鉄格子
「……こうも暗いと何も見えないですね。やはり、暗視の魔法を使うしかなさそうです」
そう言って、イトは靴の底に仕込んでいる魔符を再び取り出したようだ。
「アイリスさんにも暗視の魔法をかけさせてもらっても良いですか?」
「良いの? ……あまり魔力を使い過ぎると、貧血みたいな状態になるんでしょう?」
魔物討伐課に所属していた時、魔力の使い過ぎで、貧血のような状態を起こして倒れた者を見たことがあるため、アイリスが少し不安そうに訊ねるとイトはすぐに否定の言葉を返してきた。
「それでも何も見えないまま、敵襲を恐れるよりは断然ましですよ」
「……それもそうね」
確かにイトの言う通り、視界が悪い状態のまま敵から何かしらの攻撃を受ければ、ひとたまりもないだろう。ここは彼女の厚意を受けるしかない。
「では、失礼します。──夜宿る瞳」
イトが魔符を使って、アイリスへと魔法をかけたことで、魔符がアイリスの額に触れた瞬間、それまで何も見えなかった視界が一段階明るいものへと変わった。
気配しか感じられなかったイトが目の前におり、ちゃんと魔法が効いたか確認するように首を傾げている。
「どうでしょうか? あまり、人に魔法をかけることに慣れていないので……」
「ううん、しっかりと見えるわ。ありがとう、イト」
「それなら良かったです。……でも、よく見えるようになった分、私達がいる場所がいかに異様な場所であるのかが、露呈しましたね」
「ここは……」
イトと同様にアイリスも辺りを見渡していく。床が石のように冷たい場所だと思っていたが、本当に岩石で出来ている場所だったらしく、アイリス達の背後にある壁も岩石で出来ていた。
横幅も縦幅もかなり広く、自分達の声が復唱するように響くので洞窟のような場所なのかもしれない。
しかし、アイリス達は目の前を遮断するように、岩の天井から床へと縦に突き刺さっている鉄製の棒がいくつも連なった光景を見て、絶句してしまう。
「何ですか、この鉄格子は……」
「まるで牢屋だわ。……私達を逃がさないようにするためかしら」
アイリスが念のために短剣の刃先で鉄格子にそっと触れてみるが、特に何かしらの細工はされていないようで、ただの鉄格子だということが分かった。
イトが試しに鉄格子を動かせるか、握って引っ張ったり、力を加えてみたりと試してみるが、やはり微動することはなかった。
自分達の周囲を囲むように鉄格子は立っている。唯一、出口らしい鉄製の扉を見つけたが、外から鍵がかかっているらしく、開けることは出来なかった。
「魔力を魔符に最大限に込めれば、何とか爆破の魔法で壊せるかもしれません……」
本当は魔法を使うことは苦手なのだろうが、イトは使える手は使うべきだと言わんばかりに、すでに腹を括っているようだ。
しかし、視界の端に何かが映った気がして、アイリスはイトの肩を軽く叩いた。
「……待って、イト」
「どうしましたか」
「ねえ……。向こう側に鉄格子が立っているの、見える?」
アイリスはゆっくりと指差す。向かい側にも自分達を閉じ込めている鉄格子と同じものが並んでおり、その中に何かが見えたのだ。
暗視の魔法がかけてあるとは言え、その効力は魔法をかけた本人の力が及ぶ範囲でしか効力は発揮出来ないものとなっている。
イトは元々、魔法を使うことが普段から少ないこともあり、暗視の魔法もあまり得意ではないらしく、広範囲で視界が開けているわけではなかった。
二人は横に並んで、向かい側にある鉄格子の中にあるものをよく見ようと目を凝らす。そして、鉄格子の中で横たわっているものを見つけて、引き攣ったように息をした。
「っ……!」
「リッカっ!」
鉄格子の中に横たわっていたのは、リッカだった。その表情は青白いままで、距離が少し離れたこの場所からでは、息をしているのかさえ分からない。
「リッカ! ねえ、しっかりして……!」
名前を呼んでも返事はなく、目は閉じられたままだ。反応を見せないリッカの姿を映してしまったアイリスは思わず、身体全体から血の気が引いてしまいそうになる。
「……っ! アイリスさん、周りを見て下さい」
急かすように名前を呼ばれ、アイリスはイトの言葉に従うように周囲を見渡してみた。
そこには同じような鉄格子が、通路の先が見えない奥にまで続いており、そしてその中にはっきりと影が見えたのだ。
「……人間、じゃない」
ぼそりと呟くイトの言葉は震えていた。アイリスも自分の瞳が映しているものが現実なのか、受け止めきれないでいる。
「獣……」
それぞれの鉄格子の中には二、三体ずつの獣がいた。
獣と言ってもその種類は様々で、犬のような姿のものもいれば、熊のように大きいものもいる。
ただ、それら全てが動物のような姿をしているだけで、決して動物と同じとは言えない程に、歪な姿をしていた。
目が普通ならある場所ではない部分にあったり、足が一本多かったり、そして口元は何故か血が垂れて真っ赤に染まっている。
向こうはこちらの存在に気付いているらしく、恨むものを見るような視線を向けてきていた。
どうやら通路の奥まで鉄格子は続いているらしく、同じように鉄格子に囚われている自分達がこの場所から獣の数を数えることは困難だろう。
「魔物……?」
アイリスが確認するように首を傾げるとイトが難しい顔をしながら答えた。
「魔力が微かに感じるものもいれば、全く持っていないものもいます。……ですが、やはりこれらの獣は魔物に近い生き物ではないでしょうか」
「……セプスさんがこの場所に魔物を隠していたということかしら」
「それは……」
イトはぐっと言葉を飲み込んでしまうが、彼女も同じように疑問に思っているため、安易に答えることは出来ないと言ったところだろう。
一瞬、リッカが先程打ち明けてくれた、島人が獣へと姿を変えた光景を見たという話を思い出し、アイリスは身震いする。
……リッカの話を信じていないわけじゃないけれど、でも目の前にいる獣は魔力を持っているもの。
ただの魔物だと、そう信じたかった。それはきっと、自分の心の甘さが、嫌なことは信じたくないと訴えているからだろう。
鉄格子の中に入れられている魔物達は口元を赤く染めており、明らかに敵意をむき出してこちらを見ている。
この魔物達が、島人達が姿を変えたものだとは信じたくはない。
そもそもこの場には、彼らが人間だと信じる材料などはなく、これら全てがアイリスの心の中で沸き起こった不安的要素でしかないのだ。
アイリスは小さく頭を横に振ってから、忘れるように話題を変える。
「そういえばライカは……あの子の姿は見えないようだけれど……」
横たわっているリッカの隣にライカの姿はない。他の鉄格子の中かと思い、周囲を見渡してみるが、それでもやはりライカの姿を見つけることは出来なかった。
「いないわね……」
恐らく、セプスによって自分達はこの場所へと運ばれて、閉じ込められているのだろう。
今なら、セプスが近くにいないようなので、リッカとライカを連れて、この奇妙な場所からすぐにでも出て行ってしまいたかった。




