余裕ある心
耳が良いクロイドは遠くからアイリス達の声が聞こえた気がして、思わず顔を上げる。
自分とリアンは竈の近くで待機しているが、アイリスとイトはここから少し上流へと歩いて行き、その場所で水浴びをしているはずだ。
……何があっても、様子を見に来なくていいとアイリスには言われているが、女子二人だけで無防備過ぎないか?
アイリスもイトもそれぞれ、短剣などの武器を護身用として持って行っているが、もし突然奇襲を受けた際に、裸のままで対応出来るだろうか、ということを考えて、そしてクロイドは思考を停止させた。
……やめておこう、これ以上は。
何となく、アイリス達ならば服を着ていない状態でも、敵襲を受ければ速攻で返り討ちにするべく行動するだろうと考えが至り、クロイドは軽く首を振る。
しかし、脳内には以前、課内旅行の際にアイリスと水遊びをした時の出来事が浮かんでいた。
アイリスと一緒に水を頭から被り、彼女の服を濡らしてしまった時の姿がはっきりと目と脳内に焼き付いてしまっているのだ。
……よりにもよって、あの時のことを思い出すなんて、アイリスに失礼だ。
水によって濡れたことで、アイリスの肌の色が服に透けてはっきりと浮かんできた光景まで思い出してしまい、罪悪感のようなものが生まれてしまう。
「……」
クロイドは右手で顔を覆って、表情が変化してしまったことを出来るだけリアンに気付かれないように平常を装った。
もちろん、自分だってこれでも男だ。好きな相手の色んな姿を見てみたいと思うのは普通だと思うが、現状で勝つのは理性である。
……よし、平常心。
気持ちを整え直したクロイドは紅潮しかけていた頬を何とか戻し、そして何も想像していないと言わんばかりに無表情を取り繕った。
「イト達、二人だけで大丈夫かなぁ」
すぐ傍の石の上に座って、リアンが見えないはずの上流の方に視線を向けて、少し不安そうに呟く。
自分とリアンの手にはリッカから調味料として貰っていた蜜をお湯に溶かしたものを注いだカップが握られていた。
「……二人とも、剣士だからな。恐らく大丈夫だろう」
「うーん……。でも、やっぱり心配だな……」
「覗き見したら、イトに殴られるんじゃないか?」
「うぐっ……。それはそうだけどさ……」
もちろん、イトが居る場所にはアイリスが居るため、リアンを向かわせるようなことがあれば絶対に阻止すると心に決めている。アイリスの無防備な姿を見ていいのは自分だけだ。
……いや、見ていいとアイリスに言われたわけじゃないから、それも失礼か。
そんなことを心の中で自問自答して、クロイドは気まずさを隠すために、カップの中に入っている甘い飲み物で喉を潤した。
「でもさ……」
ぼそり、とリアンが上流の方に視線を向けつつ真面目な表情で言葉を続ける。
「正直に言って、イトが無防備に水浴びしているところ、凄く見たいです」
「……死ぬぞ」
あまりにも真剣な表情で本音を言われたが、リアンがそのようなことを行なった場合、確実にイトの鉄拳を浴びせられるのは容易に想像出来た。
「だって! 自分の! 好きな子が、すぐ近くて水浴びしているんだよ! クロイドは気にならないの!?」
「……俺に振るなよ」
思わず、そうだなと答えてしまいそうになった衝動をぎりぎりで喉の奥で抑えて、クロイドは視線をリアンから外した。
「大体、女子の……その、裸を見たいがために自分勝手な行動をすることは良くないと思う。まず、相手に対して失礼だ」
「くっ……正論……」
リアンは悔しそうに表情を歪めている。もし、本気でアイリスとイトが水浴びしているところを覗き見しようものなら、速攻で魔法を使って取り押さえようとクロイドは密かに決意した。
「でもさ……。見る、見ない関係なく……気にはなるだろう?」
諦めているのか、諦めていないのかは分からないが、リアンが弱々しい声で訊ねて来る。
「クロイドだって、本当は気になっているんじゃないの~?」
「いや、だから俺に話を振るな」
「そうやって、堅物ぶっても、無駄だぞ~」
「別に堅物ぶってはいないし、アイリスに許可なく勝手に彼女の無防備な姿を見るのは失礼だろう」
何度言われたって、答えは同じだ。自分はアイリスが嫌がるようなことは絶対にしたくはない。だが、興味がないわけではないので、ついリアンの言葉に同意として頷きそうになったのは秘密だ。
「はっ……! もしや、クロイドはすでにアイリスと……」
そこで何かの思考に至ったのか、突然リアンの表情が強張り、両頬が少しずつ赤く染まっていく。
「お、大人……! 二人は大人だったのか!」
「おい、ちょっと待て。今、何を想像したんだ」
クロイドは持っていたカップを平らになっている石の上へと置いてから、リアンへと一歩詰め寄るように近付く。
「だって、クロイド……。凄く冷静と言うか、余裕がある雰囲気だったし、もしかして……」
「いや、勝手に想像するな。これでも俺達は一応、学生の身だぞ。それに俺はまだ、アイリスに手を出してはいない」
「手を、出す……!?」
クロイドが言った言葉に対して、リアンは更に顔を赤らめていく。自分からその手の話を振った割には、耐性がないようだ。
だが、リアンが赤面してくれるおかげで何とか自分の中で冷静な部分が保つことが出来ていた。
「……覗き見したいと思う割には、そういう話は苦手なのか?」
「好きな女の子の色んな姿は見たいと思うけど……。その手の話は苦手というか……何かよく、分からないんだよね。ただ、大人だなぁって思うくらいで……」
「そうか……」
だが、そういう自分もこの手の話を誰かとしたことはないため、直接訊ねられるのは気まずいし、やはり気恥ずかしいと思う。その点では、自分はまだまだ子どもなのだろう。
……いつか、俺も気恥ずかしさを拭える程、心に余裕を持った大人になれるだろうか。
深い意味はないが出来るならば、アイリスよりも心に余裕があるように成長はしておきたいのが本音である。
先日、武闘大会で会ったエリオスが自分に向けて言った言葉で、男が紳士かつ順序を踏みながら押していけ、という一文が思い出されるが、あれは余裕を持てるようになれという意味なのだろう。
「あっ。クロイド、顔が赤い」
リアンが意外だと思っているように小さく声を上げため、クロイドは彼から視線を逸らした。無表情を装っていたはずだが、自分の頬は再び紅潮してしまっていたらしい。
「……気のせいだ」
「いや、確かに見たよ。クロイドでも、照れるようなことがあるんだね」
「だから、気のせいだって……」
「まあ、まあ……。よし、お互いに余裕がある心を目指して、頑張って大人の階段を上っていこうぜ!」
「……」
リアンはそう言って、にこやかに笑うがクロイドは同調することを躊躇い、苦いものを飲んだような表情で口を閉ざしていた。
自分もリアンも余裕が持てる大人になるまでに時間がかかりそうだと思いつつ、石の上に置いていたカップを手に取り、再び飲み物を口へと含める。
口に広がる味は先程飲んだ時よりも甘く、そしていつの日かに味わった柔らかいものを彷彿とさせた。




