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傷痕

 

 水浴びを終えたアイリス達は、着替えるべく川から上がっていた。

 着ていたシャツと下着は身体同様に濡れているため、身体を拭かなければ、着替えることは出来ない。そのため、一度は全てを脱がないといけないと分かっているが、やはり人前で脱ぐのは恥ずかしいものだ。


 一方でイトは躊躇うことなく、濡れていた全ての服を脱いでから、乾いているタオルを使って、髪を拭いていた。その堂々とした振舞いには感心を抱いてしまいそうだ。


 意識的に見るつもりはなかったのだが、月明かりの下でイトの白い肌が余計に映えてしまい、目に入ってしまう。


「……」


 イトの細い身体は自分の身体と同じように、いくつかの傷が薄っすらと刻まれていた。恐らく、魔物討伐の際に負った傷なのだろう。

 魔物討伐課では女だからと言って、前衛に出さないということはない。


 完全実力主義の魔物討伐課に所属しているからには、年齢や男女関係なく、魔物と対峙している際は一人の「団員」なのだ。そのため、生傷が絶えないことはよくあることだ。


「……さすがの私でも、そのように真面目な表情で身体を見られると少々恥ずかしいのですが」


 イトが下着を着用しつつ、どこか困ったような声色で呟いたため、アイリスははっと我に返る。


「あ、ごめんなさいっ……。ただ、傷があるようだから、今は痛くないのかなと思って……」


「いえ。……全て古傷ですが、消えていないだけですよ。まぁ、一つ一つを気に掛ける程、大きな傷でもないですし」


 そういえば、自分も着替えの途中だったことを思い出し、タオルを首に掛けてから、急いで濡れた服を脱いでいく。


「……アイリスさんも結構、傷が残ったままなんですね」


「え? あ、そうね……」


 今度はイトが真面目な表情でアイリスをじっと見つめてくる。

 魔法で治る傷は治して来たが、それでも大きな傷は身体に残ったままだ。痛みがあるわけではなく、ただ傷痕がそこに刻まれたままで、消えないでいた。


「やはり、女性としては傷が身体に残ったままなのは、お嫌ですか?」


「うーん……。あまり嫌なものとして考えたことはないわね。任務の最中に怪我をすることはよくあるし……。でも、最近は怪我をしないように気を付けてはいるかも」


 下着を着用しつつ、アイリスは指先で身体に残っている傷痕をそっと撫でる。身体に残っている傷はほとんどが魔物討伐課に所属していた際に出来たものばかりだ。


「おや、どうしてです?」


「怪我をすると、クロイドを心配させてしまうもの。私が傷一つ作っただけで、血相を変えて怒るのよ?」


「それは……まあ、アイリスさんがご自身の身体を大事にするようにとクロイドさんが気遣って下さっているんでしょうね」


「それは……分かっているんだけれどね」


 クロイドが自分に傷付いて欲しくないと願う気持ちも、心配してくれる心も十分に分かっている。それでも──自分自身が心の思うままにいかないことだってあるのだ。


「……でも、自分の身に換えてでも、どうにかして守りたいものがあったんだもの」


 ぽつりと独り言のように零してしまった言葉をイトに聞かれてしまったらしい。


「……」


 それまで着替えていたイトが、はっとした表情でアイリスの方に振り返った。まるで、どうしてそれを知っているのかと言わんばかりの表情で、彼女は口をぽっかりと開けていた。

