不審
学園から帰宅して一度、授業で使った道具を寮の自室へと置いてからアイリスは魔具調査課へと向かった。扉を開けば、部屋の中にはすでにミレットとクロイドが椅子に座って自分を待っていた。
「あら、早いわね」
「調べてきたわよ、あの男のこと」
「どんな奴だったんだ?」
ミレットは手帳を開いて、先程会ったばかりのスティル・パトルという男についてのことを話し始める。
「性格は穏やかで、物腰の柔らかい青年って所ね。年は18歳。16歳の時に教団に入っているわ。元々の所属は修道課だったらしいんだけれど、17歳の時に今の祓魔課へ異動届けを出してるわ。得意な魔法は悪霊を祓うっていうよりも、呼び出す方……降霊魔法の方が得意みたいね」
情報は教団の団員ならば、誰でも持っていそうなものだ。
特に変だと思える部分はない。
「おかしいところ……はないわよね?」
「ぱっと見てそうね。でも、違うのよ」
ミレットの顔が深刻なものへと変わる。まるで、酸っぱいものを食べたような表情で話の続きを始める。
「良い? 彼が祓魔課へ異動した時期って、アイリスがここへ入団した後なのよ」
やけにゆっくりとしたミレットの言葉に、アイリスは全身に氷水を流されたように体を強張らせる。
「え、それ……。いや、偶然でしょう? だって、私が入団した時はミレットもハルージャも一緒の年だったじゃない。ただの偶然が重なることはよくあるでしょう?」
三人とも同じ年で同じ時期に入団した。スティルが所属する課の異動は、ただの偶然だろうと思いたかった。
それでも、自分の知らない場所で何か気持ち悪いことが起きようとしているのではと、アイリスは額に汗を滑らせる。
「そう思いたかったわよ、私だって。……普段は普通の団員なんだけれどね、この時期くらいから、異様に降霊魔法にのめり込むようになったらしいわ」
「呼び出したい魂でもいるのか?」
それまで黙って聞いていたクロイドが少し不機嫌そうに聞いてくる。それに応えるようにミレットは大きく頷いた。
「そうらしいわ。ただ、呼び出すのが難しい霊なんでしょうね。随分と苦労しているみたいだって、周りも言っていたわ」
「でも、どうしてそこに私が関係あるのよ?」
今の話の中で自分に関係あるものは全くないように思えるが。
「……スティルと会った時、エイレーンのような魔力が欲しいかってアイリスに聞いていたじゃない? 私、あの言葉が凄く気になったのよね」
ミレットは何が言いたいのか分からず、アイリスはそわそわとその言葉の続きを待つ。
「これはあくまで私の推測なのだけれどね。……彼はエイレーン・ローレンスの魂を呼び出そうとしていたんじゃないかって、思うのよ」
「え……」
アイリスはそんなまさかと言わんばかりにぽっかりと口を開ける。
「そんなの無理よ……。だって、今まで何人もの人が彼女と交信しようと試みたけど、結局失敗したって聞いているわ。……彼女は呼び出されたくないのよ、きっと」
この教団では創立者の一人であるエイレーンの魂を何度か呼び出そうと色々と試みていたことは皆に知れ渡っていることだ。
そして、それが上手くいかなかったことも。
「そうなのよねぇ。魔力が高い人でさえ、失敗しているもの。ただの降霊魔法が得意ってだけのスティル・パトルに簡単に出来るわけないわ……」
ミレットは腕を組んで低く唸る。
「だが、もしエイレーンの魂を呼び出すことに成功したとして、何をするつもりなんだろうな」
「確かに……。魔力を譲ってくれとでも、頼むのかしらね」
皮肉っぽい笑みを浮かべながらアイリスは口の端を歪ませる。
「無理よ。絶対に無理。物理的に有り得ないわ」
首を振ってミレットは深く溜息を吐く。
すると、そこへブレアが部屋に入ってきた。
「おかえり、三人とも。学校はどうだった?」
ここ最近、それほど魔具調査課にいるわけではないブレアはあっちに行ったり、こっちに行ったりと一日中忙しそうにしていた。
「いつも通りでしたよ、クロイドが転入してきた以外は」
どうして教えてくれなかったんだと言わんばかりにアイリスは口を尖らせると、ブレアは楽しげに苦笑した。
