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別つ時

  

 瞬間、リッカの身体がどくん、と大きく跳ねる。


「リッカ……!」


「う、あっ……! あああっ……」


 様子が変わったことに気付いたセプスは一歩、鉄格子へと近付き、そして口元を緩めた。明らかに異常な笑みを浮かべるセプスはリッカが苦しむ様子を何とも思っていないのだろう。


「さぁ、見せてくれ。成功か、失敗か──。リッカ、君は一体どちらだろうね?」


 血を吐き続けるリッカから、湯気のような白い靄が沸き立っていく。彼女の身体に異常な熱がこもっていることは見ていれば、分かった。


 ……どうすればいいの。


 魔力不足の症状が出たことでイトが倒れてしまい、出口となる扉を壊すことは出来ない。鉄製の扉の鍵を持っているのは目の前にいるセプスだけだ。

 

 何も出来ないまま、目の前でリッカが苦しむ様子を見続けるしかないと言うのか。その無力さを自分は何度、恨めばいいのだろうか。


 再び、リッカによる絶叫がその場に反響していく中、舌足らずな一つの声がぽつりと近くから零された。


「──ねえ、さん?」


 その声に、アイリスは左側へと身体ごと視線を向ける。そこには先程まで、気を失っていたはずのライカの瞳がはっきりと開かれており、そして彼の視線は前方のリッカへと向けられていた。


「姉さん……? 何で、そんな……」


 ライカの瞳が、現状を理解したらしく、大きく見開かれていく。彼の瞳には自分の姉が、真っ赤に染まったまま叫び続ける姿が映ったからだ。

 薄暗い中でも分かるほど、ライカの表情は強張り、そして青白く見えた。


「姉さんっ! 姉さん!!」


 身体を起き上がらせて、ライカは鉄格子へと近付き、届かないと分かっていてもリッカに向けて右手を伸ばす。彼の茶色の瞳からは雫が零れており、今にも感情が溢れてしまいそうだった。


「あぁ……。見られ、ちゃった……」


 ライカに呼ばれたリッカは悲しみが込められた声で呟き、その場に膝をつく。彼女の身体は異常過ぎる程に血が噴き出しており、そして湯気のように白い気体がリッカの身体を纏っていた。


「……ライカ。……駄目な……お姉ちゃんで……守れなくて、ごめんね……」


 言葉を一つ、一つ紡ぎながら、リッカはライカに向けて、いつもの笑顔を浮かべていた。

 だが、自分の姉が尋常ではない状態だと理解しているライカは首を横に振りながら、ひたすら手を伸ばし続ける。


「何を言って……。ねえ、大丈夫なの!? たくさん、血が出て……。姉さん、姉さんってば!」


 必死の形相で声を荒げつつも、諦めることなくライカは手を伸ばしては、届きはしない姉のことを呼び続ける。


「これからは……自分の、意思で……生きて。……流されずに……自分の、意思を……持って、どうか……」


「姉さん!!」


 見続けることしか、出来なかった。姉弟思いの二人が別つ瞬間を眺めることしか、出来なかった。

 アイリスは唇を噛み締め、血が出る程に拳に自らの爪を立てていく。


「私……神様の、ところには……行かない、から。だから、あなたのこと……見守って、いるから……」


 赤く光り続ける瞳からは彼女が「リッカ」としての意思を保っていることを意味する涙が次々と零れていく。その涙は全てライカへの想いだった。

 優しさの塊が零れ落ちては、蒸発するように消えていく。残るものなど、何もなかった。


「ライカの……お姉ちゃんで、いられて……良かった……」


「ねえ、何を言っているの!? どうして、そんなに苦しそうなの? 姉さん! 姉さんってば!!」


 リッカによって零される言葉に、何か嫌な予感を読み取っているのか、ライカはリッカの生を繋ぎ止めるために、彼女の存在を求め続けていた。


「……ありがとう、ライカ……。ずっと、ずっと……大好き、だよ……」


「姉さ……」


 その瞬間、熱風とも呼べる激しい風がリッカの身体から発生して、その場に強く吹き渡っていく。


 アイリスは左腕で顔を守るように盾にしながら、両足に力を入れて、吹き飛ばされないようにと踏ん張った。


 熱風が止み、目を開けばそこには──。

 リッカの姿はなかった。


「リッ……」


 名前を呼ぶことが出来ずにいたのは、声を出すことを途中で忘れてしまったからかもしれない。


 瞳に映る現実が、あまりにも残酷で、荒々しくて、恐ろしくて、悲しくて。そして、自分にはどうすることも出来ないと、その無力さを覚ったからかもしれない。


 リッカの身体の内側から皮膚を破るように鳥のような羽が生えはじめ、それが身体全体を覆っていく。


 白い脚は細く堅い皮へと変わっていき、足先は五本指ではなく、三つの鋭い爪に割れていた。


 二本の腕は赤い羽根が覆う翼へと変わっており、そして顔は──もう、リッカではなかった。尖った嘴を持ち、炎のような赤い羽根に覆われたその姿はまさしく鳥の魔物そのものだったからだ。


 彼女がそこにいたことがまるで幻かと思えるくらいに、リッカの面影は一つもなかった。何も、なかったのだ。


「う、ぁ……」


 引き攣った声を出したまま、ライカはその場に座り込む。目の前で自分の姉が人間ではない獣へと変化した光景をその瞳に刻んだことで、衝撃を隠せないでいるようだった。


 だが、それはアイリスも同様だった。目の前で、リッカが人間ではなくなった姿を見て、何も思わないわけがない。

 いや、思わないのではなく、思考そのものが停止しているような感覚だった。何も考えることが出来ないまま、炎を纏う赤い鳥となったリッカを呆然とした表情で見つめることしか出来なかったのだ。


 嘔吐するように、嗚咽しているライカの瞳からはぼろぼろと涙が零れている。それでもその瞳はしっかりとリッカだったものを見つめていた。


「──ああ、残念だ。今回こそ、上手く行きそうだったのに、結局リッカも失敗か」


 衝撃的過ぎる光景を見た後だと言うのに、場違いすぎる程に落胆する声がその場に響き渡る。焼けるように刻み付けられる言葉が、激しい感情を思い出させた。


「彼女はあと一歩だったというのに……惜しかったな。何がいけなかったんだろう……。ううむ、この薬の調合ではなく、もう一つの方の薬ならば……」


 セプスの声が鮮明に、鐘を鳴らすように響いていく。

 ──許すな、奴が全ての元凶だ。そう、声が響いていく。悲しみを越えるこの感情の名前を自分は自覚している。


「まあ、いいや。代わりはいるし」


 声が、身体に染み込んでいく。塗り替える程の感情が、心の奥底から勢いよく湧き上がっていた。

   

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