実験体
「……魔法陣が砂で書かれていますね」
イトがひっそりと呟いたため、アイリスが自分達の身体の下にある魔法陣の線を注意深く見てみると、それは砂で書かれているものだった。
恐らく、元々魔力を有していて、対象を捕らえる際に発動するようになっている魔力いらずの魔具なのだろう。
何とも凝ったことをするものだとアイリスは溜息交じりに試しに砂に向けて強く息を吹きかけるが、微塵も動くことはなかった。一度描いた魔法陣が崩れない仕組みになっているらしい。
何故、セプスがブリティオン王国のローレンス家と知り合いなのかは詳しく聞きたいところだが、アイリスが尋ねるよりも早く、セプスは雄弁に喋り始める。
「いやぁ、アイリスという名前を聞いた時、どこにでもある名前だろうと思っていたが、君達の行動を見ていて、ふっと気付いたんだ。……もしかすると教団の者かもしれないって」
「……いつから私達の正体に気付いていたの」
出来るだけ、教団の人間だと知られないように行動していた。そもそも、一般人は教団の存在自体を知らないため、名前や存在を公にしないように注意深く話していたはずだが。
「君達が森の中へと入って、エディク・サラマンが身に着けていたものを見つけたと話しに来た時かな」
「……」
つまり、数日前からアイリス達の正体に気付いていたらしい。だが、魔力を持っていない彼がその疑心だけで気付くものなのだろうか。
「最初はエディクさんを捜しに来たただの知り合いだと思っていたが、まさかクリキ・カールも知っているとは予想外だったよ。……その時に気付いたんだ。教団出身者であるエディクさんとクリキさんを知っているなら……君達は教団から送られて来た人間なんじゃないかと」
「……何故、お二人が教団出身者だと知っているのですか。教団の規定により、一般人には正体を明かさないように決まっているはずです」
話を聞いていたイトがぴしゃりと言い放つと、セプスはそれを嘲笑するように鼻で笑い返してきた。
相手を苛立たせるような反応にアイリスは額に青筋を浮かばせたが、冷静さを失ってはいけないと覚り、深呼吸する。
「どうせ、君達も同じようになると思うから、先に言っておくよ」
セプスは倒れたままのアイリス達を冷めた表情で見下ろしつつ、白衣のポケットから一本の注射器を取り出す。
「僕はとある実験をやっていてね。その実験は……魔力を元々持っている人間が受けてしまうと、予想に反する結果が出てしまう場合が多いんだ」
「……面倒な言い方をせずに、もっと簡潔に話せないんですか」
イトが斬り込みを入れるように言葉を吐き捨てると、セプスは少し肩を竦めながら、仕方ないというような表情を浮かべた。
「せっかちな子はあまり好きじゃないんだよね」
セプスはそう告げると、イトの背中に向かって、右足を振り下ろしたのである。
「ぐっ……」
セプスに細い背中を踏まれたイトはその痛みによって、更に表情を歪ませていた。
「イトっ……! ……やめて!」
アイリスがイトを踏み続けるセプスに対して、止めるように大声で叫んだが、それでも彼は足を退けようとはしなかった。
「ははっ……。その命令はお断りかな。もし、アイリス・ローレンスに遭遇する場合があれば、手を出してはならないと言われてはいるが、それ以外の魔法使いはどう扱おうが好きにしていいと言われているからね」
月の光の下で、口元に弧を描くセプスの表情は明らかに常軌を逸しているように見えた。彼は「普通」ではないと頭の中で警鐘が響いていく。
「こ、の……」
「ああ、君は女の子だったのか。だが、骨と筋肉ばかりで踏みごたえがあまりないな」
「──やめて!!」
アイリスが今、出せる声量で声を張るとセプスはイトを踏んでいた足を止めてから、ゆっくりと振り返る。
「他人がどうなろうと知ったことではないだろうに、君は本当にそういう人なんだね」
どこか呆れたようにも呟きつつも、アイリスの訴えを聞き入れてくれたらしくセプスはイトの背中から足を退けた。
イトは軽く咳き込んでいるが、視線で自分は大丈夫だと告げて来たため、アイリスはひとまず安堵の溜息を吐いた。
「……なあ、君達はリッカとライカの様子を見ていたんだろう? 二人とも、どんな様子だったかな?」
「っ……。あなたは一体、どういう神経を持ってそんな最低なことを訊ねているの」
「嫌だなぁ。ただの確認だよ。そろそろ実験の結果が出る時期だと思ってね。でなければ、こんな時間に手間暇かけて、わざわざ外へとおびき寄せたりするものか」
「……彼らを見て、何も分からないんですか」
イトが苛立ったように呟くと、セプスはリッカ達へと近寄り、その顔を覗いては納得するように頷いている。
「ふむ……。吐血と……青白い顔。そして、脈はいつもより早めか。……魔力反応の方はどうかな」
「え?」
セプスは次に白衣のポケットからとある物を取り出した。それはアイリスが持っている「魔力探知結晶」とよく似た結晶の形をしており、結晶が付いた紐を空中に垂らしてから、セプスは何かの反応を窺っている。
アイリスが目を凝らして、セプスが持っている結晶を見てみると、結晶の中には今にも消えそうな二つの炎がゆらりと動いていた。
「おや、微かに反応したな。ここまではとりあえず、成功か。それじゃあ次の段階にいかないとなぁ。……でも、いつもここで失敗するから、今日こそは上手くいってくれよ?」
そう言って、セプスはリッカとライカの身体を軽くぽんっと叩いてから、立ち上がる。
まるで、作業を淡々と行っているように見えて、アイリスの身体はひやりと冷たいもので覆われていく気がした。
……この人は、何かがおかしい。どこかがおかし過ぎる。
セプスは本当に、リッカ達をただの実験体としか思っていないのだ。結果だけを集めるために、彼は単純作業を行っているように見えて、アイリスは吐き気がした。




