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伸ばした手

 

「……ライカ」


 アイリスは穏やかな声で、涙を零し続けるライカの名前を呼ぶ。アイリスの声に反応するようにライカはゆっくりと頭を上げた。


「あなたの言う通り、生きることは辛いことだわ」


「……」


「続いているのは茨の道ばかりで、簡単に登れる坂道なんて、一本もないもの。でもね……」


 ライカの両肩を掴んでいた手を離してから、アイリスは右手でライカの頭をゆっくりと撫でていく。リッカと同じようには出来ないが、それでも彼には伝わるはずだ。


「でも、私はあなたに……生きて欲しいの。リッカの願いとは別で、私はライカに生きて欲しい。そう思うのは、あまりにも傲慢で自分勝手だって思われるかもしれないわ。だけれど、私はあなたに……生きて欲しい」


 静かに言葉を紡ぐ声に耳を貸してくれているのか、ライカの瞳はまた大きく揺れていた。その純粋な瞳をこれ以上、汚したくはなかった。


「アイリスさん……」


「だから、これからは……私が傍に居るわ。リッカの代わりにはなれないけれど……。あなたが進む道がどうか、少しでも緩やかになるように……その手伝いをしたいの」


 息を飲んだライカの表情は、最初に会った頃と同じように純粋なものへと変わっていた。信じていたものを疑わなかった、そんな子どもらしい表情が目の前に確かにあった。


「──俺も、その手伝いをしよう」


 アイリスに続くように、クロイドによる穏やかな声が響いた。彼はライカの背中に自分の右手をそっと添えていた。


「自分に出来ることは少ないが、それでもライカが前を向けるように……」


 どこか頼れる兄らしい微笑みを浮かべながら、クロイドはライカへと真っすぐ告げた。偽りがない言葉だとライカは受け取ったのか、更に瞳の中に浮かぶ波を揺らめかせる。


「それでは、私も」


 イトがライカへと一歩近付いて、彼の右肩にそっと手を載せてから、彼女にしては珍しい穏やかな笑みを浮かべていた。


「ライカがこの先も笑えるように、手を貸します。まぁ、私は不器用なので、出来る範囲は限られていますが……」


「それじゃあ、俺も!」


 最後に明るい声で楽しそうに告げたのはリアンだ。彼はそのまま、ライカの身体を背後から包み込むようにぎゅっと抱きしめる。


「難しいことは苦手だから教えられないけれど、でもライカが一緒に遊びたい時や、隣に居て欲しい時、ずっと傍にいるよ。俺、こう見えて面倒見はいいからね!」


 にっこりと笑いながらそう告げるリアンに対して、隣に立っているイトがわざとらしい溜息を吐く。


「そう言って、子守りを任せられた時に孤児院の子ども達と同じように泥遊びをして、シスター長に叱られていたのはどこの誰でしたっけ」


「うぐっ……。そ、それは昔の話だろう!」


 どうやら、二人の間で通じる昔話の一つらしい。イトに指摘されたリアンは苦いものを食べたような表情で反論していた。


「あと普通、面倒見が良い人は自分で言わないと思いますよ。そういう言葉は客観的に見られた際に言われる言葉なので」


「どうして、イトは俺にそんなに冷たくするんだよっ!」


 いつものやり取りを始めるイトとリアンの様子をライカは先程とは違って、どこか呆けたような表情で、口を開けたまま見ていた。


「ねぇ、ライカ」


 アイリスは名前を呼び、再びライカに向けて穏やかに微笑む。ライカははっとしたように我に返ってから、アイリスの顔を真っすぐと見つめて来た。


「私達は……あなたの味方だから。だから、そのことを踏まえた上で……この先をどう進むか……決めて欲しいの。あなたの道は……あなたのものだから」


「っ……。……アイリスさんも皆さんも……どうして、そんなにずるいことを言うんですか」


 ライカの表情は途端に歪み、瞳からは純粋と言える涙がぽろぽろと零れ落ちていく。その雫の美しさと儚さが、リッカが流したものと重なって見えた。


「僕なんて……。僕が、生きていても……」


「生きることに、確かな理由なんて、持っていなくてもいいのよ」


 頭を撫でつつも、アイリスは優しい声色で言葉をかける。


「あなたが、生きたいと……。前に進みたいと思うだけで、それだけで良いの。……それだけが……あの子の……リッカの願いだったんだもの」


「……っ。うっ……ぁあ……」


 ライカの頬に流れていた涙はやがて、大きな粒へと変わっていき、その涙を覆い隠すようにライカは獣と化した手で顔を覆った。


「うあぁっ……。あぁっ……。──生きたかった、のに……っ。一緒に……いたかった、だけなのにっ……」


 堰が切れたように、ライカは涙を零していく。ライカの願いはもう、叶うことはないものだった。


 両親が消え、姉までも目の前で失った彼はこれから、生きるという戦いが始まるのだ。生きることの方が余程、地獄だと感じることだってあるかもしれない。


 だが、小さく震えるこの身体の熱が、再び穏やかになるまで──。

 そして、ライカが一人で立てるように、支えていきたかった。


 顔を覆っていたライカの手はアイリスの方へと伸ばされる。セプスの左肩を容赦なく切り裂いたはずの右手はあまりにも小さくて、細くて、頼る術を求める赤子の手のように見えた。

 アイリスは無言で、その手をぎゅっと握りしめる。


「僕を……」


 そして彼は選択した。選ぶのは生か、もしくは死か。

 だが、アイリスはライカがどちらを選択するのは、もう分かっていた。


「僕を、どうか……。連れて行って、下さい」


 涙を流しながらも、零した答えに対して、その場にいないはずのリッカがライカに向けて微笑んだような気配がすぐ近くで感じられた気がした。

    

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