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渦巻く靄

 

「……正直に言えば、私はあなたの行為を肯定する言葉も否定する言葉も持っていません」


 セプスの話を聞き終わったアイリスは静かに言葉を紡ぎ始める。

 人が何を幸せに思うかは人それぞれだ。だからこそ、幻覚によって神を見ることが出来るならば、それを幸せだと思う島人ももちろんいるだろう。


「ですが、島の人達を守る方法なら、他にもあるはずです。例えば、幻覚症状を見せる植物を燃やしてしまう、とか。……セプスさんの研究が滞るとは思いますが」


「確かに、その方法は有効でしょうね」


 セプスは苦笑しながら、同意するように頷き返した。


「植物を燃やして、根絶やしにしてしまえば、島の人達が幻覚症状を起こすことは格段に減るでしょう。……でも、僕は『研究』をするためにこの島へ来ました。だから、研究の弊害になることはしたくないんですよ」


「どうしてですか」


「自分勝手だと思われますが、僕は島の人達を守りたくてこの島の医者になったわけではありませんからね」


 にこりとセプスは笑みを浮かべたが、その笑みは今まで見た中で、何故か一番不気味に感じられた。視線と表情が張りぼてのようになって、彼の本心が隠れているように感じたからかもしれない。


 セプスがこの島の医者になった理由も、島人達に栄養剤と称して精神安定剤を投与している理由も分かった。

 だが、それでも彼が秘めている全てがさらけ出されたかと言われれば、一部に過ぎないのではと密かに思っていた。


 ……彼は、まだ何かを隠している。


 しかし、自分の手持ちの手札は全て切ってしまっているため、彼にこれ以上を訊ねるための切り札がなかった。


「さて、僕の話はこれでおしまいです。満足頂けたでしょうか?」


「……多少は」


「ええ、それで構いませんよ。……ですが、どうか島の人達に今の話はしないで頂きたいのです。彼らは心から神様を信仰していますし、何より──」


 セプスはそこで一度、言葉を切った。その空白の間が何とも奇妙に感じられたのは何故だろうか。


「世の中には知らない方が幸せでいられることもあるでしょう?」


「……」


 目の前でゆっくりと口元に笑みを浮かべるセプスの表情は、まるで餌を見つけて襲い掛かる前の蛇のようにおぞましく見えていた。


 ぞくりと、背中に伝わっていくのは一体何か。

 恐怖か、それとも不気味さか。何故、セプスに対して自分の心は恐れているのか。


 アイリスが言葉を発することが出来ずに、セプスの瞳に囚われたままだった時だ。

 突然、診療所の扉が大きく放たれる。


「──ああ、今日も暑いねぇ」


「先生、おはようございます」


 診療所の中に入って来たのは、中年の男女だった。エディクに関する聞き込みをした際に、一度言葉を交わしたことがある島人である。


「おはようございます。クラさん、タミさん」


 セプスはそれまで、不気味な笑みを浮かべていたが、一瞬にして人当たりの良い穏やかな笑みを浮かべ直していた。島人の二人はどうやら診察に訪れた患者のようだ。


「おや、先客かい」


 島人の一人が長椅子に座っていたアイリス達に視線を向けてきたため、アイリスは咄嗟に右手を横に振りながら小さく否定した。


「あ……。いえ、私達はもう、失礼するので……」


 アイリスはちらりとクロイドに視線を向けると、彼は了承したと言うように頷いた。

 島人にそれ以上、何かを聞かれる前に、アイリス達は椅子から立ち上がり、診療所から出ることにした。


「それでは、セプスさん。……お話して下さり、ありがとうございました」


「いや、こちらこそ……。また、何か聞きたいことがあれば、訪ねて下さいね」


 浮かべられているのは、島人に対応する時と同じ柔らかい表情だ。


「失礼します」


 アイリスとクロイドはセプスに頭を軽く下げてから、出来るだけ怪しまれないようにと自然を装って、診療所から出た。

 

 診療所の扉を閉めれば、その中から楽しそうな笑い声が聞こえる。笑い声の主は島人のようで、セプスと談笑しているようだ。


「……」


 数十歩ほど、歩みを進めてから後ろを付いて来るクロイドへと振り返る。

 彼の顔を見てみれば、複雑なことを考えているような気難しい顔をしていた。鏡で見ないと分からないが、恐らく自分もクロイドと同じような顔をしているのだろう。


「……セプスさんの話、本当だと思うか」


 アイリスだけに聞こえるように抑えられた声で、クロイドは静かに訊ねて来る。


「……本音を言えば、彼と彼の言葉を信じていいのか、分からないわ。何となく、胡散臭い雰囲気を纏っている人だけれど、説明されたことを否定出来る言葉を私達は持っていないし……」


 だからこそ、セプスから話を聞いただけで、自分は納得出来たとは言えなかった。


「幻覚を起こす植物か……。もし、森の中に生息しているなら、俺が一番に効いていただろうな。何せ鼻が良いし」


「確かに……。でも、その植物が本当に存在しているなら、幻覚を起こして、森の中で迷ってしまうということにも合点が行くわね。……まぁ、私達は迷わなかったけれど」


 アイリスへと追い付いたクロイドの隣を歩きつつ、深い溜息を吐いた。

 セプスに聞きたかったことは聞けたが、それでも胸の奥には靄がかかったまま、晴れる気配はない。


 何かを奇妙だと思っているのに、その奇妙さを見つけられないでいるからこそ、心の奥底で靄が渦巻いているのだろう。


「エディクさんについても、利になるような話も見受けられなかったし……」


 このままでは、せっかくエディクが身に着けているものを見つけたのに、彼の捜索は難航し続けてしまいそうだ。


「何か他の手がかりを捜そうにも、これ以上を見つけることは難しいな」


「ええ。……あ」


 アイリスはそこで、一つのことを思い出し、思わず口で告げてしまう。


「何だ?」


「昨日、リッカにエディクさんの布を見せたのだけれど……。彼女、布を見つけた場所を知っているようだったわ」


「何だと? ……だが、あの場所はここから少し距離があるだろう。リッカが森の中へと入ったというのか?」


 クロイドはそう言いつつ、昨日の夕方に自分達が出て来た森の出口へと視線を向ける。昨夕、自分達は視線の先にある獣道から出てきた。

 人が出入りする程、茂っている草は踏み固められていないようだが、それでも誰かが通れる程の道幅がそこにはある。


「だから、また後でリッカに話を聞いてみようと思うの。……多分、何かを知っていると思うし、何より……」


「何より?」


「……ううん、何でもないわ」


 アイリスは首を振ってから、それ以上の言葉を繋げることを止める。クロイドもアイリスの言葉の先を詮索する気はないらしく、そうかと一言言ってから、視線を歩く道へと戻していた。


 ……何より、リッカの怯えたような表情を……どうにか拭ってあげたい。そう思うのは私の勝手な願いなのかしら。


 心の中で自問自答するように言葉を零しつつ、アイリスは道を進む足に力を入れ直し、しっかりとした足取りで、島人達への聞き取りを再開することにした。

   

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