縋る願い
「だが、この島には本来ならば魔物は生息していない。それなのに、魔物らしきものがいるということは、やはりセプスさんが何かしら関わっているんだろうな」
「外部から連れてきて、あの開けた場所でこっそりと飼い慣らしていたのかな。……まあ、教団に属していない人が魔物を飼うのは禁止だけれど」
リアンが首を傾げながら、腕を組みつつ小さく唸る。確かに本来なら、この島には魔物は生息していないはずだ。
だからこそ、魔物討伐課から年に一度の頻度でしか、見回りに来ないようになっている。それほど、魔物に関しては安全だと認識されていたのだろう。
「──それならば」
リッカがぽつりと言葉を零したため、アイリス達は一斉にリッカの方へと視線を向ける。彼女の瞳からは一滴の透明な粒が零れ落ちていた。
「それならば、私が見たものは……『神様』では、なかったんですね」
そう呟きつつ、彼女は嬉しそうに笑ったのだ。
「あの獣は神様ではなかったんですね。……あれを……神様と呼ばなくて、思わなくて、良かったんですね……」
悔しそうに泣いているのに、それでもリッカは喜んでいるようにも見えた。
信じていたものが実は恐ろしい存在だったと知った時の衝撃を彼女はまだ引きずっているのだろう。純粋さを踏みにじられたように思ったのかもしれない。
だが、彼女が見てしまったものは必ずしも神様ではないという可能性を受けて、喜ばずにはいられなかったのだ。
「リッカ……」
「でも、私……。もう、神様は信じていません。見えないものに縋りたくはないんです」
リッカは初めてアイリス達の目の前で見せた涙を軽く手の甲で拭ってから、はっきりと言い放つ。
「私は、自分が信じるものを信じます。だから……皆さんのお話を全部聞かせて下さい。私はその全てを受け止めます」
真っすぐと意思が込められた瞳で、アイリス達を見渡してくる。その言葉と瞳には「アイリス達を信じる」とはっきりとした想いが込められていた。
「……私達は魔物を討伐することが出来る力を持っているわ」
今まで、伝えたくても伝えられなかった想いをアイリスは静かに言葉に載せていく。
「あなたは昨日、私に神様を殺せるか訊ねてきたけれど……魔物が相手ならば、私達でも手が出るの」
「……」
「だから、もう一度あなたに聞くわ。……私達はあなた達を守りたい。力になりたい。……その上で──神様ではなく、魔物を倒して欲しいと願ってくれるなら、この手を取ってくれる?」
アイリスは穏やかに告げて、リッカに向けて右の掌を差し出した。リッカはアイリスの瞳と掌を交互に見やる。そして、彼女はアイリス以外の三人へと視線を向けた。クロイド達も同様に頷き返している。
「頼っても……いいのですか」
「ええ」
「私、何もお返し出来るものがないんです。何も……。それでも、私とライカを……守って、くれるんですか」
リッカの言葉は震えていた。言葉だけではない。彼女の全てが震えていた。
「私達は利益が欲しくて、あなたに手を伸ばしているわけではないの。……ただ、単純に自分の心の思うままに従っているだけよ」
アイリスが小さく微笑みを返すと、リッカの表情はくしゃりと崩れた。
今まで、彼女は一人で足を踏ん張りながら、迫りくる恐怖と戦っていたのだろう。頼る人も、頼る方法もないまま、抗うことだけを懸命に押し通してきた。
それでもいつか、自分という盾が壊れてしまうことを恐れながら。
「魔物だけじゃなく、セプスさんのことも任せて。……大丈夫、私達がいるから」
セプスが人を獣へと変えた件や現状で起きている神隠しについて関わっている以上、一般的な法の裁きの対象外になるのは絶対的だろう。彼は明らかに違法となる何かを行なっている。
それならば、一般的な公的機関である警察ではなく、裏舞台で密かに活動している「嘆きの夜明け団」の出番だろう。
「……だから、リッカ。迷わずに、手を取ってくれて構わないのよ」
「っ……」
両目からぽろぽろと涙を零していくリッカを呆然とした様子でライカが眺めていた。昼間、ライカが言っていた言葉を思い出す。
リッカは彼女達の両親が居なくなった時でさえ、ライカの前では泣かなかったという。誰かに涙を見せることが出来ないまま、彼女は凛としていることで己を保たせていたのだろう。
「リッカ……。気負わなくていいんですよ」
「大丈夫、俺達に任せろ!」
「あとは専門の俺達が片付けておく」
クロイド達も小さく笑みを零しながら、手を伸ばして欲しいとリッカに問いかける。
自分達は、手を伸ばした。その後を決めるのはリッカ次第だ。アイリス達はリッカからの返答をゆっくりと待った。
「……もう、怖いんです。セプス先生も……神様を信じることも、あの獣も、注射器も……何もかもが怖いんです。でも、どうすればいいのか、分からなくて……。私には力なんて、ないから……ライカを守りたいのに、力がないから……」
涙を零しながら、リッカは吐き捨てるようにそう告げる。
「お願い、します……。私と、ライカを……守ってくれませんか。どうか……私達を……助けて下さい……!」
リッカが発した言葉は心の底から訴えたかった願いだった。誰にも頼ることが出来ずにもがいて、苦しんで、そして孤独に戦い抜いた少女からの、たった一つの縋るような願いだった。
アイリスは了承の意味を込めて、リッカの頭を包み込むようにしながら抱きしめる。リッカはライカが隣に居ても構わず、子どものように声を上げて泣き始めた。
きっと、誰かの前で泣くことは初めてだったのだろう。そして、頼ることも。
全てを押し付けるようにしながら、泣き続けるリッカの姿は、幼い妹が姉へと甘えているようにも見えた。
「……大丈夫。私達がきっと守るわ」
リッカの頭の上でアイリスは小さく呟く。視線を少しだけ移すとライカが心配そうな表情で、リッカの背中を撫でていた。
二人とも、姉弟想いだからこそ、お互いに告げられずにいた。心配をかけたくなくて、でも話だけでも聞きたくて。
リッカが強がって、背伸びしていると知れば、きっとライカもそうするのだろう。だからこそ、姉であるリッカは覚られないようにライカの前では、彼にとってしっかり者の姉を演じ続けたのだ。
……もう、強くあろうとしなくていいの。
そう伝えるようにアイリスはリッカを優しく抱きしめながら、頭を撫で続けた。
リッカの泣き声は、子どものように頼りなく、そして何よりも澄んで聞こえた。




