卑劣
「……セプス・アヴァール」
イトが恨めしいものを見るような瞳でセプスを睨んでいる。吐き捨てるように呼んだ名前に対して、セプスはどこか満足そうに頷き返していた。
「あなたがこの魔法陣を設置したんですね」
「そうだとも。だが、君達二人まで捕らえられていたとは思っていなかったよ。……あとで準備がしっかり整ってから、君達の相手をしようと思っていたのになぁ」
のん気そうに呟くセプスの言葉をわざと切るようにアイリスは声を張った。
「……リッカ達を捕まえるためにこの魔法陣をわざわざ家の前に施したというの」
「うむ、その通り。ちゃんと捕まえないと、子どもは逃げ足が速いからな。……それにリッカは何か気付いているようだし、これ以上逃がすわけにはいかないからね。……やぁ、ライカにリッカ。君達を迎えに来たよ」
そう言って、セプスはリッカ達の頭を優しく撫でる。だが、二人は気絶しているため、反応はないようだが、それでもセプスは満足気に頷いていた。
「……リッカ達をこんな状態にしたのはあなたの仕業ね」
「こんな状態だなんて、言い方が酷いな。これでも僕は実験体達を丁寧に扱っているつもりだよ。何せ数に限りがあるからね」
リッカ達のことを実験体と言い切ったセプスに対して、アイリスの頭の中で熱い感情がふっと湧き上がって来る。
しかし、それを表に出してしまえばセプスの思うつぼだろうとアイリスは感情を押さえ込んだ。
「……どうやって、リッカ達を外へと誘導したの。さっきまで、様子は普通だったのに……!」
「ほら、先日君達に話しただろう。……幻覚が見える植物がこの森の奥には生息しているって」
「本当の話だったというの?」
リッカの話を聞いたあとでは、セプスによる偽りだと思っていたが、どうやら違うらしい。
「この植物を調合した薬を人間に投与することによって、一種の幻覚や幻聴を起こすことが出来るんだ。まぁ、世間一般的には違法な薬物の一種だとでも思っておいてくれ」
「酷い……」
歯ぎしりを立てながらイトが言葉を零すと、セプスはにやりと小さく笑みを浮かべていた。つまり、本人達が知らない間に、彼はリッカ達を薬漬けの状態にしていたということだ。
注射器によって投与していたのは、幻覚症状を抑えるための薬ではなく、その真逆となる幻覚と幻聴を起こすための薬だったのだ。
「一度、この薬を身体に入れた者は、無意識にその薬の味を覚えて欲してしまうらしい。まさか、匂いでおびき寄せる使い方があるとは意外だったけれど、今まで随分と役に立ったよ」
そう言って、セプスは白衣の中から何かの布包みを取り出して、それをアイリス達の前へと放り投げてきた。
液体らしきものが染み込み、少し濡れたように見える布は何かを包んでいるらしい。
「……アイリスさん、あまり匂いを嗅いではいけません」
素早くイトが言葉を吐きつつ、布の包みから顔を背ける。
「……甘い、匂い?」
布に包まれたものからは、鼻を突くような甘い香りが漂って来る。まるで度数の高い酒のようで、少し嗅いでしまえば酔いそうな程に強い匂いがその場を満たしていく。
アイリスも甘すぎる匂いの強烈さに顔を顰めながら背けた。
「例の植物を僕が独自に調合して、煮詰めたものだよ。随分と強烈な匂いだろう?」
低く笑いつつ、セプスはアイリス達に匂いを嗅がせようと更に布の包みを開いてから、アイリス達の身体の上へとかけ始める。
「っ……」
甘ったるい匂いが頭上から降って来て、アイリスは表情を歪ませながら、匂いを嗅ぐまいと顔を逸らし続けた。それでも液状化している植物は服に染み込むように色を付けていく。
もし、この匂いを鼻が良いクロイドが嗅いでしまったら、自分よりも悪い影響を受けていたかもしれない。
「この匂いはとても濃くて、広範囲に広がっていくんだ。一度身体に薬を入れた者は敏感に反応してくれるから、これを夜中に診療所の軒先に吊るしておくだけで、この匂いを辿って、あっという間に実験体が集まって来てくれるんだよ」
「……つまり、この植物を使った薬をリッカ達の体内に入れて、身体が植物の匂いに反応するように薬に慣れさせていたってことでしょう? ……最低過ぎて、反吐が出るわ」
アイリスがセプスを睨みつつ訊ねると、彼はその通りだと答えるように頷き返した。
「これが神隠しの一つ目の正体というわけだ。家に居たはずの人間がいつの間にか家からいなくなっている……。それは僕が彼らにこの薬を事前に与えてから、夜におびき寄せていたのさ」
リッカが先程言っていた話を思い出す。行方不明になった者達は前日くらいに具合が悪くなって診療所に行く者が多いと言っていた。
その際にセプスは診療所へと来た者達にこの薬の効き目が強いものを投与して、人知れず自分の足で「行方不明」になるように施していたのだ。
そうすることで、セプス自身から目を逸らし、神による「神隠し」が起きたと島人達に思わせることが出来るように仕組んだのだろう。
「あなたほど、やり方が卑劣で最低な人、見た事ないわ」
その手際の良さと、やり方の卑劣さにアイリスは言葉を吐き捨てる。
「何とでも言うというさ。……今だけは君達も元気でいられるだろうからね」
その言葉は自分達にも同じ薬を投与すると言っているようにも聞こえた。イトも同じように読み取ったのか、表情が一瞬だけ強張って見えた。
だが、弱みを見せてはいけないとアイリスは無表情のまま、セプスを睨み続ける。
「それで、改めて問うけれど……君達は『嘆きの夜明け団』の人間だね?」
「……教団を知っていたのね」
アイリスは何とか立ち上がろうと身体に力を入れてみるものの、やはり動けないように施されている魔法であるため、身体は震える程しか動かなかった。
「知っているよ。そして……アイリスさん。君が何者かも知っている」
「……何ですって?」
セプスは眼鏡を少し指先で上げつつ、どこか愉快そうに続きを話した。
「アイリス・ローレンス。……イグノラント王国のローレンス家当主、だろう?」
「どうして、それを……」
セプスは魔力を持たない一般人のはずだ。それにも関わらず、どうして名前だけしか告げなかったアイリスの苗字、そして立ち位置を知っているのか。
「『永遠の黄昏れ』を知っているかな?」
「っ……! あなた、ブリティオン王国の魔法使いだったの!?」
「いや、少し違うかな。……僕はブリティオン王国のローレンス家当主、エレディテル・ローレンスに研究を後援してもらっているただの魔力無しの人間さ。この魔法陣もエレディテル君が僕に魔具として与えてくれたものだよ」
エレディテル・ローレンスと彼ははっきりと言った。
先日、教団を襲った混沌を望む者もエレディテルによる回し者だった。そして、以前イグノラント王国に訪れていたセリフィア・ローレンスはエレディテルの妹だ。
……ブリティオン王国のローレンス家に情報を与えられていたから、私のことを知っていたということ?
しかし、短い期間の中、連続で「ブリティオン王国のローレンス家」が関わっている件に遭遇するとは思っていなかったため、アイリスは難しいことを考える表情のまま、黙り込む。
……明らかに彼らは怪しい動きをしているのに。
自分の知らないところで、ブリティオン王国のローレンス家は何かを企んでいる。それは分かっているのに、影のように背後から追って来る気がしてならなかった。
憤りと不気味さが胸の奥に浮かんでは渦巻き、そして黒い靄となってしまう。自分は何も知らず、そして分からないままなのだ。




