動揺の理由
夕食時には森の中でどのように過ごしたのか、どんなものがあったのかをライカから根掘り葉掘り聞かれることになったアイリス達だったが、巨石やエディクが身に着けていたものについては極力、話さないように心掛けていた。
もちろん、エディクのことについてはあとでリッカにだけはこっそりと訊ねるつもりではある。
ライカはアイリス達の話を楽しそうに聞きながら、目を輝かせていた。知らない場所、知らないことについて興味を持つのは良いことだろう。
だが、興味を持たせすぎれば彼も森の中に行くと言い出さないか不安であるため、出来るだけ誇張した言い方をしないように気を付けた。
ライカまで森の中へ行くと言い出せば、リッカが全力で止めに入るのは安易に想像できるからだ。リッカにはこれ以上、気苦労はかけたくはない。
アイリス達から話を聞き終わったライカは、十分に満足したのか、それとも夕食によってお腹がいっぱいになったのか眠くなってしまったらしい。
ライカが眠たそうに目を擦り始めたため、またもやリアンが一緒に汗を流そうと誘い、浴室へと連れて行った。
だが、今度こそ一人で入浴するつもりだったクロイドは半ば強引に、リアンによって引っ張られながら浴室へと連れて行かれ、結局三人で入浴することとなった。
その間、静かになった部屋でアイリスとイトは森の中を調査したことをある程度は伏せてからリッカに聞かせることにした。
「森の奥に……巨石が……」
「ええ。この巨石が一体、何を示しているものか、知らないかしら」
「いえ……。それに森の中にそのような巨石があることさえ今、初めて知りました……」
リッカの反応を見る限り、彼女は本当に何も知らなかったようだ。やはり、森の中には島人の誰も立ち入らないため、巨石の存在を知らなかったのだろう。
「……ですが、この話は他の島の人達にはしない方がいいでしょう」
リッカは薄く瞳を細めながら、どこか困ったような表情で言葉を零す。
「以前の私でしたら、もしこの巨石が、神様が祀られるものとして佇んでいると知っただけで、危険だと分かっていても森の中を歩いて巨石を目指していたに違いありません。……島の人達は信仰深い人ばかりなので、同じように行動するはずです」
「……」
「島の人達が森の奥深くに足を運ばないのは、森の奥が神聖視されていることが一番の理由です。しかし、それともう一つ……」
リッカは顏を上げて、アイリスとイトを交互に見る。
「迷える森に入ってはいけないと昔からずっと伝えられてきているからです。絶対に入るな、迷えば二度と出られなくなる、と。島の人達を惑わせて、森の中には向かわせたくはないというのが私の本音です」
だが、リッカはアイリス達を見て、小さく笑う。
「でも今日、皆さんは無事に帰って来て下さいました。……本当に、良かった」
「……心配かけて、ごめんなさいね」
「いえ。……でも、迷わずに戻って来られたということは……やはり迷える森に関する伝承は偽りなのでしょうか……」
リッカは前までは島に伝わる神様のことを信じていたが、今は信じていないのだという。そのため、迷える森について伝わっている話をすでに疑っているようだ。
「私達は森中を歩き回りましたが、迷っている感覚はありませんでしたね」
「そうですか……。うーん……。迷わないことは良いことだと思うのですが、どうしてこのような伝承が伝わっているんでしょうね」
島人であるリッカもやはり、伝承が伝えられてきた理由は分からないようだ。
「どちらにしても、島の人達には巨石のことは話さない方がいいでしょう」
「ええ、そうさせてもらうわ。あ、それと……」
もう一つだけ、聞いておこうと思っていたことを思い出し、アイリスは荷物の中からとある物を取り出した。
それは魔除けの模様が描かれた布で、エディクが頭巾として被っていたものだ。
「ねえ、リッカ。この布に見覚えはあるかしら」
「え? ……あっ。確か、エディクさんが頭に被られていたものですよね。特徴的な模様が描かれているので、よく覚えていますよ」