 だが、すぐに口を閉じて、一度視線を逸らし、再びアイリスへと視線を向けて来る。


「その気持ち、分かります」


「え?」


 同意されるとは思わなかったため、アイリスが意外だと告げる表情を浮かべるとイトは少しだけ肩を竦めていた。


「失礼なことを聞いてもいいですか」


「……何かしら」


「アイリスさんは……。アイリスさんのご家族は魔物によって、お亡くなりになったと噂で聞きました」


「……」


 魔犬に家族を食い殺されたことは、秘密にされていることなので出回っていないようだ。

 それでも、物事に関心がなさそうなイトが、アイリスが抱く事情を気に留めたということは、何か思うところがあったのだろうか。


「あなたは自分の身を犠牲にしてまで、家族を殺した魔物を──殺したいと思いますか」


 真剣な眼差しで、イトは視線を逸らすことなく自分を見ている。彼女の身体は月明かりが背後から降り注いでいることもあり、薄っすらと光っているようにも見えた。


「……」


 言葉を選んでしまうのは、以前の自分が抱いていた答えとは、全く違う答えをこの身に宿しているからだろうか。

 アイリスは一度、息を飲み込み、そして視線をイトへと返した。


「私の未来は、もう私一人のものではないと知ったの」


 この数か月で、自分は変わった。変わることが多くあった。片手で数えるには足りない程の感情と言葉、表情、そして──。


「この身体も、声も、言葉も感情も、何もかも全てが私だけのものではない。確かに私のものなのに、そういう感覚が生まれたのは初めてだったの」


 心に浮かぶのはたった一人の姿。その人と、約束したのだ。

 優しく、温かく、そしていつか終わりが来ることが分かっている世界に生きる上で、これからも共にあろうと、進み続けようと誓い合った。


「……私は自分と、自分のことを大切に想ってくれる人のために、生き続けたい。だから、もう無茶な生き方をするのは止めたの」


「それは……復讐を諦めるということですか」


 どうして、イトがそのような質問をするのか、薄々勘付いていた。


 ……彼女も何か大事なものを失っているのかしら。


 復讐したいかという問いかけは、イト自身が抱くものに対して、何か答えを求めているようにも思えたのだ。だからこそ、逸らさずに答えたかった。


「ううん。復讐はするわ」


 はっきりとそう答えると、イトの瞳が少しだけ大きく見開かれる。意外だと思ったのだろうか。


「復讐は必ず、遂げてみせる。でも、私は死ぬつもりはないの。あの人の前で死なないと決めたから」


 そして、二度とクロイドにとって大切なものを失わせたくはないのだ。彼の悲しむ顔を見たくはない。だからこそ、自分は絶対に彼の前から消えるわけにはいかないのだ。


 イトは口を開き、そして閉じてから、喜ばしいのか悲しいのか分からない表情を浮かべた。


「……復讐をなさる前に、その考えに至っていて、良かった」


「え?」


「いえ、何でもないです。……失礼なことをお聞きして、すみませんでした」


「それは構わないのだけれど……」


 聞きたかったのはそれだけだったのか、イトは再び着替えの続きを始めたので、アイリスも何事もなかったように服を身に着け始めた。


「……」


 結局、イトの質問の意図はよく分からなかった。ただ、最後に言葉を告げた時、彼女の表情は今まで見た中で、安堵しているようにも見えたのだ。

 イトはアイリスの気持ちが理解出来ると言っていた。自分の身に換えて、何かを守りたいという気持ちが分かると。


 ……似ているのかしら。


 彼女の身に何が起きて、今の「イト」という人物を作り上げているのかは知らないが、それでも自分達はどこか共通するものを秘めているのではと思えるのだ。


「アイリスさん?」


 いつのまにか、不自然にも固まってしまっていたアイリスはイトの声によって我に返る。


「え? あ、考え事をしていたの」


「そうでしたか。ですが、早く着替えないと風邪を引いてしまいますよ」


「そうね……」


 イトに返事を返しつつ、アイリスは思考を巡らせる。


 ……私は、死ぬわけにはいかない。そして……私の前で、大切だと思える人を死なせたりしない。


 この身を犠牲にしない方法で、大事なものを守れるなら、それが最良の選択肢だろう。

 だが、そう心に抱いていても現実はやはり、最善を選択せねばならぬ時が来ると知っていた。

  

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