下種の所業
「さて、それじゃあ実験室に行こうか。……大丈夫、リッカ達と一緒に君達も連れて行ってあげるよ」
「……」
恐らく、何を言ってもこの拘束を解く気はないのだろう。アイリスとイトが拒絶するように睨んでいると、セプスは少し困ったように笑みを浮かべてから、再び白衣のポケットの中へと手を突っ込む。
「どこにあったかな。確か、左のポケットに……」
そう言って、取り出したのは栓がされた細い瓶だった。透明な液体が入っているように見えるが言われなくても、口に含めるべきではないものだと直感が告げていた。
「多分、この薬のはずだけれど……。まあ、身体に後遺症は残らないものだから安心してくれて構わないよ」
「何をする気なの……!」
「君達二人には暫く眠ってもらう。他のお仲間が戻って来る前に場所を移動したいからね。さすがに数人相手だとこちらに分が悪いし」
セプスは動けないでいるイトの前へと腰を下ろしてから、瓶の栓を片手の指だけでぽんっと音を立てて抜いた。
「……」
イトはセプスが自分に何をする気なのかすぐに気付いたのだろう。意地でも口を開けないようにと歯ぎしりをするように固く閉ざしていた。
それでもセプスはイトの頬に手を添えて、薬を口の中へと入れる機会を待っている。
「ほら、口を開けなさい」
「……」
「やめて、イトから手を離して!」
アイリスが制止の声を上げても、セプスは口元を緩めたまま、話を聞こうとはしない。
「心配いらないよ、ただの眠り薬さ。……同じものを君にも飲ませるつもりだから、安心したまえ」
「っ……」
しびれを切らしたのか、セプスはイトの頬を左手で強く掴み直してから、無理矢理に指を咥えさせて口をこじ開けていく。
「やめて……!」
「……っ」
「痛っ……。本当に君は反抗的な子だな?」
動くことが出来ないイトが最後の抵抗として、無理矢理に咥えさせられたセプスの指を噛んだらしい。
彼は一度、手をイトから離して、自身の指がそこにあるかを確認する。セプスの指からは赤い雫が少し垂れて、流れていた。
「犬のような子だ。だが、僕が好きなのは忠犬でね。言うことを聞かない野良犬は嫌いなんだ」
セプスの瞳がきらりと鋭く光ったように見えた次の瞬間、セプスはイトの横腹を強く殴ったのである。
「がはっ……」
抵抗出来ないまま、攻撃を受けたイトは突然の衝撃によって口を開けてしまう。
その機会を待っていたと言わんばかりにセプスは栓を開けた瓶の中身をイトの口の中へと垂らして、そしてちゃんと飲み込むようにと鼻を指で摘まみ、口が開かないように顎を支えるように押さえ始める。
「イト……! イト!!」
「んぐ……。んっ……」
イトは無理矢理に飲まされた薬を何とか吐き出そうとしているが、それでもセプスが口と鼻を抑える手が離れることはない。
「イト……!」
「……中々、しぶといね」
セプスは二度目となる殴打をイトの横腹へと放った。
「っ……!」
その衝撃により、イトは口の中に含んでいた薬を喉の奥へと通してしまう。
それを確認してからセプスがイトから手を離すとイトは腹部による衝撃と喉に無理矢理に通っていった薬を吐き出そうと強く咳き込み始めた。
「この、下種がっ……」
咳き込みつつもイトは恨むものを見るような鋭い瞳で、セプスを睨む。それでも薬が即効性であるのか、彼女の表情は少しずつ虚ろなものへと変わっていく。
「イト、しっかりして!」
「……っ。アイ、リ…‥ん。す、みま……せん……」
もう、アイリスの声が聞こえていないのか、イトの表情はふっと突然、糸が断ち切れたように動かなくなり、反応も返ってこないものとなる。
「イト! イト、しっかりして!! ねえ……!」
「無駄だよ。……まあ、即効性があるとは言え、早くても一時間後くらいにしか目が覚めないだろうね」
「あなた……。今、自分が何をしているのか、分かってやっているの!?」
地を這うような低い声で、アイリスが言い放つと彼はそれがどうしたと言わんばかりに肩を竦めて返してくる。
「だって、僕の実験の邪魔をしようとする君達が悪いんだろう? ……僕の忠告をちゃんと聞いて、この島からさっさと出て行ってくれれば、生きていられただろうに。本当、余計な事ばかりしてくれるよ」
「……よくもまぁ、そこまで自分勝手な考え方が出来るわね」
「自分が持っている世界なんて、結局は自分が中心に回っているものさ」
セプスは軽く笑ってから、今度はアイリスの方へと近付いて、そして真正面へと座り込む。
「大丈夫、君に手は出さないよ。ああ、でも……もしかするとブリティオン王国のローレンス家にはその身を渡すかもしれないけれど」
「なっ……」
「何でも君の身体は一番最後に必要とされているらしいからね。……おっと、これは余計なことを喋ってしまった。今の言葉はエレディテル君達には秘密にしておいてくれ」
そう言って、にこりと笑ってから彼はアイリスの頬を右手で強く掴んでくる。
「良い子にこの薬を飲んでくれるかい? ……でなければ、君のお仲間を先に殺してしまうよ?」
「っ……」
セプスはアイリスには何が一番利くのかを良く理解しているらしい。アイリスが悔しそうに表情を歪めると、その顔を待っていたと言わんばかりに不気味な笑顔で返してくる。
「さあ、飲みたまえ」
口元へと近づけられた薬を飲めば、自分とイトと同じように眠ってしまうことは分かっている。
……どうすれば。
クロイド達を呼ぼうにも、もう彼らがこの近くにいないことは分かっている。ならば、どの選択が最善なのかをアイリスは短い時間で巡らせてみる。
……駄目だわ。何も浮かばない。身体が動けたら、少しは希望があったのに……!
アイリスが中々、薬を飲まないことに呆れているのか、セプスの手がアイリスの顎へと添えられて、口の中に無理矢理に親指をねじ込まれてしまう。
「っ……」
開いた口の隙間にセプスは薬を少しずつたらし込んでくる。その薬が舌いっぱいに広がっていき、アイリスは表情を強く歪めた。
「抵抗する権利は君にはないよ。少しでも僕の意に反することをすれば……そこにいる少女の首が真っ先に飛ぶと心得ておくといい」
「……」
この薬は速攻性があると言っていたが、どうやら全てを飲み込まなくても、口に含めただけで効果が表れるらしい。
一瞬だけ、気が遠くなったのを感じたアイリスはセプスが手を離したのと同時に少しずつ口から薬を零す。
「……無駄だよ。一度、口に入れてしまえば、すぐに効果が表れるからね」
アイリスの小さな抵抗を蔑むように見下ろしつつ、セプスはゆっくりと立ち上がる。
「さて、君達をどうやって運ぼうかな。……ああ、彼らを使えばいいか」
セプスはどこかに向かって、指笛を吹いた。その音をどこか遠くに聞きつつ、アイリスは何とか意識を保とうと、歯を食いしばる。
……睡眠系の攻撃に対する防御か抵抗の方法でも覚えておけば良かったわ。
そう思っても、今ではすでに遅い。ちらりと視線だけを向ければ、イトが表情を歪めたまま瞳を閉じていた。
自分もそうなってしまうと自覚した時、身体が一段階、重くなったのを感じてしまう。
……もう、視界が……ぼやけて……。
アイリスが強い眠気によって、意識を手放す瞬間、最後に聞こえた一言は嘲りが含まれているものだった。
「……さて、あとの二人も捕まえて……ちゃんと殺さないとね」




