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姉の微笑み

 

「イト……!」


「分かっています……!」


 声色は焦っていたが、イトはすぐに鉄製の扉を開けるべく、手に持っていた魔符に魔力を込め始める。


 しかし、すでに扉に張ってある二枚分の魔符に力を注ぎ過ぎたことによる魔力不足の症状がイトに表れてしまう。

 彼女の身体は大きく脈打ち、その場に片足を付けてから、表情を苦痛に歪めたまま、横へと倒れた。


「イトっ……!」


「……っ!」


 イトが胸を苦しそうに空いている手で押さえながら呼吸する。その表情は慣れない魔法を多く使い、魔力を放出したことによって、彼女の身体に異常が起きていることを示していた。


 だが、その間にもセプスはリッカの細い腕を掴み、血管に向けて銀色に光る針を差し込んでしまう。


「っ!!」


 セプスの実験薬がゆっくりとリッカの体内へと入っていく。その時のセプスの表情は──笑顔だった。


 見ているだけ、だった。

 何も出来ずに、ただ、見ていることしか出来なかった。


 注射器の中身を全て入れ切ってから、セプスはリッカが入っている鉄格子の中から出て来る。

 再び、鉄製の扉に鍵をかけてから、空になった注射器をその場に落とし、彼は破片となったガラスを革靴で踏みつけていた。


「さて、どうなるか楽しみだね」


「セプス・アヴァールっ……!」


 アイリスはそれまで自分の心の中に抱いていた、人を殺してしまったという責を振り払い、一瞬で怒りによって感情を爆発させる。


 だが、短剣を伸ばしても、鉄格子が邪魔をして刃先がセプスに届くことはない。それを嘲笑うように、彼は高らかに笑っていた。


「さて、そろそろ効き目が表れる頃だ」


 にこやかに笑みを見せたセプスがいかにも、演劇の進行役のようにわざとらしくお辞儀してから、アイリスにリッカの姿がよく見えるように右側へと数歩下がる。


「──うっ……!」


「リッカ!!」


 鉄格子の中で横たわっていたリッカの身体が大きく跳ねる。それが、始まりだと告げるように、彼女の身体は陸に打ち上げられた魚のように動いたのだ。


 その瞬間、彼女の目が大きく見開き、そして──絶叫した。


「ああぁぁっ……!!」


 この世に居るとは思えない、断末魔とも言える叫びは空間全体に響いていく。


「さぁ、見たまえ。この叫びの後に、結果が出るはずだ。自我を失い、魔物と化すのか、それとも自身の魔力をその身に宿すのか……。……ああ、実に楽しみだ」


「っ……」


 セプスの声を掻き消してしまうほどの大声で、リッカは自身の手で心臓を握りしめるようにしながら、苦痛を訴える叫び声を上げ続ける。


「あああっ、うあぁっ……!」


「リッカ!」


 助けたかった。救えると、信じていた。

 手を取ってくれた時、絶対に守り切るとそう心に決めたのに、それでも自分は伸ばされた手に届かないままだ。


「リッカ……! リッカ!」


「あぅ……ぐはぁっ……」


 リッカは大きく咳き込み、そして口から大量の血を吐く。その中には彼女の身体の一部と思われるものも一緒に出ていた。


「ごほっ……。ぶはっ……」


 口を真っ赤に染め上げながら、リッカは膝で何とか立ち上がる。血は彼女の口だけでなく、鼻と瞳からも零れ出ていた。


「リッカ……!」


「あ……。アイリス、さん……。そこに……居るん、ですか……?」


 激しく咳き込みながらも、リッカはアイリスの声がした方へと視線を向ける。しかし、彼女の瞳は赤く、そして虚ろだった。


「すみま、せん……。今、目が……見えなく、て……。苦し、くて……」


 そう言って、リッカは咳き込みつつも言葉を吐いていく。


「ライカ、そこに……居ますか」


「っ……。居るわ。ここに、目の前に居るわ」


「そっか……。アイリスさんの、傍に……居るんですね」


 リッカの瞳からは赤い涙が零れていく。苦しくて、辛くて、痛いだろうに、それでも彼女は弟であるライカの心配をしているのだ。

 彼女のその想いにアイリスの心臓はぎゅっと掴まれたような感覚に陥る。


「……セプス先生も、そこに……いるんですね」


「ふむ、目が見えていないんだね、リッカ。でも……」


 そう言って、セプスは白衣のポケットからとある石を取り出して、リッカを示すように向ける。


「おおっ……。先程、確認した時よりも、身体に宿している魔力が大きい……! これは……身体に大きな影響は出ているようだが、半分成功といったところだろうか」


 嬉しそうに笑い声を上げるセプスに対して、リッカは自らの血によって赤く染めた口元で半月を描いた。


「ふっ……」


 そして彼女は小さく、笑ったのだ。妖艶に、嘲るように微かな笑い声を上げる。


「……何か、おかしいかね?」


「ええ、とても……。本当に……あなたは……。あなたという人は本当に愚かな人だと、思って……」


 リッカは口元を手の甲で拭う。


「セプス先生、待っていて下さいね。……私、あなたを殺します」


「……」


「だから……。あなたの思い通りになんて、なって堪るものですか……!」


 瞬間、リッカから熱のようなものがぶわりと吹き起こり、アイリスの髪を大きく揺らしていく。


 ……今のは、魔法?


 熱気のような風がその場に吹き渡ったがそれは一瞬だった。

 リッカは自分の身体を両腕で抱きしめるようにしつつ、ふらふらと両足を立てていく。


「ああ……。やっと、見えて来た……」


 彼女の瞳は赤い光が灯されたように光っていた。そして、その瞳は横たえられているライカの方へと真っすぐに向けられる。


「ライカ……」


 爛々と光っていた瞳は、ライカの姿を映すと少しだけ穏やかに細められていた。


「最後に……頭を……撫でて、あげたかったなぁ」


 リッカはふらつく足で一歩、一歩前へと進んで行く。だが、時折咳き込んでは口から血の塊を吐き出していた。


「アイリス、さん……。お願いを……しても、いいですか」


「……」


 赤く虚ろに光る瞳で、リッカはアイリスへと視線を向けて来る。


「多分、私……。この身体、もう……駄目なんです。だから……」


 まるで、それが最期の笑顔だと告げるように、彼女は優しく微笑んだ。楽しげなライカを穏やかに眺めている時のような、いつもと同じで変わらない表情がそこにはあった。

 確かに、あったのだ。その笑みが次第に霞んで行ってしまう。


「だから、ライカのこと……宜しく、頼みます……」


「……っ」


 受け止めたくはないその言葉は、きっと彼女が託そうとする最期の願いなのだろう。


 だから、断るわけにはいかなかった。いや、断ってしまっても、リッカはすでに『人』として生きることを選んでいないように見えたのだ。


 そして、赤い瞳は再びライカの方へと向けられる。穏やかさと悲しみを含めた瞳から、一滴の雫が頬へと落ちていく。

 その雫は赤色ではなく、リッカの心のように純粋で、儚くて、切ないくらいに透明に見えた。


「また……ライカの……お姉ちゃんとして……生まれてきたいなぁ……」


 その呟きは彼女の全てが込められていた。だが、気を失っているライカの耳には聞こえていない。リッカはそれでも構わないとライカを聖母のように優しい眼差しで眺めていた。

   

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