宿されたもの
イトが吐いた言葉をアイリスは、呆然と聞いていた。彼女は「リッカとライカに魔力が感じられた」と言ったのだ。その意味は分かっている。だが、二人は元々魔力を持っていない一般人のはずだ。
「っ……」
アイリスは借りている部屋へと踵を返して、自分の荷物の中から「魔力探知結晶」を取り出してから三人のもとへと戻った。
鼓動が、早まっていく。焦ってはいけないと分かっているのに、結晶が下がっている紐を指に絡めることさえ簡単には出来なかった。
「……示しなさい」
紐を手に取って、結晶を真っすぐと垂らす。これは魔力があるものに反応する魔具だ。もし、リッカとライカに魔力が備わっているというのなら、すぐに分かるはずだと結晶が反応する瞬間を待った。
「……そんな」
その一言が零れてしまう。魔力探知結晶の中には二種類の小さな炎が浮かんで、揺らめいていた。そして、結晶はゆっくりとリッカ達を示すように前後へと大きく揺れ動いていたのである。
結晶が示したのは、リッカ達の体内に魔力が存在しているという証拠だった。
「魔力って、突発的に体内で発生するものではなく、通常は生まれ持って来るものですよね」
イトが再確認するように声を少し震わせながら訊ねて来る。
「ええ。……魔力を持っていない者が突然、魔力を体内に宿すなんて、そんなこと……有り得ないもの」
ずっと前まで、魔力を欲していた自分だからこそ分かる。目の前で起きている現実は明らかに異常とも呼べるものだった。
魔力を持っていない人間が突発的にその身に魔力を宿すなど、教団が始まった数百年の歴史の中でどれほどの数、起きただろうか。
……ない。そんなこと、今まで起きたことなんて……なかったはず。
魔法と魔力に関する知識がこの頭には入っている。だが、魔力を身体に宿す魔法どころか、記憶を辿ってもそんな方法など存在していなかった。
アイリスは魔力探知結晶を持っていた手をゆっくりと振り下ろした。
何が起きているのか。この姉弟の身に、何が──。
だがアイリスが考えるよりも早く、次の動作がリッカ達に見られ始める。
それまで苦しそうに息をしていたリッカとライカだったが、一瞬、強く脈打ったように身体が跳ねたのだ。
「っ……!」
「リッカ……? ライカ?」
そっと名前を呼んでみても二人から反応は返ってこない。
それまで、浅く呼吸していた肩は動かなくなり、二人はまるで人形のような虚ろな表情へと変わっていた。瞳も動かないままで、ただ虚空だけを見つめている。
「……」
「二人とも、しっかりして……!」
アイリスが軽く肩を揺らしても二人は動かない。
「どうすれば……」
さすがのイトもこの現状に対してどのような処置を取るべきか頭を抱え始める。
……違う。これはリッカ達の身体に突然、異変が起きたわけじゃない。何か、他に原因があるはず──。
でなければ、それまで魔力を持っていなかった者が突然、魔力をその身に宿すわけがない。
その上で、一つ考えられることはやはり、セプスがリッカ達へと打った注射器の薬が関わっているのではと疑わずにはいられなかった。
しかし、それまで虚ろの表情を浮かべていたリッカとライカはふっと力が抜けたように椅子から立ち上がり、そして、歩きだしたのである。
「っ!? 待って、動かないで!」
アイリスが制止する声に従うことなく、二人は家の扉に向けてゆらりと身体を揺らしながら進み続ける。
「リッカ、ライカ! しっかりして下さいっ」
イトがリッカの腕に触れようとしたが、その手はすぐに抵抗するように弾き返されてしまった。
「……でる」
「え?」
「呼ん、でる……」
リッカは虚ろな瞳をしたままぽつりと呟き、とうとう家の外へと出てしまう。暗闇が続く外へと出た二人はおぼつかない足取りのまま、アイリス達の制止の声も届かずと言った様子で進んで行く。
「待って! 外に出ないで……」
イトもすぐに二人を追いかけて、家の外へと出ていく。
アイリスもスカートのポケットの中に魔力探知結晶を入れてから、イトに続いて外へと出たがその瞬間、唐突にイトが叫んだのである。
「──アイリスさん、戻って!」
「え……」
イトの声が聞こえた時には、すでに遅かった。
突如、アイリス達の足元が光り出し、身体に重荷が課せられたように地面に膝をついて動けなくなってしまったのである。そのまま地面に引き寄せられるようにアイリスの身体は、前のめりに倒れていく。
「か、はっ……」
気付いた時には地面の上へと身体が伏せった状態になっていた。
息をすることは出来るため、アイリスはその一瞬で何が起きたのか知るために目を開いた。見えたのは倒れている自分の身体の下に大きく描かれた青白く光る魔法陣だった。
「何、これ……」
「くっ……」
アイリスの近くで倒れているイトは何とか起き上がろうと身体に力を入れているようだが、やはり身体が石のように固まってしまい、動けずにいた。
「っ……」
アイリスはぱっと前方を見渡していく。そこには同じように魔法陣の上に倒れているリッカとライカの姿があった。二人とも気を失っているのか、目を閉じたままだ。
「リッカ、ライカ……!」
声をかけても、倒れている二人から反応は返って来ない。何が起きているのか、この身をもっても理解出来る状況ではなかった。
「この魔法陣の魔力……。リアンとクロイドさんのものじゃありません」
表情を歪めつつも、イトは顔を少し上げてからはっきりと言い切った。
「でも、この島には魔力を持った人はいないはずよ」
一軒家程の大きさに広がっている魔法陣だが、綴られている文字を見ても、知っている魔法陣の種類ではなかった。
「……魔物討伐課でたまに使われる魔法の一つに似ています。魔物が通りそうな位置に事前に魔法陣を施しておいて、一歩でも足を踏み入れてしまえば、動けなくなるものがあるんです」
「なっ……」
イトは冷静に説明してくれるが、彼女の額には汗が浮かんで見えた。まさか、自分が魔物を捕獲する魔法陣と似たものに動きを取られてしまうとは思っていなかったのだろう。
「そもそも、私達が使っている魔法陣は対魔物用なので、人間が足を踏み入れても影響はありません。ですが、この魔法陣は……」
「人間用っていうことね。……でも、一体誰が……」
だが、アイリスが問うよりも早く、その場に足音が近づいて来る。
「……どうやら、この魔法陣を仕掛けた本人の登場みたいですね」
嫌味ったらしくイトは吐き捨ててから、顔を前方へと上げる。
その場にもう一つの気配を感じて、アイリスも視線だけをその方向に向けると、見知った顔が闇の中から浮かぶように出て来た。
「──魔力反応があれば全員、家の外へ出ていくと思ったけれど、君達は残っていたんだな。……まぁ、想定内かな」
低くも嘲るような声と共に、薄い笑い声が響く。
そこに立っていたのは夜の色に映える白衣を着て、眼鏡の下で不気味な笑みを浮かべてアイリス達を眺めているセプス・アヴァールだった。