「やはり、エディクさんの持ち物でしたか……」
リッカの言葉を聞いたイトは納得するように短い息を吐く。
「この布を他に持っていた人はいないわよね?」
「ええ。エディクさん以外にこの布を被っている方は見たことはないですよ。特徴的過ぎる模様なので、一度見たら忘れないと思いますし……」
あまりエディクと会話をしていないリッカでさえ、エディクがこの布を持っていたことを覚えているならば、他の島人達も印象に残っているのかもしれない。
「この布、どこに落ちていたんですか?」
「えっ?」
まさか訊ねられるとは思わなかったので、アイリスは一瞬だけ固まってしまう。ちらりとイトの方を見ると彼女は無言のまま小さく頷いた。
「えっと……。集落から、森の中に入って数キロ辺りの場所よ。開けた場所があったの」
「開けた場所?」
首を傾げるリッカに対して、アイリスは頷き返す。
「動物に地面が掘り返されたような場所があってね、その場所にこの布が……」
だが、アイリスが言葉を繋ぐ途中で、リッカの表情がさっと青ざめたのが見てとれた。
「リッカ……?」
表情の変容ぶりにアイリスは思わず名前を呼んでしまう。
「あの……。その場所、もしかして……診療所に近い場所に……森の入口が繋がっていませんでしたか」
「え? ええ、そうだったけれど……」
そう答えるとリッカは更に表情を青ざめて、口を押えていた。浅く息を繰り返しながら、目を大きく見開かせている。その表情は明らかに通常ではなかった。
「どうしたんですか、リッカ。具合でも……」
イトがすぐに椅子から立ち上がろうとしたのをリッカは掌をこちらに見せつつ、動きを制した。
「……大丈夫です。気にしないで下さい」
「ですが……」
明らかに、何かに対して動揺していることは見てとれる。しかし、リッカは動揺を隠したいらしく、口を閉ざして深呼吸していた。
「すみません、本当に何でもないんです。……大丈夫ですから」
「……」
アイリスはイトと視線を交える。お互いにリッカの動揺に対して、言葉をかけたいが見つからないと言ったところだろう。
その時、三人の間に流れる微妙な空気を切り裂く声が浴室から響いて来る。
「──姉さーん! 着替えを持って来るの、忘れてきちゃったー! お願い、持って来てー!」
浴室からライカがリッカを呼ぶ声が響いてきたことで、静まっていた空気は無理矢理に破かれることとなる。
「あっ……。すみません、ライカが呼んでいるので、失礼しますね」
「……ええ」
リッカはすぐに立ち上がると、逃げるように部屋から出て行った。その後ろ姿を眺めながら、アイリスは眉をひそめる。
「……今のリッカの反応、少しおかしかったですよね」
アイリス以外に聞かれないように小声でイトが耳打ちしてくる。
「エディクさんが使っていた布よりも、この布が落ちていた場所に動揺しているようだったわ」
「まさかだとは思いますが、彼女は知っているんじゃないでしょうか。……土壌が掘り返された、開けた土地のことを」
イトの言う通り、エディクの布を見つけた、土が掘り返された跡が広がる開けた場所のことをリッカは知っているようだった。
リッカはエディクに関わっていないと思っていたが、まさか彼女は関わっていたのだろうか。
「話す機会を見つけて、もう一度同じ内容を訊ねてみましょう。……多分、あの動揺には何か隠されていると思うの」
「表情の変わり方が尋常ではありませんでしたからね。慎重に聞いてみないと」
耳を澄ませば、リッカがライカを軽く叱っているような声が廊下から響いて来る。傍から見ていれば、普通の姉弟のやり取りにしか思えなかった。
……リッカ。あなたは何に、そんなに怯えているの。
先程、彼女が見せた動揺の中に、恐れが混じっているように見えたのだ。恐らく、アイリス達の言葉で、リッカは何かを思い出したのだろう。
だからこそ、急に表情を変えて激しく動揺していたのだ。
だが、それでもリッカが自分達には言えないことを胸に秘めていることは、訊ねなくても感じ取れていた。




