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あやめたもの

 

 アイリスは怒りに任せて、自然にスカートの下へと手を伸ばしており、隠し持っていた小型の刃物を左手で掴むとそれをセプスの心臓目掛けて投げていた。


 だが、アイリスの動きを感知したのはセプスではなく、彼の傍にいた大型の魔物だった。魔物は地を蹴って飛び上がり、自らセプスの盾となったのだ。


「──っ!」


 だが、刃物を投げ終わってしまえば、それを手元に戻す(すべ)などない。


 アイリスの手元から離れた刃物はそのまま、セプスを守るように盾となった大型の魔物の胸部へと突き刺さり、そして心臓を貫かれたことで、その魔物は地面に着地すると同時に倒れて、二度と動かないものとなる。


 べちゃりと、何かが響く。その音は魔物討伐課に入っていた自分なら、聞き慣れた音であるはずなのに、今では違うものとして聞こえていた。


「あー……。はい、一人死んじゃった。……分かっているのかな? 今、君が殺したのが元人間だって」


「っ……」


 大型の魔物の胸部から見慣れた色の液体が零れ出て、身体を同じ色で染めていく。その色は人間が持つ血と同じ色だ。


 人間、だった。

 今、自分は、人間を殺したのだ。


 瞬間、自分が人間を殺してしまったということを自覚したアイリスは、数歩後ろへとふらつきながら下がり、そして両手で口を押える。


「うっ……ぁ……」


 嘔吐(えず)くように、身体を震わせる。自分が、人を殺した。この手で人を殺した。


「ほら、よく見るんだ、アイリス・ローレンス」


 赤い血で染まっていく、その地面の上を革靴で歩き、不快な音をわざとらしく立てながら、セプスは笑みを見せる。


「君が、彼を殺した。……どうだい、生きている人間を殺す感覚は。ふふっ……。君は今、どんな気持ちかな?」


「っ、ぁ……」


 吐き出すものなんて胃の中にはないのに、それでも身体の奥底から何かを出そうとアイリスの肩は上下に激しく震える。


 自分が、殺した。人間を。目の前で。自分の手で。

 人殺しに、なってしまった。


 霊体となった者を斬ったことはある。だが、魔物に姿を変えているとはいえ、生きていた人間を自分の手で殺めてしまった。

 人殺しになってしまったという恐怖がアイリスを襲い、そして反響するように頭に響いていく。


「これで君も人殺しだ。君もやっと『ローレンス家』の人間らしくなれたということかな」


 セプスの呟きが、頭の中を埋め尽くす。自分が抱いている心の全てを見透かすように、彼は嘲りながら、革靴でまたも広がっていく血の上を歩いた。


「大丈夫、すぐに慣れるさ。だって君は他人の死の上を歩き続ける『ローレンス家』だからね……」


「──黙れ」


 地を這うような低い声でセプスの声を切ったのはイトだった。そして彼女はそのまま右足を鉄格子へと怒りをぶつけるように蹴り上げる。セプスの声を掻き消すように響いたのは鉄の反響音だった。


「今、彼女を煽って、わざと自分に刃が向くように仕向けただろう」


 それまでのイトと同じ人物かと疑う程に彼女の口調と声色は変わっていた。そしてゆっくりと頭を上げて、顔を見てみればイトが纏う雰囲気は吹雪の中のように冷たいものだった。


 それでも冷静さを取り戻すためか、一つ呼吸をしてからイトは言葉を続ける。


「島の人……いえ、大型の魔物に合図したのが見えました。わざと盾にしましたね?」


「……中々、観察眼が鋭いね」


 その通りだと言うように、セプスは小さく笑う。

 だが、アイリスに大型の魔物を殺すように仕向けたことが事実だとしても、この手で殺したことには変わりないのだ。


 イトがアイリスの隣に立って、左手で優しく背中を撫でてくれる甲斐もあってか、それまで過呼吸を起こしそうになっていた身体は少しずつ落ち着きを取り戻し始める。


「嫌いな人間の動作は相手が背を向けても見逃さないと決めているんです」


「はっ……。凄い言われようだ」


「やり方があまりにも卑劣過ぎる。……自分の手は直接汚さないまま、間接的に殺していく。……本当に、心底嫌いな人間ですよ、セプス・アヴァール」


「そこまで嫌って貰えるのも、嬉しいものだ。だって、そうすれば君の心の中で印象深く残るだろう?」


「あなたが私の前から姿を消したならば、それと同時に関わったことを全て記憶の中から消去するつもりなので、ご心配なく。嫌いということは、興味が無いという意味も含まれていますので」


「ふむ……。君の方は中々、扱いづらそうだ」


「扱い辛くて結構です」


「アイリス・ローレンスのように、同じく少し心を折ってみようと思ったが、君に効果的な言葉や要素が見当たらないな」


「……」


 アイリスが浅く呼吸している隣で、イトが怒気を含めた息をふっと吐いた気配がした。


「……ああ、でも」


 そこでセプスは、足音をわざとらしく立てながら場所を移動する。彼が辿り着いたのはリッカが横たえられている鉄格子だった。


「君に感情が備えられていないわけではないからね」


「何を……」


 しかし、そこでセプスの動きを不審に思ったのか、イトははっとした表情で目を見開く。


「──止めろ! リッカに……彼女に近づくなっ……!」


「ははっ……。やはり、思った通りだ。優しいねぇ、教団の人間は。……だからこそ、簡単に死ぬんだろうけれど」


 セプスは注射器を取り出して、リッカが入っている鉄格子の扉をゆっくりと開けていく。それまで浅く呼吸していたアイリスも、セプスが次に取る行動に気付いて、身体を強張らせた。


 ランプの灯りで、きらりと光って見えたのは、セプスが右手に持っている注射器だ。その中身に何が入っているのか、分かっている。

 注射器をリッカに打つつもりだと気付き、身体中から冷や汗が噴き出していく。


「やめ……、やめてっ……!」


「今、リッカは一番良い状態だ。微かな魔力反応が先程、見られたからね。魔力を宿す核が体内に出来つつあるんだ。後は、その核を広げて、大きい魔力を宿せるように施すだけ。つまり──実験の最終段階だ」


 楽しそうに、セプスは渇いた笑い声を上げる。止めなければ、彼の行動を止めなければ。


 だが、止めたくても自分には止める方法がない。小型の刃物は先程、手放してしまった上に、今、手にしている短剣をセプスに投げつければ、この位置からではリッカに当たりかねなかった。

    

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