祓魔課の男
この学園は昼食後に少し授業を行ってからその日の全ての授業が終わるようになっている。居残りで勉強をする者もいれば、早々と家へと帰る者もいる。
生徒達の自主性を高めるためとして早めに授業を終わらせているらしいが、アイリスからしてみればこの学園も嘆きの夜明け団の上層部の人間が学長を務めているため、生徒であり団員である者たちが授業の後に任務がしやすいように時間を工夫しているのではないだろうかと思っている。
授業が終わり、三人で嘆きの夜明け団の寮へと帰ろうとしていた時だった。
「――こんにちは。アイリス・ローレンスだね?」
一度も聞いたことがない声に三人は同時に後ろを振り返る。
ミレットがほんの少しだが、はっと何かに気付いたような表情をしたため、彼女の情報網に関わる人物なのだろうとはすぐに判断出来た。
「そうですけど……」
アイリスは振り返りつつ、不審なものを見るような瞳をその声の主へと答える。
話しかけて来た男は少し年上のようだ。しかし、そこに年上の風情があるわけではない。
柔らかそうな髪質と、男性にしては丸く大きな瞳。やはり、目の前にいる彼は知らない人物のようだ。
「僕は学園の3年生で祓魔課所属のスティル・パトルだ」
告げられるその名前にアイリスも一瞬だけ表情を固める。
だが、相手に覚られないために、何事もなかったかのようにわざととぼけてみせた。
「はじめまして、ですよね? あの、祓魔課の方が私に何か……?」
今まで魔物討伐課と魔的審査課に所属していたが、その時でさえ他の課とはあまり関わったことがない。
そして、目の前に居るスティル・パトルという男のアイリスを見る視線がやけに胡散臭くて気味が悪かった。
「いや、今、学園内で調査している事があってね。ちょうど君を見かけたから声をかけたんだ」
頭には残らない声。
だが、何かが妙な気がした。
「そうでしたか。新しい学期が始まったばかりなのに大変ですね」
アイリスの返事にスティルは軽く肩を揺らしながら笑う。その笑みに不快感さえ感じた。
「それなら君もだろう? 魔力が無いのに本当によく頑張っていると思うよ」
「……」
スティルの言葉に対して、隣にいたクロイドが何かを言おうと口を開きかけたがアイリスの右手に制止されて、仕方なく彼は口を閉じた。
スティルの言葉も笑い方も、別に自分を馬鹿にしているようなものではないが、それでも彼の笑い方は嫌な気分になってしまう。
何を言いたいのか分からないし、自分に話しかけて来た明確な意図が見えなかった。
「いえ、与えられた任務を全うするだけですから。……それでは私達はもう帰るので」
スティルとの話はここまでにして、もう教団へと帰ろうとクロイド達に目配せして、背を向けようとした時だ。
「君はあのエイレーン・ローレンスの子孫だけれど、彼女のように強大な魔力が欲しいとは思わないのかい?」
背後からかけられた言葉にアイリスは足を止める。
――エイレーン・ローレンス。
アイリスの先祖であり、「嘆きの夜明け団」を作ったうちの一人。彼女は世界を簡単に壊すことが出来る程の魔力を持っていたと聞いている。
ゆっくりと振り返り、アイリスはスティルに刃のような鋭い視線を向ける。
「いいえ。思いません」
その一言だけを真っすぐと答えて、再び歩き出した。
クロイドとミレットも慌てて後を追うようについていく。
・・・・・・・・・
「ふーん……。そっかぁ……」
スティルの満足そうに呟いた言葉はアイリスの耳には届いていなかった。
・・・・・・・・・
校門を出てから、ミレットは大きく舌打ちをした。
「何なのよ、あの男。ブラックリストに入れておかなきゃ……」
ミレットのブラックリストは見たことがないがハルージャのような人間も入っているらしいので、彼女の分類分けの仕方は何となく分かってしまう。
「確かに嫌な感じの男だったな。……アイリス?」
いつの間にか立ち止まってしまっていたアイリスをクロイドは心配そうな顔で覗いて来る。
「ねぇ……。どうしてあの人、私に魔力が欲しいかなんて聞いたのかしら」
以前、「悪魔の紅い瞳」に封印されていた「光を愛さない者」も自分にそう聞いてきたが今はその状況とは全くの別物だ。
「ただの意地悪でそう聞いてくる人はいるわ。でも、何だかあの人は違う気がしたのよ。何と言えばいいのかしら……こう、私の中の何かを探ろうとしているような……」
考え込むアイリスにミレットとクロイドは顔を見合わせて深い溜息を吐く。
「分かったわ。詳しくあいつの事を調べてくる。とりあえず二人は先に魔具調査課に戻っていて」
何かを決心したような表情でミレットはアイリスにくるりと背を向ける。
「え、ちょっと、ミレット?」
返事をしないままミレットは嘆きの夜明け団がある方向へと駆け出し、あっという間にアイリスの手が届かない位置まで走り去ってしまう。
空を掴む右手を下ろして、隣に立っているクロイドの方を見た。彼は納得がいかないような顔のままで校舎の方をじっと眺めている。
「……怪しいと思う?」
「ああ。さっきの奴は俺とミレットもその場に居たというのに、アイリス以外には言葉を交わさなかっただろう?」
「え? ……そうね。確かにそうだわ」
「何と言うか……。アイリス以外、見えていないって感じだったんだ」
その言葉にアイリスは背筋に冷たいものが流れる感触が一気に広がる。
「嫌だわ……。もし、それが本当なら気持ちがいいものじゃないわね」
もしかすると昼食の時に感じた視線は彼だったのだろうか。
アイリスは静かに校舎を見る。
残っている学生達の活気さえも、アイリスにとっては不審なものに思えた。