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伸ばされない手

 

 リッカによって閉められた扉を呆然とした表情で見つめていると、アイリスの背後から囁くように声がかけられる。


「……失礼だとは思いましたが、聞き耳を立ててしまいました」


「イト……」


 廊下からゆっくりと顔を出してきたのは、入浴を終えたイトだった。黒髪が少し濡れたままの彼女は、どこか気まずげに視線を逸らしながら、アイリスへと近付いて来る。

 表情は無のままだが、それでも細められた瞳はリッカが飛び出していった扉をじっと見つめている。


「どうやら、リッカはまだ何かを……」


「ええ。……でも、私が思っていたよりも、彼女が抱えているものは……大きいみたい」


 話せば、気が楽になるとは限らないが、それでも──助けたいと思っていた。しかし、手を差し伸べる手前で、リッカは出来るわけがないと全否定したのだ。


「神様を殺して欲しいなんて……」


 リッカが呟いた言葉が気になるのか、イトは眉を中央に寄せつつ、顔を顰める。


「リッカが見た『神様』は恐ろしいものだったと言っていたわ。……リッカにとって、どれ程恐ろしいものだったのか、さっきの表情を見れば、分かるもの」


 リッカが浮かべていた歪んだ表情は、以前の自分が浮かべていたものと同じに思えた。

 魔犬に家族を食い殺されて、怯えた日々を送り始めた時の幼い自分と同じ表情をしていた。


 心の拠り所もなく、誰にも頼ることが出来ないまま、悲しさと恐ろしさと抱き、そして──。自分は魔犬を誰かの手によって殺してもらうことを望むのではなく、自分の手で討つことを誓った。


 あの時の、崖に追い込まれたまま、ぎりぎりを保って立っているような自分とリッカが同じに思えて仕方がないのだ。

 だからこそ、出来る限りリッカに手を差し伸べたくなってしまうのかもしれない。


「……もし、本当に見えるものとして神様がこの島にいるならば、魔法を使えばいいのではないでしょうか」


「神様を殺すつもりなの?」


「……リッカが神様と信じているだけで、神様(それ)は神様ではないことも有り得ますからね」


「それって……」


「一般人の目から見て、恐ろしいと思える生き物を私達は知っているでしょう。──魔物ですよ」


 濡れた髪をタオルで拭きつつ、イトは椅子を少し後ろへと引いてから腰掛けた。


「でも、島には魔物がいないはずじゃ……」


「ええ。……ですが、魔力を感知出来ない魔物もいますからね。今回の巡回で、見つけることが出来なかっただけで、実は森の中に上手く隠れていたのかもしれません」


 だが、イトの様子を見るからして、魔物を見逃しているはずはないと静かに物語っているように見えた。

 彼女も今回の巡回はかなり慎重に、そして森の中を隅々と注意深く探していたため、魔力が感知出来なくても、生き物としての気配は感じ取れるため、見逃すことはないと思っているのだろう。


「……偶然に魔物をリッカが見てしまい、それに襲われることを恐れているのかしら……」


 閉められた扉の向こう側から、リッカが戻って来ることはない。泣きそうな顔をしたまま、飛び出ていったため、もしかすると人知れず泣いているのかもしれないと、何となく察していた。


「そこはリッカとちゃんと話し合わないと分かりえないことですから。……話してくれるといいんですが、話す事さえも恐れているように見えますね」


「……あの子の心が落ち着いてから、また話を聞きましょう。でも、無理に話を聞いて、リッカの心に傷を付けないようにしないと……」


 何となく、この島でエディクを捜す手がかりを一番持っているのはリッカではないかとアイリスは密かに思っていた。

 だからこそ、彼女にはエディクが残した証拠があった場所について、話を聞きたかったが機会を逃し、訊ねることが出来ないでいた。


 ……誰にも話せない、話したくない理由があるんだわ。


 全てを話してしまえば、リッカだけでなく、ライカにも危険が及ぶと考えているのならば、彼女が詳しい話を告げずに、口を閉ざしたまま一人で耐えている理由が理解出来る。


「……力に、なれたらいいんですけれど」


 イトも表情には出さないが、リッカのことを心配しているようだ。アイリスはイトの言葉に同意するように頷き返す。


 だが、自分達が持っている力、つまり魔力や魔法の存在をリッカに教えることは出来ない。

 それは教団の規則に反するからという理由もあるが、何よりリッカが魔力や魔法、魔物の存在を受容するほどの理解があるとは限らないからだ。


 一般人からしてみれば、これらの類は完全に物語の中でしか語られない存在だ。目の前に本物を持って来ても困惑し、悪い場合には恐れを抱かせてしまう可能性さえも有り得た。


 どうすれば、リッカは自分達を頼ってくれるのだろうか。考えても、リッカの気持ちを覚ることは出来ない。


「……この島からすぐにでも出たいと言っていたから、私達が定期船に乗る時に一緒に連れて行った方がいいのかしら」


 リッカの願いを叶えるためにはそれしか思い浮かばない。

 そして、自分達がスウェン家にお邪魔しているのは、宿賃としてリッカに収益をもたらすためでもある。彼女はそのお金で定期船に乗り、島から出たいと望んでいるのだ。


「リッカがそう望むのなら連れて行ってもいいと思います……。ですが、ライカは島の外に出ることを了承しているのでしょうか。彼からはそう言った話は出ていないようでしたが」


「……もしかすると、リッカはライカには秘密にしているのかもしれないわね。私達もリッカがライカに話すまで、彼の前で口を滑らせないようにしないと」


「そうですね」


 二人で頷き合いつつ、もう一度、リッカが飛び出していった扉を見つめる。閉じたままの扉は向こう側から開かれる気配はない。


 耳を澄ませば、ライカの楽しそうな笑い声が部屋から漏れ出ていた。たった一人となった家族を守るために、リッカは悲しみや恐れを顔に滲ませることなく、ライカの前で笑い続ける。


 「姉」であり続けるために、ひたすら我慢しているように思えて、見ているこちらからすれば、彼女の健気さと強い意思に対して、今すぐにでも抱きしめてあげたかった。


 自分達に任せて欲しい、自分達が守ってあげる。そう、言いたかった。他人でも、心に寄り添えるはずだと思いたかった。


 ……リッカ。


 今、一人で彼女は何を思っているのだろう。どうすれば、彼女を助けることが出来るのだろう。彼女が抱く全てを問うには、もう一歩の勇気が必要なのだと分かっている。


 それでも、リッカが手を伸ばさない限り、その手を取ることは出来ないのだ。

  

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