狂喜
「……お前が……」
だが、声を発したのはアイリスではなく、ライカだった。はっとライカの方を見ると、彼はセプスを睨みつつ、唇を強く噛んだことで口から血を垂らしていた。
しかし、気付いたのはそこではない。それまで茶色の瞳をしていた彼の両目が何故か青く光っていることに気付いたのだ。
「お前が、姉さんを……。姉さんに、酷いことを……!」
再び、立ち上がったライカは鉄格子を掴んでは大きく揺さぶろうとするが、子どもの力であるため、微塵も動くことはない──と思っていた時だ。
ライカによって握られていた鉄格子がまるで、熱によって曲げられたように歪曲したのである。
「っ……!」
しかし、アイリス以上に驚いていたのはセプスだった。それまでライカの言葉に関心を示さなかった彼は一歩、また一歩と鉄格子の中に入っているライカへと近づいて行く。
「姉さんをよくも……よくも……!」
荒ぶる感情を抱きつつ、ライカは更に暴れていく。だが、よく見てみれば、彼の両手は黒毛によって覆われており、小さな耳は獣の耳のように柔らかく尖っていた。
……魔物化している……!
だが、ライカとしての意識ははっきりと持っているらしく、彼はそのまま鉄格子を揺さぶり続ける。
「半分魔物化しているが、想像以上の腕力……。そして、魔力は……」
セプスはどこか嬉しそうな表情で、白衣のポケットから魔力を察知するための結晶を取り出し、ライカの体内に魔力が宿っているのか調べ始める。
「凄い……。凄いぞ……! ここまで大きな魔力反応を見せるのは、実験を始めてから初めてだ! これは……これは成功だ……!」
狂乱とも呼ぶべき声でセプスは大いに喜び始めるが、その間もライカはずっとセプスを睨んでいた。
「素晴らしい……。ライカに投与した薬が成功だったのか……! ついに……ついに完成したんだ……!」
セプスは嬉しさのあまり、喜びの涙を流し始める。
だが、その涙を美しいと思えないのは、彼の実験がオスクリダ島の島人達によって成り立ったものだと知っているからだ。美しいわけがない。むしろ、汚らわしいと思えるほどに憎く思えた。
「ライカ、君のおかげだ。君は成功し──」
だが、興奮したセプスの声を途中で掻き消すように風が引き裂いていく音がその場に響いた。
鉄格子の中に居るライカへと近付いていたセプスの左腕が、その場にぼとりと落ちていく。まるで、年季の入った人形の部品が壊れたように、セプスの左腕がその場に落ちた光景を目にしたアイリスは絶句していた。
「ぁ……」
か細く響いたのはセプスの声だ。彼の腕だったものはその場に赤い水溜まりを作っていく。
「──殺す」
低く、重く響いたのはライカによって発せられた言葉で、青く光る彼の瞳は獣と同じものになっていた。
ライカの右腕は黒毛の獣と同じ腕に変化しており、その手先は鋭い爪が五本、刃のように光っていた。そして、彼の腕には風のようなものが纏われており、風の力によってセプスの腕を両断したらしい。
「殺す、殺す、殺す……!」
「ぅ、あ……」
一歩、また一歩セプスは後ろへと下がっていく。この時、初めてセプスの表情に恐れという感情が表われていた。
「ひぃっ……」
セプスは右手で失った左腕の肩口を抱きつつ、ライカの手から逃げるように後ろへと徐々に後退していく。
「殺してやる……。殺してやる……! 姉さんを……姉さんを殺したお前を……絶対に殺してやる……!」
ライカはそのまま鉄格子を握りしめて、自分が通れるようにと無理矢理に曲げようと力を加えていた。 しかし、突如として愉快なものに対して笑うような声がその場に響き始める。
「ふっ……。ふははっ……。ふははははっ……」
腕を失い、ついに気でも狂ったかと思ったが、セプスは本当に心底面白いと言わんばかりに声を上げて笑っていた。
彼の白衣はすでに真っ赤に染まりつつあり、そして今の表情に一番お似合いな姿となっていた。
「いやぁ、想定外だった。……それもそうか。自分の意思を持っているならば、感情を持っていることと同じだからね。これはさすがに誤算だったよ」
セプスは愉快気に笑いながら、白衣のポケットから一本の注射器を取り出す。そして、左肩の付け根の部分へと自らの右手で、ぶすりと力強く差し込んでから薬を注入していった。
「……ふぅ……。やっと痛みが滲んでいく……。やはり、麻酔は持っておいて正解だったな」
「……」
異常過ぎる言動と行動に、アイリスは反応し切れずにいた。
「だが、ライカに投与した薬が成功したということは……。こっちの薬が正解だったか」
そして、セプスは白衣の左側のポケットから、別の注射器を取り出す。それはリッカに投与しているものと似ている注射器だった。だが、彼の言葉から察するに中身は別物なのだろう。
セプスはそれを躊躇することなく、自身の身体へと打ち込んでいく。
そして、注射器の中身を全て打ち込んでから、彼は注射器をその場に落とし、そして自らの足で踏んづけていた。
「さて、これで僕の体内に無事、魔力が宿ったならば……あとはもう、用無しだ」
「っ!」
その言葉が何を意味しているのか理解したアイリスは思わず息を引き攣らせる。
「魔物になった奴らはブリティオン行きだが、それ以外は……」
セプスの瞳は先程よりも虚ろなものになっていた。
腕からの出血によるものなのか、それともたった今、投与した薬による症状が出始めているのかは分からないが、すでにまともではないのは分かり切ったことだ。
「アイリス・ローレンス以外は死んでもらおう」
口元に大きな弧を描きつつ、セプスは仕方がないと言わんばかりに呟く。
「意思と記憶を持ったまま、生きていられると僕としては困るからね……。僕の言う事を聞くように薬漬けにして、調教するのもいいかもしれないが面倒だし、何より時間がかかってしまう。そうすれば、教団の別の人間がこの島に訪れてしまうからね……。邪魔をする者は早いこと、跡形もなく始末した方が良いに決まっている」
セプスは後退しつつ、そしてポケットから鉄製の鍵束を取り出してから、他の魔物が入っている鉄格子の扉の鍵穴へと鍵を差し込んだ。
だが、彼が鉄格子の扉を開けたのは一つではなかった。後ろへと下がっていくたびに、次々に鉄格子の扉の鍵を開けては魔物達を檻の中から外へと出していく。
檻となる鉄格子から出て来た魔物達は与えられた自由を謳歌するように、低い声で鳴き合っている。そして、やがて魔物によって、その場の通路は埋め尽くされていった。




