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断末魔の光景

   

 夕食と入浴を終えて、全員が調理場に揃ったことを確認してから、リッカが人数分のお茶を淹れ始める。

 お茶と言っても、冷たい水に粉末状にした茶葉を混ぜているものだ。そのお茶を椅子に座っている全員の目の前へと置いてから、リッカも椅子へと座る。


 彼女の様子は昼間とは違って、かなり落ち着いており、むしろ普段通りの様子に見えた。


「……リッカ、話して下さるのは嬉しいのですが、宜しいのですか? ……気分が悪くなるようなら、無理をしなくても……」


 イトの表情は無のままだが、それでも口調は心からリッカを心配しているものだった。その一方で、リッカの隣に座っているライカは口を閉ざしたまま、どこか不安そうな表情で彼の姉を見つめている。


「ええ、大丈夫です」


 リッカは薄く笑って、そしてライカの頭を軽く撫でてから、アイリス達を見渡した。


「……それでは、お話しますね」


 まるで昔話を話すような穏やかな始まり方で、リッカは言葉を綴り始める。


「アイリスさん達が見つけた、エディクさんが身に着けていた布がありますよね」


「え、ええ……」


 アイリスはすぐに長い台の上に、魔除けの模様が描かれた布を広げて見せる。リッカはそれを見て、薄く目を細めた。


「……この布を見つけた場所は、診療所から近い場所にある森の入口から入って、数キロ歩いた先にある、少し開けた場所で間違いありませんね?」


「その通りよ」


 アイリス達がずっとリッカに訊ねたかったことを彼女自らが問いかけてきたため、アイリスは戸惑いながらも頷き返した。


「……じゃあ、あの場所にエディクさんがいたんですね……。そして、彼は……」


 そこで一度、リッカは言葉を切ってから、顔を上げる。


「今から、話すことを皆さんは受け止められないかもしれません。実際に見た私でさえ、この目に映ったものが信じられなかったので」


「ううん、信じるわ。だって、リッカの話でしょう?」


 リッカの言葉に対して、アイリスは小さく微笑んでから、膝の上に置かれているリッカの手にそっと自分の右手を添えた。

 彼女は手から温度を感じたのか、少しだけ柔らかい表情をして、言葉の続きを話し始める。


「……私、夜に一人で散歩するのが趣味だったんです。両親がいなくなって、この先をどう生きればいいのか、そんな漠然とした不安を思い出した時に、一人で静かに散歩して気分転換をしたりしていました」


 リッカは目を少しだけ細めて、そして深い溜息を吐く。


「……二週間程前の夜も、私は散歩していました。ライカには森の中に入ってはいけないと小言を言っているのに、自分はこっそりと森へと足を踏み入れて、散歩をするのが好きだったんです。森の中に漂う静けさが……凄く、好きなんです」


 駄目な姉ですよね、と小さく笑ってから、リッカは彼女の隣に座っているライカの頭を軽く撫でる。だが、ライカは何かに耐えるように顰めた顔をしたままで、少し俯いていた。


「ですが、その日……森の中はいつもとは違いました。森の獣道を歩いている時に、嗅いだこともないような匂いが鼻を掠めたんです。……人の無知って本当に恐ろしいですよね。私、その時までその匂いが血だって分からなかったんですから」


「っ……」


 どこか自嘲気味にリッカは口元を小さく歪めながら笑った気がした。だが、大きな怪我をしたことがなければ、血の匂いなど、そう頻繁に嗅ぐようなものではないだろう。


「興味を持った私は、奥に何かいるのかを確かめるために更に足を進めました。この島には人を襲う動物はいないし、私も夜目が利く方だったので、躊躇うことなく匂いがする方向を辿っていったんです」


 零される言葉の一つ一つを耳に入れては、リッカが元から抱いていた寂しさや不安が溶けて混じっているように聞こえていた。


「そこで、見ました。何の形をしていたのか、はっきりとは分かりません。でも、開けた場所で動物よりも大きな姿の獣が、蠢いていたんです」


「……」


「私は何かがいると思って、開けた場所から少し離れた木の陰に隠れてから様子を窺うことにしたんです。……開けた場所には獣の他にもう一つ影がありました。あれは……人、だったんでしょう。ただ、呆けたようにその場に座り込んでいました」


「人間が、その獣みたいな奴と一緒の場所に居たってことか?」


 リアンが確かめるように訊ねるとリッカはその通りだと言うように頷き返した。


「最初は島の人が他の人達に内緒で、何か大きな動物を飼っているのかな、なんてのん気なことを思っていましたが……」


 言葉を紡ぐリッカは少しずつ、唇と肩が震え始める。それでも、アイリス達に話を聞かせるために、自ら口を閉ざすことはなかった。


「よく見たら、その動物は縄のようなものが首に巻かれていました。縄を地面に打ち付けられた杭に縛ることで、動けないようにしていたんでしょうね。……ですが、そこにもう一つの影がやってきたんです」


 リッカは自らを温めるように両手で身体を抱きながら、溜息を吐く。


「その影は人でした。迷うことなく、座り込んでいる人のもとへと歩き、その人は服から何かを取り出したんです。……あの夜は月の光が明るくて、彼が何を持っているのか、すぐに分かりました」


 リッカは今、はっきりと「彼」と口にした。つまり、新たにやってきた人物を元々知っている可能性があることをアイリスは密かに察していた。


「細く、長い物……あれは多分、注射器でした。彼は座り込んだままの人へと近付き、そして……持っていたものでその人の身体に触れたんです」


 浅く呼吸を繰り返しながら、リッカは言葉を続ける。アイリスは彼女の背中を支えるように手を置いて、優しく撫でることにした。


「すると、座り込んでいた人は急に苦しむような声を上げ始めました。断末魔という表現はきっとこういう時に使われるのだろうと、その光景を見て思いました。……私はあまりにも恐ろしい叫びに足がすくんで、動けなくなったんです」


 でも、とリッカは言葉を続ける。


「本当に恐ろしいのは、ここからでした。……叫び声を上げた人の身体は何故か、膨らむように少しずつ大きくなっていきました。やがて……」


 喉に何か引っかかったのか、それとも気分が悪くなったのか、リッカは小さく嘔吐いた。


「姉さん……」


 ライカが心配そうな表情で、リッカの顔を窺うと、彼女は大丈夫だと伝えるように小さく頷いてから深呼吸をして、息を整え直す。


「やがて、その人は……黒毛の獣になったんです。人が、獣になったんです」


「っ……!」


「肌には長い毛が生えて、口は引き裂いたように大きく伸びていました。月の明かりで見えたのは……大きな牙と爪でした……」


 その場にいる誰もが息を飲み込んだ。リッカが言っている言葉はしっかりと理解出来ているし、彼女の言葉を疑っているわけではない。

 それでも「人」が「獣」になった、という言葉の意味を全て受け止めきれずにいた。

   

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