吐露
アイリスがライカに対してどのように答えるべきか迷っていると、そこへ助け船が出された。
「ライカ」
リアンがライカへと寄って、まるで弟に接するように頭を優しく撫でた。
「多分、ライカも知っていると思うけれど……。リッカはな、凄く頑張り屋さんなんだ」
「……」
「でも、頑張り過ぎると、自分が苦しい時に苦しいって言えないまま、知らないうちに自分に傷を作っちゃうんだ。……だから、今は少しだけ休ませてあげよう」
「……休んだら、姉さんも元気なりますか?」
「うーん。俺はリッカ自身じゃないから、絶対とは言い切れないけれど……。でも、ライカがリッカと一緒に居てくれたら、きっと喜んでくれると思うよ」
「……うん」
ライカは小さく頷き返してから、気を失ったままのリッカの頭を優しく撫でる。その表情は「弟」ではなく、ただ一人の人としての、何かを決意したような表情にも見えた。
「姉さんを寝かせる場所を準備しますので、運んでもらってもいいですか」
いつもの子どもらしい表情はどこかへ行ってしまったように、真面目な顔でライカがそう言ったので、アイリスは少し戸惑いつつも頷き返した。
「分かったわ」
「それと……すみませんが、この壊れた木桶を誰か片付けておいてくれませんか。あと、調理場へ野菜を運んでおいて欲しいんです」
「やっておくよ」
「分かりました」
それぞれに頼み事をしてから、ライカはリッカが寝る場所を整えるために、踵を返すように家の中へと駆けて行った。
それまで、頼りない表情をしていた少年の面影はそこにはなかった。
アイリスはゆっくりとリッカを抱え直してから、家の中へと入る。
リッカが普段、寝ている部屋へと入ると、ライカが素早く寝る場所を整えてくれたため、アイリスは布団の上へとゆっくりとリッカを下ろした。
それでもリッカが起きる気配はない。
「姉さん……」
ライカが呼んでも、リッカが返事をすることはなく、目を閉じたままだ。
「アイリスさん、姉さんは一体、どうしたんですか」
声は少し震えているが、穏やかな声色でライカはリッカを凝視したまま訊ねて来る。
この話を彼にしていいのだろうか。今までリッカがライカに気付かれないように静かに、密かに耐えながら、人知れず何かを抱いていたことを。
話そうと口を開きかけて、だが、アイリスは再び閉じた。
「……リッカの目が覚めてから、彼女の口から聞いて欲しいの」
「……」
「リッカは……ずっと、抱え込んでいることがあって……。でも、それを私の口からは言えないの。……ごめんね」
「いえ……。でも、あんなに取り乱した姉さんは初めて見たので……」
ライカは横になっているリッカの身体の上に薄い布をかけながら、小さく呟く。
今、この部屋には自分とライカの二人しかおらず、部屋の遠くからはクロイド達が何かを話している声が風のように流れてきていた。
「姉さんは……凄く、強い人なんです」
目を瞑っているリッカを見下ろしつつ、ライカがぽつりと呟く。
「僕達の両親が神隠しでいなくなった時、僕は凄く悲しくて、ずっと泣いていたのに、姉さんは一度も泣きませんでした。泣かないまま、僕をずっと抱きしめてくれました」
「……」
「周りの大人達は口を揃えて神隠しは良いことだし、仕方ないことだと言っていました。でも……『神隠し』が仕方ないことだって、僕は思えなかった……。それをずっと姉さんに言いたくても言えなかったんです」
ライカから告げられたのは、意外な告白だった。
「だって、大事な家族が突然いなくなることを『仕方ない』の一言で、片付けられたくないじゃないですか」
「……そうね」
ライカの訴えは、以前リッカから秘密として聞かされた話と似ているように感じられた。彼もまた、神隠しのことを良く思っていなかったのだ。
……姉弟で同じことを思っているのに、お互いに遠慮して、気遣って、告げられなかったのね。……優しい子達だわ。
アイリスはそっとライカの肩に手を置く。びくりとライカの肩が震え、そして彼は顏を俯かせた。
「姉さんは……いつからか何かに耐えるような、そんな表情を時々するようになりました」
部屋に唯一ある窓から、風がゆっくりと入ってくる。鼻を掠めるのは、まだ慣れない潮の香りだ。
「でも、僕には絶対教えてくれないんです。ずっと何かを秘密にしているんです」
吐き捨てるようにライカは言葉を呟く。彼の小さな両手はぎゅっと握りしめられていた。
「僕が、弟だからでしょうか。頼りないから、話してくれないのでしょうか。姉さんは僕を……信じてくれて、いないのでしょうか」
ライカの言葉は少しずつ震えていき、そして最後は言葉にならないものになっていった。
「……そんなことないわ」
アイリスはライカの肩に置いていた手をそっと彼の頭へと乗せてから、優しく撫でていく。
「リッカはいつも、あなたのことだけを想っていたわ。だけど、大事な家族だからこそ、言えないことだってあると思うの」
「そう、でしょうか……」
「ええ。近くて、遠い存在なの。……かけがえがないくらいに大事だからこそ、あなたにはリッカが抱えるものを知って欲しくなかったのかもしれないわ。ライカにはずっと笑顔でいてほしくて」
だから、リッカは怯えながらもライカの身を案じ、常に笑顔で居続けた。たった一人となった家族の笑顔を守るために。
己の身が、少しずつ削られていきながらも、彼女は耐え続け、そして──先程、その堰は壊れてしまったのだ。
「大丈夫。リッカはあなたのことを誰よりも大切に想っているわ。だから……今は、リッカの隣で待ってあげましょう。この子が話してくれる時を一緒に待ちましょう」
「……」
ライカは涙を浮かべていたのか、アイリスには見せないように左腕の袖で目元を軽く拭ってから、そして大きく頷き返した。
「……あの、暫く二人だけにしてもらってもいいでしょうか」
強く決意したような瞳でライカがアイリスを見上げて来る。
「ええ。……何かあったら、呼んでね。家の中にはいると思うから」
「ありがとうございます」
アイリスはライカから手を離して、ゆっくりと背を向ける。部屋から出て、扉を閉めようとした瞬間にもう一度だけ視線を向けたが、それでもライカはその場から動かず、ずっとリッカを見つめていた。




