水浴び
夕飯の片付けが終わったあと、寝る前に汗を流しておくくらいはしておいた方がいいだろうと思い、男女に分かれて川で水浴びをすることにした。
先に水浴びの順番をもらったアイリスとイトは竈があった場所から少し上流の川辺まで歩き、周囲に気配がないかを確認してから、着衣しているものを少しずつ脱いでいく。
お湯は無いが、幸いにも川が流れているため、水で汗を流すことは出来る。
文句などを言える状況ではないし、納得しなければならないと分かっているが、やはり仕切りがない場所で服を脱ぐのは躊躇ってしまうものだ。
「……」
空には月が昇り、それ以外の灯りは見えないが、夜目が利くアイリスとイトには十分過ぎる灯りだった。むしろ、これ以上の灯りがあると自分の身体がよく見えてしまいそうで、気恥ずかしい。
「……夏場で良かったです。これが冬場だったら、汗を流すだけで苦行になっていました」
「そうね……」
イトは人前で服を脱ぐことに躊躇いがないようで、あっという間にシャツ一枚の姿になっていた。さすがに野外であるため、下着は着けたままで川に入るようだ。
「……イトは野外で水浴びすることはよくあったの?」
「父と国中を旅していた頃には何度かありましたが、教団に入ってからは久しぶりですね。川があるとつい泳ぎたくなってしまいます」
そう話しつつ、イトは先に川の中へと足を浸けていく。
「あら、泳げるの?」
「ええ。父に泳ぎ方を習いました」
「それはいいわね。……首都の方だと、川の水はそこまで綺麗じゃないし、泳ぐ場所がないから、未だに泳げないのよね」
イトに答えつつも、服を脱ぎ終わったアイリスはとうとうシャツ一枚の姿となる。周囲に自分達の他に誰もいないことをもう一度確認してから、イトと同じように川の中へと足を浸けた。
冷たさが足先から伝わって来ては、身体を少しずつ冷やしていく。今は夏場であるため、それなりに気持ち良い温度だが、冬場だったら身体が凍ってしまいそうだ。
急激に身体を冷やしては心臓に悪いため、アイリスは手で掬った水を少しずつ身体にかけて、徐々に水の温度に慣らすことにした。
「ふむ……。残念ですね。この川がもう少し深ければ、泳ぎ方をお教えしたのですが……」
「あ、気にしないで。別に今すぐ泳げるようになりたいってわけじゃないから。……ただ、水の中で泳ぐ感覚がどのようなものか、気になっただけだし」
今、自分達が足を浸けている川の深さはせいぜい膝に届くほどだ。潜ってもすぐに川の底に身体が着いてしまうだろう。
足の裏から伝わる小石の感触が、何故か懐かしく思えるのは先日、課内旅行先でクロイドと一緒に川遊びをした時のことを身体が覚えているからかもしれない。
「……えいっ」
一言、そう呟くとイトは川へと思いっきり飛び込むように上半身を水の中へと浸けたのだ。
「ひゃ……」
イトが突然、水の中へと身体ごと飛び込んだため、その水飛沫がアイリスのところまでかかってきてしまう。
「もう、驚いたじゃない……」
一度、川の中に顔を浸けてから、イトはぶわっと水面から顔を上げる。
「すみません。つい、はしゃいでしまいました」
イトの表情は先程と変わらず、無のままだが声色は少しだけ弾んでいるようにも聞こえる。普段は真面目で物事に興味が無さそうな顔をしているが、どうやら今は楽しんでいるらしい。
「冷たくて気持ちいいですね。アイリスさんも、立っていないで身体ごと浸かってみてはいかがですか。せっかく汗を流しに来たんですし」
そう提案しつつも、イトは背中を水面に浸けて、ぷかぷかと浮かんでいる。彼女はシャツ一枚と下着だけを着用しており、水が服に染み込んだことで、身体の曲線がよく見えてしまう状態となっていた。
「でも……」
「大丈夫です。周りに私達以外の気配は感じられませんし。……それにクロイドさんはともかく、リアンにはこちらを覗き見しに来るようならば、鉄槌を食らわせると釘を刺してきたので」
どうやらクロイドは最初から覗き見するような性格ではないと信用されているらしい。それは有難いことだが、リアンに関しては事前に忠告してきているようだ。
「……」
アイリスは少しだけ迷って、そして身体をゆっくりと川の中へと沈むように浸けていく。冷たさが一枚の布越しに一気に伝わり、そして身体中を冷やしていく。
「これが温泉だったら、最高なんですけどね」
「でも、冷たくて気持ち良いわね。そういえば、川に肩まで浸かったのは初めてかも」
「ああ、そうなんですね。……浅瀬なので泳ぐのは難しそうですが、浮く練習でもしてみますか?」
それまで、水面の上にぷかぷかと器用に浮いていたイトがアイリスの方へとすいっと近づいてくる。
「う、浮かぶ?」
未知の体験にアイリスが小さく引き攣ったように答えると、イトはくるりと身体の向きを変えて、川の中に中腰で立ち上がる。
「私が今、やっていたように背中を水面に浸けて、身体の力を抜いてみて下さい。まあ、浮くことは泳ぐことの基本なので、試しにやってみてはどうですか」
「……分かったわ」
何事も経験だと思い、アイリスは背中から水面に身体を浸けようと試みてみる。
しかし、身体の体勢がそのまま崩れてしまい、アイリスの上半身はどぼんっ、と大きな音を立てて、川の中へと沈んでしまった。
「わっ……。あ、アイリスさんっ?」
川の中へと沈んでしまったアイリスの耳に、少し曇ったイトの声が聞こえた気がしたが、それよりも水中で息が出来ないという未知の状況に陥ったため、アイリスは急いで水底に手を付いてから身体を起こした。
「ぶっは……。び、びっくりしたわ……」
何とか空気を肺に取り入れつつ、身体を起こしたアイリスは目を数回瞬きする。
一気に身体を濡らしたことで、水の冷たさが頭まで上って来た。髪を一つにまとめていなかったので、顔面に髪が覆いかぶさる状態となってしまい少々気まずげに、顔を上げてみる。
だが、目の前には驚いた表情のまま、固まっているイトがいた。
「くふっ……」
すると突然、イトが口元を手で押さえながら笑い始めたのである。初めて見る彼女の自然な笑みは水に少し濡れており、月明かりで輝いて見えた。
「ふふっ……。私の方こそ驚きました。アイリスさんって、思っているより勢いに任せるところがあるんですね」
「だ、だって……。自分で感覚を掴んだ方が、覚えるのが早いと思ったんだもの……」
唇を少し尖らせつつ、びしょ濡れになった髪を掻き上げながらアイリスが答えると、イトはその言葉を愉快に思ったのか、腹を抱えて更に笑い声を上げる。
いつもは無表情であるため、ここまで笑い声を上げると思っていなかったアイリスは腹を抱えているイトを見て、瞳を数回瞬きしていたが、すぐに同じように噴き出してしまう。
月明りが降り注ぐ水面に身体を浸けたまま、アイリスとイトは暫くの間、しがらみを忘れたように笑い合っていた。




