嫌がらせ
翌日からアイリス達の幽霊捜索が始まった。
主に学園内で調査しているのはここに学生として通っている団員ばかりらしい。そのため、ミレットが、この任務は回されている団員の人数が多くても案外、手こずりそうだとこぼしていた。
「でも、幽霊って言っても……。私達の専門じゃないし、簡単には見つからないわよ」
昨日と同じ中庭で、昼食を摂りながらアイリス達三人は今日の午前中までの調査結果を報告し合っていた。
しかし、魔力の気配を感じることは出来ても捜索相手は幽霊だ。その気配を察知することは難しいため捜索は難航していた。
ミレットの方はと言うとお得意の情報収集を駆使して、誰がどこでどの時間に幽霊を見たかということを地道に聞き回っていた。
恐らく、彼女が一番動いてくれていただろう。
「まぁ、絞り込んだ情報をもとに結果だけ言うと、幽霊は高い場所だったり、人が滅多に行かないような倉庫で見かけられているわね」
「何でわざわざそんな所に出没するのよ……」
今日の昼食は固めのパンにチーズと薄く切った肉、野菜を挟んだもので、何とクロイドが作ってきてくれたものだった。
彼は料理を作るのが趣味らしく、時間がある時はよく作ったりしていると言っていた。
今日、作って来てくれたこの昼食にも何かの調味料を使っているのか、簡素な作りにもかかわらず、味がとても好みで美味しかった。
「でも、変な幽霊なのよ。半透明だからすぐに幽霊だって気づくらしいけど、人に出くわすと背中を向けてすぐに逃げちゃうんですって」
「……人間が怖いのか? いや、そもそも幽霊も元は生きていた人間だよな」
首を傾げて腕を組むクロイドにアイリスも同意するように頷く。
「とにかく、人気の無い場所を重点的に探せばいいのよね? でも、見つけたとしても魔法を使わないと捕まえられないわね。……そう言うわけでクロイド、捕獲の方は宜しくね」
「ああ」
以前、彼に貸していた魔法に関する本の中には相手を束縛する魔法も載っていた。霊体相手に効くか分からないが試さないよりはましだ。
アイリスはパンの最後の一欠けらを飲み込み、スカートの上にかかったパン屑を落とすように手で叩いてから立ち上がる。
「さてと……。私、日直だから次の授業で使う資料を取りに来て欲しいって先生に頼まれているのよね」
「そうだったわね。手伝おうか?」
「そんなに重いものじゃないから、一人で平気よ。まだ休み時間、残っているから二人はゆっくりしていて。クロイド、昼食を作ってくれてありがとう。美味しかったわ」
アイリスに返事するようにクロイドは少し嬉しそうに頷いた。二人に背を向けて、アイリスは校舎へ向かうべく歩き出す。
だが、中庭から校舎の中へと入れる渡り廊下へと足を踏み出そうとした時だった。
「アイリス!」
クロイドが突然、鋭い声で叫んだのだ。
何かが起きたと確認する前に、名前を呼ばれたアイリスは反射的に後ろへと飛び下がった。
――ばしゃんっ!
派手な音がその場に響く。視界を上から下へと大きく横切った先には、自分がさっきまでいた場所に大きな水溜りが出来ていた。
「上よ!」
ミレットが指差す方向はアイリスの頭上にある二階の渡り廊下だった。一瞬だけだが、こちらから見えない位置へと身を翻す影が見えた。
「……」
アイリスの位置からでは、誰がいたのか分からず、ただ現状に対して顔を顰めるしかない。
そこへクロイドとミレットが慌てたように、自分のもとへと駆け寄ってきた。
「大丈夫!? 濡れてない?」
あちこち触ってくるミレットにアイリスは平然と返事をする。
「ええ。でも一体何だったのかしら……」
自分への嫌がらせだとは分かるが、ここまで露骨にされたのは始めてである。今までは、せいぜい物を隠されたり、悪口を言われる程度だった。
もちろん、物を隠された時はミレットが魔法ですぐに見つけ出してくれるので、特に気にしてはいなかった。
「人影は見えた。一人だけではないみたいだったが……」
あまりにも突然の事で遠くから今の光景を見ていた二人も、誰が二階から自分へとバケツの水を被せたのか見えなかったらしい。
「それにしても、酷いことするわねぇ……」
水溜りを見てみるとただの水ではないらしい。どこから土を持ってきて混ぜたのかは知らないが、水溜まりの水は黒茶色に濁っていた。
色の付いた水を被れば、服が汚れるだけじゃ済まないだろう。全く、幼稚なことをするものだと呆れるしかない。
「これって、泥水?」
「みたいだな……」
「最低よ。誰がこんなこと……」
ふと、会話をしている途中でミレットの顔が歪む。
「どうしたの?」
「いや、思い当たりが少しあるんだけれど、確証がないからね」
「……ハルージャか?」
そういえば、クロイドはハルージャがアイリスに嫌味を言ってくることを知っていた。なのでつい、彼女を思い出したのだろう。
「ハルージャにこんな度胸はないわね。最初にあなたに会った時に、それまでは散々嫌味を言っていたのに、階段から偶然にも私を突き落とした時の顔は真っ青だったでしょ? あの子は嫌味は言うけど、あからさまな暴力で嫌がらせは出来ないわ」
教団にも学園にも意外と敵が多いもんだとアイリスは深く溜息を吐くしかない。
「うーん……。任務だけじゃなくて、そっちの策も練らないとねぇ……」
ミレットが唸るように独り言を発するが、何に対する策なのかは聞かなくても分かっていた。
アイリスはこういった陰湿なものはあまり気にならない、というか気にしないがミレットは物凄く怒るのだ。
友達思いなのは嬉しいが彼女にまで嫌がらせなどが及ばないか心配でもある。
「……やはり、一緒に行こう」
何かを心に決めたのかクロイドは黒い瞳でアイリスを真っ直ぐ見てくる。こういう表情をしているクロイドは結構、頑固だと知ったのはつい最近だ。
これは断っても勝手に付いてくるに違いないと思ったアイリスは困ったような顔で苦笑するしかなかった。