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毒蛇の笑み

 

 ごくりと思わず唾を飲み込んだのは自分か、それとも隣にいるイトだったか。もしくは二人同時だったかもしれない。


 この目の前にいる白衣を来た男はただ恍惚と言った表情を浮かべており、そして両目は虚ろのように見えた。何故か、中身がないように見えたのだ。


 ……これは。


 身体全体を冷たいもので覆われていくこの感触を一体何と呼べばいいのか。自分はセプスを恐れているのか、それとも──おぞましいと思っているのか。


「結果、結果って……。あなたは自分の欲望のためにリッカ達を……島の人達を利用しているだけでしょう!?」


 アイリスが鉄格子に手を添えながら噛み付くように吠えると、セプスのすぐ傍に控えていた大型犬に似た魔物が一歩こちらへと近付き、低く唸り始める。

 どうやらこの魔物は誰が主人なのか分かっているらしく、主人であるセプスに暴言を吐いた悪い人間としてアイリスの事を認識したようだ。


「そうだとも。……だって、これ程までに実験の環境が整っている素晴らしい場所は他にはないからね」


 まるで、宝物を見つけた人間のようにうっとりとセプスは呟く。その呟きさえも、アイリスにとっては吐き気がした。


「オスクリダ島……。イグノラント王国の領土だが、その島の風習は移民による極東の国寄りで、何より同じ国内だというのに本土との『考え方』がまるで違う人間が暮らしている。本土からの定期船も週に一度で、孤島と呼ぶべき場所だ」


 どうやらセプスもオスクリダ島の島人達が極東の国からの移民によって、今まで代々続いてきた血筋だと知っていたらしい。


「島の人達は見たこともないものを『神』と呼び、そしてその恩恵に(あずか)ろうと称え続ける。……最初にこの島へ訪れた時、何とも純粋で愚かしい人間達ばかりだろうと笑ってしまったよ」


「この……」


 イトが歯ぎしりしながらセプスを睨んでいるが、彼はイトからの視線に気付くことなく、そのまま雄弁に喋り続ける。


「だが、それと同時に気付いたんだ。僕が今までやりたくても機会と材料がなく断念していた実験が、このオスクリダ島でなら実現出来るかもしれない、とね」


「だから、わざわざ医者のふりをして、この島の人達と慣れ合い、信頼を得て……そして、彼らに対して身勝手な実験を施していたということでしょう? ……最低過ぎて、反吐が出るわ」


 吐き捨てるようにアイリスが告げるとセプスは肩を小さく竦めながら、リッカの方に向けていた足をアイリス達の方へと戻してくる。


「この島の人間は普通とは少し違う神を崇めている。その『神』と『神隠し』を利用すれば……島の人間が一人居なくなったところで、ただの神隠しとして扱われることを思いついたんだよ」


「……っ」


 ぞくりと背筋を駆け抜けて行ったものは何か。それを確認する暇も無いまま、アイリスは両目を見開き、息をすることさえ忘れていた。


「神に選ばれた者が神の世界へと連れて行かれ、幸せになる……なんて、そんな話は馬鹿馬鹿しくて笑いさえ起きなかったが、この島の人間達はすっかり信じ切っている。生まれた時から、『それが正しい』、『それこそ真実』とすり込まれてきている。まるで、親を勘違いしている小鳥のようだ。それ故に……」


 セプスは一度、言葉を切って、通路の奥へと続いている鉄格子の方へと視線を向ける。その視線は鉄格子の中に入っている魔物達を映していた。


「──伝承や風習というものは人を強く縛り、そしてまた無意識に人を魅了させてしまうものなのだよ」


 信じるということを嘲笑しているような一言だった。信じる者が愚かだと告げるその言葉を受け入れることが出来ないのは、恐らく自分とセプスの考え方に決定的な違いがあるからだろう。


「それに僕の実験が成功すれば、君のためにもなるんだよ、アイリス・ローレンス」


「……私に何の関係があるというの」


「僕が長年欲しているものを同じように君も持っていない。……それが何か分かるかね?」


 まるで教師が生徒に授業内で質問するような問い方だった。だが、問われた瞬間、アイリスはその答えに気付いて、後ろへと一歩足を下げてしまう。


「……アイリスさん?」


 アイリスの様子がおかしいと気付いたイトが訝しがる表情で問いかけてくるが、アイリスは浅く呼吸を繰り返すことしか出来なかった。


 目の前のセプスが、もう答えは分かっているのだろうと口元をゆっくりと緩めていく。


 彼は蛇だ。

 毒を与えて、相手を弱らせ、そして絞め殺す、狡猾で恐ろしい蛇だ。


 二つ目がアイリスを見つめて来る。捕らわれたように動けなくなったアイリスは口を何度か開いては閉じた。


「だから……。だから、あの時……確認していたのね」


 喉の奥から何かが飛び出てしまいそうになる衝動を抑えつつ、アイリスは言葉を吐く。


「リッカとライカの様子を見に来ては、何を確認していたのか、やっと分かったわ」


 震える言葉で呟きつつも、アイリスは後ろに下げた足を再び前へと一歩進めて、挑むような瞳でセプスを睨む。


「あなたの実験で何が必要とされるのか──」


「おや、分かったようだね」


 正解だと告げるようにセプスがにやりと笑って、満足そうに頷く。


「観光客でさえ、滅多に足を踏み入れることのないこの島はあなたにとって、最高の実験場だったのね。そして、そこに住んでいる島の人達は、他とは違う少し奇妙な神様を信仰している。これもあなたにとっては好都合だった。だって……人間を使う実験なら、何かが起きた時に姿が見えなくなっても、『神隠し』が起きたという一言で片づけることが出来るもの……」


 ふつり、ふつりと湧き上がって来るのは確かな怒りだった。それまでセプスに対して恐怖心というものを大きく抱いていたが、今はもう怒りによってアイリスの心の中は埋め尽くされていたからだ。


「その上であなたが最も必要としていたのは、実験をするための『身代わり』だった。だって、実験をする上であなた自身が死ぬわけにはいかないもの。……そうでしょう?」


「ははっ。少ない情報を与えただけで、そこまでの考えに至っているとは……。思っているよりも君は聡明だね。……だが、その聡明さが君達の命取りになってしまったようだが」


 アイリスの考えをセプスは否定することなく、全て肯定するつもりらしい。だが、アイリスはまだ真の答えを告げていない。


「……あなたが欲していて、私も同じように持っていないもの。そして教団の人間で実験すれば予想に反する結果が起きてしまう……」


 はっとイトが息を吸い込んだ音が隣から聞こえた。どうやら彼女も気付いたらしい。


「セプス・アヴァール。あなたが強欲に欲しているもの、それは──魔力だったのね」


 静かに、はっきりと響くようにアイリスが真の答えを返すとセプスの表情はゆっくりと満足したものへと変わっていく。

 不気味という言葉だけでは言い表せない程に、彼の表情は冷たく、そして感情を含んでいるようには見えなかった。

   

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