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望んだもの

 

 柔らかい表情も声も、どこかに置いてきてしまったように、目の前に立っているライカはあまりにも変わって見えていた。


「……お願いします。皆さんは魔物を……退治する力をお持ちなんですよね。それならばどうか、皆を……島の皆を殺していただけませんか」


 子どものお願いなどとそのような生易しいものではなかった。冷たく、鋭く、全てを拒絶するように、ライカは淡々と言葉を告げる。

 

 ライカの言葉を耳に入れて、反応を返せずにいたアイリスがはっと我に返ってから、彼の細い両肩を強く掴んだ。


「ライカ……。あなたは今、何を言っているのかその意味を分かっているの?」


 叱るような問い方ではなく、諭すような声色でアイリスは訊ねた。


「ええ、分かっています。……一度、魔物になった人はもう、二度と人間の姿に戻ることは出来ないんですよね」


「……」


「それならば……早く殺してあげた方が、皆にとっても幸せだと思うんです」


 アイリスの後ろで誰かがひゅっと引き攣った息をした。沈黙は続くことなく、ライカによって再び破られる。


「だって、あんなに……あんなに醜い姿になって、自分を忘れて……生きていかなければならないなら……死んで、さっさと神様のもとに行った方が良いに決まっています」


「ライカ……」


「……ああ、そうか。神様はいないんですよね……。ははっ……そうだったんだ……。最初から……何もなかったのに、ずっと信じていたんだ……。本当……馬鹿みたいだ」


 そう言って、ライカはどこか自嘲気味に乾いた笑いを零してから、顔を一度伏せる。まるでライカの中の何かに対する引き金が引かれたのか、彼の言動は切り替わっているように感じられた。


「ここにはもう、何もないんですよ。全部……セプス先生が壊しちゃったんだから……。まぁ、でも、『神様』に縛られて、あの人に騙された僕達こそ愚かだったのかもしれませんけれどね」


 彼がただ、大人びているのではないとアイリスが気付いた時にはもう、遅かった。ライカはすでに、何かを決めているように感じたからだ。


「そう、神様がどこにもいないならば……。救ってくれる人が、頼れる人が……いないなら……」


 アイリスが掴んでいるライカの細い肩は次第に震え始める。それでも、彼の表情に変わりは見られないと思っていた時だった。


 ライカは一筋の涙をその頬にゆっくりと流したのである。静かに涙を流した時、彼は穏やかに微笑んだ。

 その表情はリッカが魔物へと姿を変える前に見せたものと同じように思えて、アイリスは目を細めてしまう。確かに同じだったのに、抱えている感情は別物だったからだ。


「大好きな人が……僕にとっての神様が傍にいないなら……僕はここで、死んでしまいたい」


「っ……!」


「ねぇ、僕は……魔物になっているんですよね? この手と足……ほら、耳だって人間のものには見えないでしょう? これは魔物になっている証拠なんですよね? それなら、僕を殺してくれませんか。皆のように完全に自意識を失くしてしまう前に……。僕が僕として……。リッカ・スウェンの弟としていられる間に、どうか……」


 ライカがそれ以上の言葉を綴る前に、アイリスは彼の小さな身体を抱きしめていた。強く、ただ強く抱きしめて、自分の熱を与えるように包み込んでいた。


 この小さな身体は自身の終わりを求めている。それでも、アイリスはライカが死を選ぶことを彼に許したくはなかった。


「アイリスさん。僕を……」


 アイリスの腕の中で、もがくようにライカが息を吐き、言葉を続けようとしたものをアイリスはわざと遮った。


「──許さない」


 言葉に込めたのは冷たさではない。それはきっと、ライカに対する懺悔に近い感情なのだろう。


「私は……あなたが自分で死ぬことを選ぶ決意を許すことは出来ないの。だって……」


 アイリスはライカを抱きしめる腕を緩めてから、彼の視線に合わせるように腰を落とした。彼にはまだ、子どもでいて欲しいと思ってしまったからだ。


「だって、あなたのことを頼むって……リッカが……最期に願ったことを守らなければならないの」


「っ……」


「あなたには生きて欲しいって……。だから、ライカのお願いは聞けないわ」


「そんなの……。そんなの、ずるいです」


 無表情だった顔が子どもらしく、くしゃりと崩れていく。


「僕はもう、嫌だ……。だって、もう……僕の隣には誰もいないのに……。こんなにも悲しくて、寂しいのに……どうして生きなきゃいけないんだっ……」


 青く光る瞳から涙をぽろぽろと零しながら、ライカは言葉を吐き捨てた。彼が抱く感情と近いものを持っていたアイリスは胸の奥に矢が刺さったような感覚が響いていく。


 家族を魔犬によって失った頃のアイリスと今のライカが重なって、仕方がないのだ。

 彼は今、孤独という感情をどうしていいのか分からずにいるのだろう。その気持ちを知っているアイリスはライカが流す涙を拭うことが出来ずにいた。


「こんなに辛いのに、僕は一人で生きていくことなんて、出来ないよ……! それなら、皆と一緒に……姉さんと一緒に死んでしまいたいっ……!」


 訴えて来る声は舌足らずであるにも関わらず、胸を潰しそうな程に切なく聞こえていた。耐えられないからこそ、彼は死を選びたいと思っているのだ。


 ライカが抱くものを自分は知っている。その気持ちを抱えて、生きることがどれほど辛いことかを身を持って理解している。だが──。


 アイリスはふと視線を上へと向けた。こちらに視線を向けているクロイドは気遣うような表情でアイリスとライカを見つめていた。


 ……今のライカは、少し前までの私と同じだわ。


 クロイドと出会うまで、自分は余所見をすることを許さず、真っすぐに尖った刃のように突き進んでいた。それこそが、自分が選んだ道だと信じて疑わなかったからだ。


 家族を食い殺した魔犬をいつか、倒す。復讐だけを糧にして生きていた自分に、初めて光となる存在が自分を包み込み、優しさを降り注いでくれた気がした。

 孤独に戦っていた自分に、クロイドは自分も隣に立って、戦いたいと言ってくれた。その言葉が自分にどれだけの光を与えてくれだろうか。


 ……私はクロイドに出会えたから。


 クロイドの存在が自分の生きるための希望となっている。


 だから、もし偶然が重なって、いつかライカにとっての希望が見つかることが出来ればと願わずにはいられなかった。

 きっと、そう思うのは身勝手で傲慢過ぎる願いなのだろう。


 だが、リッカが傍に居れば、そう告げる気がしてならなかったのだ。

 ライカのことを何よりも良く理解していて、そして無償の愛情を捧げ続けたのは、間違いなくリッカなのだから。

   

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