「そうか。……ところで、ミレットからすでに話を聞いているかもしれないが、その件について課長室で話がある」
「あ、はい。分かりました」
三人は立ち上がり、ブレアに続けて課長室に入ろうとしたが入口辺りで止められてしまう。
「……少し準備するから、呼んだら入ってきてくれ」
そう言ってブレアは先に課長室に入り、扉をゆっくりと閉じてしまう。
何故だろうかと言うように、その場に取り残されたアイリス達はお互いに顔を見合わせる。
しばらくしてから、課長室からブレアの声がしたため、扉を三回ノックしてから入った。
しかし、入った瞬間にクロイドが室内を見渡すような仕草をしたのをアイリスは見逃さなかった。
「まぁ、そこに座ってくれ。……早速だが、お前達三人にはセントリア学園で噂になっている幽霊を追ってもらう」
三人はやはりそれかと同時に思ったが、口には出さなかった。
「この件に関しては祓魔課と魔的審査課、そして我々、魔具調査課が共同で取り組むことになった。ミレットにはチーム『暁』に情報提供などの助力を頼みたい」
「それは構いませんが、でもどうしてあの二課と合同なんですか? それに魔力反応は出ましたが、魔具が使われている形跡などは分かっていないですよ?」
ミレットが首を傾げながら質問するとブレアも渋い顔をしながら頷いた。
「そうなんだよ。でも、上からの命令なんだ」
「ですが……。これってたかが学生の間で広まっている噂、というだけですよね? どうして教団が動くんですか?」
一番の不審な点はそれだった。
噂の幽霊は姿を見られているだけで誰かに迷惑をかけたわけではない。それにも関わらず、三課合同で幽霊を追わなければならない理由が分からない。
「……我々にも詳しくは教えられていない。ただ、幽霊を見つけ次第、捕まえろとのお達しなんだ」
深い溜息を吐くブレアはどこか疲れているようにも見える。この件は思っているよりも重大な任務なのだろうか。
「分かりました。とりあえず、学園内の幽霊が行きそうな場所を見回りしてみます」
「頼んだぞ。あぁ、それと……行動は出来るだけこの三人で行うんだ。あまり祓魔課と魔的審査課の奴とは行動しないように」
合同の任務だというのに協力はするな、と言う事だろうか。
「え? ……分かりました」
ブレアがそう言った意図は分からないがきっと何かしらの理由があるのだろう。
「それでは私達も幽霊捕獲のための策を練ってきます」
「うむ。……気をつけろよ」
座っていた三人は立ち上がり、ブレアに背を向けて部屋を出て行こうとする。
しかし、ブレアの様子が気になったアイリスは扉を閉める間際、彼女の方へと視線を向ける。窓の外を見ているその横顔にアイリスは息を飲み込んだ。
初めて見る、苦悶の表情。
何かに耐えているのか、それとも苦しんでいるのか。
その姿を見たアイリスはブレアに何か言葉をかけることも出来ずに、静かに扉を閉めるしかなかった。
・・・・・・・・・・・
課長室から出ると今度はクロイドが神妙な顔をして椅子に座っていた。
「どうしたの? ……さっきも、課長室に入った時にそんな顔をしていたわよね?」
アイリスはカップを三つ用意して、紅茶の準備を始める。考え事や策を練る時は紅茶を飲みながらの方が落ち着いて考えられるのだ。
「……課長室に入った時、ブレアさんの魔力を感じたんだ。恐らく、結界の魔法が課長室内に張ってあった」
「え?」
クロイドは魔犬に呪いをかけられていることも関係しているのか、嗅覚どころか他の感覚も鋭いらしい。
魔力を感じられないアイリスはともかく、ミレットさえも気づかない程の魔法が課長室内にかけられていたということか。
「私、全く分からなかったわ……。でも、どうしてブレアさんが自分の課長室に結界を張る必要があるのよ?」
「何かを守っていたってこと?」
「でも、何を?」
全く、その疑問の通りだ。
そして、ブレアの先程の苦悶に満ちた表情。
何かがおかしい気がしてならない。
「……この任務、私達が思っているよりも厄介かもしれないわね」
気まずげに呟かれるアイリスの言葉に二人は曖昧に頷いていた。




