苦痛
魔物討伐課の副課長宛てに手紙を書き終えたイトは最後に自分の名前を記してから、さっそく手紙を教団へと送るべく部屋の窓を少しだけ開けた。
リッカとライカは何をするのだろうかと少し首を傾げながらイトの行動を見ている。イトは鳥型の紙製の魔具に魔力を込めているのか、薄く目を瞑り、集中しているようだ。
そして、瞳を開くと掌に紙製の魔具を載せてから、一人の名前をはっきりと呟いた。
「──ジェイド・ランバルトへ」
イトが名前を呟いた瞬間、それまでただの一枚の紙だった魔具はゆっくりと両翼を羽ばたかせるようにしながら動きはじめ、そして宙へとふわりと浮いた。自分の意識を持って動いているようにも見える。
「わぁ……」
「凄い……」
イトの様子を見守っていた姉弟二人が感嘆の声を上げて、自力で羽ばたいて、空中に浮いている紙を驚きの表情で見つめている。
「──行って下さい。出来るだけ急いで」
イトの急かす呟きに反応するように、紙製の魔具はふっと風が舞うように視界から消えてしまう。
アイリスが窓の外を覗くと白い鳥の形をしたものが高速で空を泳いでいた。そして、鳥型の魔具はあっという間に遠くへと飛んで行ったため、視界には捉え切れなくなってしまう。
「あんなに早いのね……」
「ええ、かなり便利ですよ。まあ、紙製なので雨が降ったら使い物にならないのが難点ですが、そこは現在も魔法課で改良が進められているそうです」
「いいわね。今度、魔具調査課でも扱えるようにうちの課長にも相談してみようかしら」
情報を伝達する方法があれば、任務を遂行する際には連携が取りやすそうだ。
だが、何故か奇妙な気配がして、アイリスが何となく背後を振り返ってみると、そこには先程までとは違う光景が広がっていた。
それまで、椅子に座っていたリッカとライカが何故か項垂れていたのである。
「えっ……リッカ!? ライカ……!」
二人の様子が急変していたことに、驚いたアイリスは急いで二人のもとへと戻る。
つい先ほどまで、明るく言葉を交わしていたというのに、それが唐突に嘘だと告げられたような感覚へと陥ってしまう。
「二人とも、どうしたんですか……!」
イトも驚いているようで、声色が少し強張って聞こえた。
だが、アイリス達が呼びかけてもリッカとライカは台の上に項垂れるように伏せっており、返事をすることが出来ないまま顔を顰めている。
その表情はかなり苦しんでいるようにも見えて、アイリスは自身の血の気がさっと引いていくのを感じた。
「ごほっ……」
「どうしたの、気分が悪いの?」
「……ア、リ……さん……」
リッカが言葉を吐こうにも、苦しみの方が勝ってしまい、途中で声が途切れてしまう。ライカも表情を青白くさせたまま、浅い呼吸を繰り返していた。
数分前までは元気な様子だったにも関わらず、あまりの急変ぶりにどのように対応すればいいのか、アイリスは内心焦っていた。
「イト、治癒魔法は使える?」
「……いいえ、残念ながら」
イトは悔しそうに首を横へと振った。彼女も自分と同じように攻撃特化の人間らしい。
「っ……。それなら、クロイドを呼んでくるわ。彼なら治癒魔法を……」
アイリスがそう言いかけて先程、見回りに行くために家の外へと出て行ったクロイドを呼び戻そうと踵を返そうとした時だ。
「──ごはっ……」
それまでで一番、大きな咳き込みが聞こえて、アイリスは思わずリッカの方を振り返った。視界に映ったのは──鮮やかすぎる赤だった。その色がリッカの口元と胸辺りを染めていく。
「リッカ! 大丈夫ですか、リッカ!」
イトが険しい表情でリッカに様子を訊ねるが、彼女は口から血を零したまま、頷くことさえ出来ずに顔を顰めていた。隣に座っているライカも胸を抑えたまま、苦しそうに呼吸を繰り返している。
……どうして。
この時、頭に浮かんだのはセプスが昼間、リッカ達に向けて言った言葉だった。
──『もし、苦しくなったならば、僕のところに是非来ると良い。僕なら、君達を助けてあげられるからね』
まるで、蛇が獲物を狙って、舌なめずりをしているような狡猾さを含めた表情で言った言葉が脳裏によみがえって来たのである。
「ごほっ……。んっ……」
リッカはまたもや咳き込んで、口から血を零す。
これは、予兆なのだろうか。目の前で起きている、リッカとライカが苦しむ様子は只事ではないと分かっている。
セプスが入念に用意してきた「神隠し」の予兆だというならば、自分は何を選択肢として選べばいいのか。
「ア……リス、さん」
リッカが苦しみながらも、真っすぐとアイリスへと視線を向けて来る。その瞳には身体が自身の血によって真っ赤に染まっていく痛々しい姿とは裏腹に、強い意思が込められていた。
「だめ、です……。あの人は、どうか……呼ば……ないで……」
「っ……」
「助け、るわけ、ないです……。だって……」
少しだけ息がしやすくなったのか、リッカの言葉がはっきりとしたものへと変わっていく。
ライカの方も少し気分が落ちついたのか、深く息を吸い込んでは心臓を押さえ込むように胸に手を当てていた。
「だって、あの人は……。他人が、死ぬところを……笑うような人、ですよ……?」
そう言って、リッカは赤色を引いた唇で自嘲するように薄く笑った。
「絶対に……死んで、たまるものですか。……もし、獣になったら……今度は私が……あの人の喉を、噛み切って、やるわ……」
「リッカ、喋らないで。分かっているわ、セプスさんは呼ばないから。今、クロイドを呼んでくるから……」
アイリスが早口にそう答えると、リッカは満足そうに小さく頷き返す。
リッカとライカの様子が少し落ち着いてきたため、アイリスはすぐにクロイドを呼び戻しに行こうと再び扉へと視線を向きかけた時だ。
「なんで……」
そう、呟いたのはリッカでもライカでもない。イトだった。
アイリスがイトの方へと振り返ると彼女は少しだけ息を震わせながら、有り得ないと言わんばかりに強張った表情でリッカとライカを見つめている。
「イト?」
「どうして、二人が……」
常に冷静であるイトとは思えないほどに、彼女の瞳は大きく見開かれていた。そして、口を開けては閉じることを繰り返している。
「どうしたの、イト」
「なかったのに……。さっきまで、感じられなかったのに……」
アイリスがイトの肩に軽く触れると彼女はぎこちなくアイリスの方を振り返った。そして、普段の彼女からは想像出来ないほどに大きな声で、言葉を吐いた。
「どうして、二人に……魔力があるんですか……!」




