自己陶酔
明らかに異様とも呼べる姿へと変わっているセプスは彼自身の今の姿を受け入れているらしく、満たされているような笑みを浮かべながら、校舎の屋根上からアイリス達を見下ろしてくる。
「──ああ、ここに居たんだね。全く、本当に手間をかけさせてくれるね、君達は」
「セプス・アヴァール……!」
月明りでよく見える姿はまるで物語に登場する悪魔のようにも見えた。背中に黒い両翼を生やし、浮かんでいる姿は通常の人間とはあまりにもかけ離れている存在のように思えたからだ。
だが、彼の蛮行そのものは悪魔のようだと言える行為だろう。
……半分、魔物化しているけれど、自意識はしっかりしている。
セプスが彼自身の身体に投与していたのは、島人達を実験台として使ったことで作り上げた薬だ。
魔力を宿す核を己の体内に生み出したその薬は魔物の血と魔力が材料として使われているため、必ずしも魔物化しないというわけではないらしい。
それでも彼は甘い汁を吸うように、成功例だけをその身体に注入していた。
「……どうやら、追っ手は全て殺してしまったようだね。彼らはブリティオンへと出荷する貴重な商品でもあるんだぞ?」
「……」
その場に居る誰もが、セプスの一言に対して怒りを抱いているのは顔をわざわざ見なくても、感じられる気配だけで分かっていた。
「全く、爆発は起こすし、診療所の隠し扉はめちゃくちゃにするし……。本当に君達、教団の人間は厄介事しか持ってこないね」
「あなたに言われたくないわ。……人の命をただの材料としか思っていないような下劣で、卑怯で、傲慢なあなただけには」
アイリスは長剣の刃先をセプスへと向けつつ、いつでも突撃出来るようにと青嵐の靴の踵を三回、鳴らしておいた。
「ははっ……。何を言われても、痛くも痒くもないね。……僕は自分がやりたいことを好きなようにやっているだけだ。それ以下でもそれ以上でもない」
「……それが傲慢だと言っているのよ」
地を這うような声でアイリスは吐き捨てる。
きっと、セプスには何を言っても響かないし、届かないのだろう。それは彼の本性を知った時から、すでに分かり切ったことだ。セプスは彼の世界だけしか見えていないのだ。
その上で、手を伸ばして引き寄せたものは全て自分のものとでも勘違いしているのだろう。自らの行動が愚かなものであると気付かないセプスに対して、アイリスは思わず舌打ちしそうになっていた。
「しかし、せっかく念願の魔力を手に入れたんだ。……試しに使ってみたいね」
「……」
セプスから降りかかって来る不気味な笑みを見て、嫌な予感がしたアイリス達は咄嗟に戦闘態勢へと入った。
「アイリス・ローレンス。魔力の無い君には分からないだろうね」
そう言って、セプスはアイリスに向けて嘲りの笑みを浮かべつつ、見下すように言葉を零す。
「自らの体内から、熱く激しい力が沸き立つこの感覚……。それを外に出したくてたまらないんだよ……! 本当に素晴らしい……魔力という力はどうしてこれほどまでに複雑で、突き刺さってくるものなのだろう……! ああ、何とも言えない気持ち良さだよ……」
少しだけ両翼を羽ばたかせては空中に浮かびつつ、セプスは魔力を持っていないアイリスを嘲笑する対象のように見つめてくる。
未知だったものを手に入れたことで、自分が優位に立っていると思っているらしく、どうやら己に酔っているようだ。
だが、そこで突然、糸が切れたようにセプスはふっと表情を冷めたものへと戻した。
「魔力を得るという目的を果たした今では、全てに用はない。……そう、この島で行っていた僕の実験が世に露見されるわけにはいかないからね。ちゃんと、後片づけはしておかないと」
セプスは冷めた表情のまま、右手を左から右へと横に一線を描くように薙いだ。
しかし、今の行動によって魔法が使われたのかどうかは魔力の無いアイリスには分からない。
それでも魔力を持っているクロイド達は何かを感じ取ったのか、彼らの視線はセプスが浮いている場所ではない方向へと向けられていた。
「……まだ、いるようですね」
イトがぽつりと零した言葉の中から意味を察したアイリスは長剣の柄を握りしめる手に力を込めていた。
「君達には元々、用はないからね。……生かしておいても邪魔なだけだ。それに教団に僕の存在を知られると更に面倒になるだろうし」
口封じのために殺すとセプスは暗に告げていた。一欠けらとして躊躇いや憐れみなどの感情は彼の心の中には残っていないのだろう。分かり合うことなど出来ないし、したくはない。
耳を澄ましてみれば、次第に地響きと唸り声が自分達の方へと近付くように響いて来る。その音を作り出すものが一体何なのか、アイリス達はすでに分かっていた。
「本当はブリティオンのローレンス家に渡すつもりだったんだが、必要経費だとでも思っておくよ。……君達はあまりにも深く知り過ぎた。言わば、僕にとっての脅威だからな」
セプスが呼び出したものがアイリス達の前へと姿を現す。学校の運動場へとなだれ込むように入ってきたのは、様々な姿をした魔物だった。
その数は先程、アイリス達へと牙を向けていた数よりも遥かに多い。彼が地下通路の鉄格子の中で、「保管」していた全ての魔物達なのだろう。
その中に魔物へと化したリッカの姿がないか、素早く視線を巡らせて探してみたが見つけることは出来ず、アイリスは密かに安堵の溜息を吐き出していた。
「さぁ、行くんだ。彼らに死を与えるために」
セプスの号令に従うように、アイリス達を取り囲みながら唸っている魔物は一斉に地面を蹴り上げた。
「っ!」
だが、魔物達が牙を向ける先はアイリスとイトに集中してきたのである。
アイリスは素早く地面を蹴り上げて、宙に浮かびつつ、魔物の頭上から串刺しにするように長剣を真っすぐと魔物の頭に向けて振り下ろした。
生々しい感触を感じても、今はその一つ一つに思考を巡らせる暇などなかった。敵として確実に仕留めていっても、その死に対して悔いる時間もないまま、次々と魔物が襲って来るからだ。
……どうして私とイトを集中的に狙って来るのかしら。
そういえば、自分とイトには服用すれば依存してしまう植物の汁をセプスによって無理矢理に身体にかけられていたことを思い出す。そのため、服には匂いがしっかりと染み込んでしまっているようだ。
……島の人達は日頃からセプス・アヴァールに、あの薬を体内へと投与されていたならば。
だからこそ、まだ体内から依存している薬が抜けきっておらず、無意識のうちに匂いを辿ってしまうのだろう。それこそがセプスによって投与された薬の異常性が顕著に表れているように思えた。




