人体実験
頭の中で鳴り響くのは轟音だった。もしくは鐘の中に身体を入れているような感覚がこの身を襲う。
「何、を……」
何を言っているのか。そう告げたいのに、言葉が詰まって出て来なかった。
この目の前にいる男は自分達に向けて、今、何を言ったというのか。理解しなければならないのに、それが真実だと認めたくはない自分がいる。
──人が、獣になったんです。
頭の中で思い出されたのは、リッカが告げた言葉。彼女の目の前で、人が獣へと変わっていったという言葉が駆け巡っていく。
「嘘、ですよね」
イトが震えた声で言葉を零す。
「目の前にいる魔物が……島の人達だなんて、嘘ですよね? だって、彼らは……」
彼女もまた、信じたくはないと揺らぐ瞳が訴えていた。それでも、アイリス達が大きく動揺する姿を見て、セプスは顔だけこちらに向けて、満足気ににやりと笑う。
「残念ながら、彼らは僕の実験の失敗作となってしまったんだ。途中までは上手く行っていたんだけれどね。どうやら、最後の微調整が上手くいかなかったようだ」
淡々と、ただ淡々と物事を進めるようにセプスは告げて来る。
失敗作、島人達が魔物。
心の中で信じたくはないと、もう一人の自分が大きな声で叫んでいた。それなのに、この身体を動かす権利を持っている自分には、声を出すことさえ出来なかった。
「僕の実験は、体内に魔力を宿すための核を作ることが最初の目標だった。そのために必要なのは人間が持つ魔力ではない……魔物の魔力と血だった」
「……」
「魔物について詳しく調べてみると意外なことを発見出来た。魔物という生き物は、魔力を持つ人間が魔力を持たない人間に魔力を注入するよりも、遥かに簡単に魔力を他者へと与えることが出来る仕組みを持っていたんだよ!」
自分の研究により新発見した際の喜びを思い出しているのか、セプスは興奮気味に叫んだ。その声がこの洞窟のような場所の奥まで反響していき、耳障りに聞えてしまう。
だが、魔物が他者へと魔力を注入することが出来るという言葉に聞き覚えがあったのは、恐らく魔犬に呪いをかけられたクロイドのことを思い出したからだ。
彼は魔犬に呪いをかけられたことで、魔犬の魔力も身体に宿しており、そしてその力を制御して扱えるのだ。
……それじゃあ、同じということ?
クロイドと魔犬の関係と、セプスが発見した魔物が他者へと魔力を与えることが出来る事柄は同じ分類に属しているということか。未だに、魔犬については分かっていないことが多い。
しかし、今はそのことは頭の隅に置いておくべきだ。大事なのはこの先の話なのだから。
それでも、出来るならばこれ以上、セプスの言葉を耳に入れたくはなかった。
「そして、ここからが更に面白くなるんだ。……魔物に襲われた人間が、ごく稀に魔物と化す場合があるのは知っているかね?」
「……」
アイリスとイトは黙ったままで、答えることはしなかった。
確かに、魔物の中には人間の身体を乗っ取るものもいれば、襲われた人間が魔物と化すことが本当に稀だが、起きる場合があると聞いている。
その手の問題は、かなり難しい案件であるため、人間が魔物に近いものへと化した場合には、戦い慣れた熟練の団員が相手でも戦い辛いと聞いたことがあった。
だが、セプスがこの話を持ち出した時点で、何となく次に告げられる言葉は嫌悪するものだろうと予測していた。
「魔物と化した人間は、身体に魔力を宿すらしい。……魔物の魔力をね」
そう呟いた時、セプスはこちらに顔を向けていなかったが、それでもどんな表情をしているのか安易に予想出来た。
「だが、僕は魔物になりたいわけじゃない。人間としての意思を保ったまま、魔力が欲しいんだ」
だから、と彼は言葉を続ける。
「まずは少量の魔物の血と魔力を混ぜて調節したものを薬として人間に投与し、身体に慣れさせることから始めた」
「っ……」
それは人体実験の始まりだった。魔物の血と魔力を何も持っていない人間の身体に人知れず入れていく、それがどれほど横暴で残虐なことなのか、彼は分かっているのだろうか。
いや、分かっていないからこそ、淡々と実験過程を述べるように喋ることが出来るのだ。
「もちろん、初期の状態で拒否反応を示す者も多くいた。顔が青白くなり、脈が速く、具合の悪さを訴えて来る者は実験による初期症状の一つだ。この時点で、体内に魔力反応が感知出来た場合は次に投与する薬で実験の結果が決まるんだ。……だが、薬を投与して、身体に変化が見られるかしばらく様子見するんだが、ほとんどの場合が失敗する結果に終わってしまってね」
溜息を深く吐きながら、彼は魔物、いや島人だったものが入れられている鉄格子を右足で軽く蹴った。
「失敗したものは全て、魔物に姿を変えていった。人間の言葉と感情を持たず、思考することさえ忘れてしまったただの醜い獣へとね。どうやら、人間の血や精力よりも魔物の魔力と血の方が支配する力として上回ってしまったことで、姿が変化してしまったようだ」
仕方ないと肩を竦めて、セプスはどこか遠くへと視線を向ける。
「薬に調整を加えながら繰り返しては失敗していた。だが……僕が行っている実験に気付いた者がいてね。やはり、よそ者の方が違和感に気付きやすいらしい」
それが誰を示す言葉なのか、アイリスは気付いていた。この島へと「神」と「神隠し」のことを調べに来たエディク・サラマンのことだ。
「エディク・サラマン……。彼もまた、愚かな人間だった。自分の欲のために、あまりにも深く入り過ぎたのだ。……暴こうとしなければ、自分の家へと帰ることが出来ただろうに」
その言葉が、すでにエディクは死んでいると告げているように聞こえた。アイリスは意を決して、真っすぐとセプスに訊ねる。
「やっぱり、あなたがエディクさんに関わっていたのね」
自分達がこの数日、探し求めていた答えが目の前にあった。いや、隠されていたと言ってもいいだろう。アイリスは目を細めながら更に訊ねる。
「……エディクさんは一ヵ月程前に行方不明になったと聞いているけれど本当は、彼はいつまで生きていたというの」
アイリスの言葉を耳に入れたセプスは、やっと気付いたかと答えるように、口元に大きな弧を描いていた。




