かぶように避けたのである。
狙うべき獲物が突如として消えたことで、勢いづけていたアイリスの身体はそのまま、足を踏み止ませることなく、屋根の上から落ちていく。
……このっ!
アイリスは一回転しながらも地面の上へと無事に着地する。自分が履いている靴が「青嵐の靴」で無かったならば、怪我どころでは済まなかっただろう。
この靴のおかげで、自分の身体能力は上がっているようなものだ。
「アイリス!」
クロイドが自分に向けて、呼びかけて来るが、アイリスは振り返らないまま叫び返した。
「クロイド、援護を!」
クロイドの返事を聞かないまま、アイリスは青嵐の靴の踵を三回叩き、地面を蹴り上げた。
校舎よりも遥か高くまで飛んだアイリスは、屋根の上に立っているセプスに向けて剣を振り下ろす。だが、アイリスを見上げるセプスは何故か余裕な笑みを浮かべたままだった。
「ああ、確か魔法は……こう使うんだよね? ──束縛せよ」
「っ!?」
アイリスへと放たれたのは、動きを止める束縛魔法だった。
途端に空中で動きを止められたアイリスはそのままの状態で屋根の上へと上手く着地することも出来ないまま、突撃するように落下する。
「っ、ぁ……!」
身体が屋根上へと叩きつけられるように落ちたことで、アイリスの身体には鈍い痛みが全体に広がっていく。そういえば、防御魔法をかけてもらっていなかったが、今更思い出しても遅いだけだ。
魔法としては中級魔法に分類される対人対物に効く束縛魔法をどうして初めて魔力を手にしたセプスがいとも簡単に使うことが出来たのか、という考えが頭に浮かんだが、その考えを巡らせる暇などなかった。
「ふむ、なるほど。呪文は知っているが、このように魔法を使うのか。どれ、他にも──」
動きを止められたまま、這い上がることさえも出来ないアイリスに向けてセプスが次なる魔法を放とうとした時だ。
「──風斬り!」
瞬間、校舎の下から屋根上へと吹きつけるように風の刃がセプスを襲ったのである。
「っ! この……」
セプスは事前にクロイドによって魔法が放たれることを察知していたらしく、無詠唱のまま、盾となる障壁をその場へ作ってから防いでいた。
その間にもクロイドは、彼が履いている青嵐の靴の踵を三回鳴らし、地面を強く蹴り上げた。
クロイドの身体は靴の力によって校舎の屋根上まで跳び上がり、すぐさまアイリスの傍へと着地する。
「アイリス、大丈夫か!?」
クロイドは目を大きく見開き、倒れたまま動くことの出来ないアイリスのもとへと駆け寄って来る。
そして、セプスからの攻撃が及ばないようにと一度、結界魔法で自分達を囲ってから、魔具の手袋をはめている手をかざしてくる。
「解放せよ!」
クロイドは迷うことなくアイリスに向かって、束縛魔法と相反する魔法をかけてくれた。それまで捕らわれたように動けなかった身体は呪文一つで、あっという間に自由が戻って来る。
「ありがとう、クロイド……」
アイリスはお礼を言いつつも、セプスを見据えたまま、ゆっくりと立ち上がる。吐かれる息は熱くも冷めたものだった。
抱く感情は留まることなく更に燃え上がっていく。
セプス・アヴァールを野放しにしてはならない。
彼は今、ここで仕留めなければいつか必ず、オスクリダ島で起こした愚行と同じようなことをこの先も起こすに違いないと確信していたからだ。




