揺れる選択
ふと、何かを思い出したのかクロイドがアイリスの方へと向き直って来る。
「アイリス、念のためにと思って、君の長剣を持ってきたんだが」
「あっ……」
クロイドはベルトに差していたアイリスの「純白の飛剣」を抜いてから、手渡してきた。スウェン家に置いたままにしていたので、ここまでわざわざ持って来てくれたらしい。
「ありがとう、クロイド」
クロイドから渡された長剣を自分の腰へと下げてからアイリスは慣れた重さに改めて安堵の溜息を吐く。
やはり、自分の得物がすぐ傍にあると妙な安心感があるようだ。
イトもリアンが持って来てくれた剣を受け取り、腰へと下げていた。これでお互いの武器が揃ったので、イトがこれ以上魔法を使う機会はないはずだとアイリスは密かに安堵した。
「まだ、先程張った結界は破られていないがここに長居しない方がいいだろう。もっと広い場所へ移るか、もしくは家の中に立てこもって、結界を多重で張って耐えるしか方法はないだろうが……」
「まぁ、戦うとすれば広い場所の方が助かりますが……」
イトはそう言って、言葉を濁した。戦う相手は魔物だがその魔物は、元は島人達だ。そのことを分かっているため、言葉をはっきりと告げないようにしたのだろう。
それでも意味を受け取ったリアンは少しだけ渋い顔をした。
「……なぁ、追って来ている魔物って、元は島の人達なんだろう? ……どうにか人間に戻す方法はないのかな?」
「……実験によって一度、魔物になってしまった人間は元の姿には戻らないとセプス・アヴァールは言っていました。現に追って来ている彼らは人間としての自我を失い、私達を敵だと認識しているようでした……」
リアンに対してイトは表情を少し歪めながら、彼女自身が見聞きしたものを言葉として伝えた。
「そんな……。そんなの、酷い……。酷過ぎるよ……!」
リアンは悔しそうに拳を握りしめてから、歯ぎしりをする。誰しも同じようなことを抱いているのだろう。だが、言葉にしてしまえば、何かが崩れてしまいそうな気がして、吐き出すことが出来ずにいた。
隣に立っているクロイドがイトの言葉に対して、少しだけ肩を震わせたように見えたのはきっと、魔物と化した島人達と己を重ねているからかもしれない。
彼もいつか、その身が魔犬へと変わるかもしれないということを恐れているのだろう。その呪いを解く方法は未だに見つかっていないため、日々生きるだけで「その日」へと着実に近づいているのは確かだ。
「……戦うべきか、戦わずに魔物討伐課からの助っ人を待つか──。どちらにしても、持久戦ですね」
イトの言葉の前者に同意が出来ないでいるのは、きっと自分の心の中にまだ知らない希望がどこかにあるのではと甘い考えを持っているからかもしれない。
今は魔物へと化した島人達を人間へと姿を戻す方法は見つかっていない。それでも、いつか元に戻す方法が見つかるかもしれないという、当てのない願望を抱いてしまっていた。
……そんな確証、どこにもないのに。
アイリスは腰に下げている長剣の柄へと右手を添える。この剣を魔物と化した島人達に向けなければならない時が近づいているというのならば、自分は──その時、刃を振ることを決意出来るだろうか。
心の中で灰色の感情が大きく波打っては揺れていく。迷いがある時、自分の剣筋が鈍ってしまうことは自覚していた。
迷わないわけがない。自分は今、恐ろしい選択をしようとしているのだから。
「……アイリス、大丈夫か」
優しい声とともに、背中にぽんっと温かく大きな手が添えられる。顔を上げれば、心配そうな表情でアイリスの顔を覗き込むクロイドがいた。
「顔色が悪そうだが……」
「……大丈夫よ。少し考えごとをしていただけだから」
「……」
それでもクロイドはアイリスが抱えているものを密かに察しているらしく、背中に触れていた手で頭をそっと撫でて来る。
……この優しい温度をいつか……失うと分かった上で生きていくことは出来ない。それならば私は……。
自分は選びたいもの同士を天秤にかけて、どちらかを絶対的に選び取ることが出来るだろうか。
そのようなことを考えている時だった。アイリスの頭を撫でていたクロイドが途端に険しい表情をして、背後を振り返ったのである。
「どうしたの、クロイド?」
「……一枚目の結界が破られたようだ」
「え……」
クロイドの一言にその場に居る者の間に、張り詰めた空気が流れ始める。
やはり、戦闘が近いと感じた瞬間に、一瞬にして集中出来る才能をそれぞれが持っているようだ。
「とにかく、この場所から離れておこう。……だが、いくら結界を張っても破られ続ければ、埒が明かないな……」
そう言いつつもクロイドは、診療所に向けて両手をかざす。少しでも時間を稼ぐために、結界を張っているのだろうが、日頃から魔法を扱うことに慣れているクロイドに疲労の表情はまだ現れていないようだ。
「──透き通る盾」
診療所全体を覆うように透明な壁によって包まれたことを確認してから、クロイドはこちらを振り返った。
「とりあえず、この場から移動しよう」
リアンの提案にそれぞれが頷き返すも、この後をどうすればいいのかはっきり決まっていないため、どこに向かえばいいのか分からずにいた。
その時、今まで息を潜めるように黙っていたライカが顔を上げて、真っすぐと言い放ったのである。
「──殺して下さい」
一瞬、ライカが何を言ったのか、理解出来なかった四人はぎこちなく動きながら彼の方へと首を向ける。ライカは無表情のまま、その一言を告げていた。
「皆を……島の皆をどうか、殺してくれませんか」
表情に色は浮かばない。それどころか、感情さえも失くしたのではと思える程に無に近いように見えた。
ライカから抑揚なく告げられるその言葉にアイリス達は目を見開き、時間が止まったように動けずにいた。




