医者の名
アイリスとイトが長剣を使って刈った草を寝床とする場所に敷き詰めて、布を敷いている間にクロイド達によって夕食は出来上がっていた。
即席の竈はしっかりと機能しているらしく、竈の上に置かれている鍋からは美味しそうな匂いがゆったりと漂って来る。
「良い匂いですね」
作業を全て終えてから、イトとともに竈の近くへと寄るとリアンが自慢げににっこりと笑みを返してくる。
「リッカが色々な食材と調味料を貸してくれたからね。まさか野外で美味しい夕食にありつけるとは思わなかったよ」
「つまり、味見は済んでいるようですね」
「あっ……。お、美味しかったよ!」
イトから指摘を受けたリアンはしまった、という表情をしてから隠すように視線を逸らしていた。
アイリスも鍋の中を覗き込んでみる。鍋の中には透明な色のスープが入っており、具材は野菜の他に魚も入っているようだ。
ちらりとクロイドの方を見ると、使い終わった調理器具を川の水で流して洗っているようだ。
彼は戻って来ると、リッカから借りている調理器具を布に包んでから自身の荷物の中へと仕舞い込む。そこで、やっとアイリスとイトが戻ってきていることに気付いたらしく、顔を上げた。
「アイリス達も準備が終わったのか」
「ええ、つい先ほど」
「それじゃあ、食べるか。もう、煮えていると思うし」
竈の傍にある大きな石の上には四人分の木製の深みがある皿が置かれていた。クロイドは皿を左手に取ると、スープを掬うための調理器具を右手に取ってから、注ぎ始める。
注ぎ終わったものは、目を輝かせて夕食を食べるのを今かと待っているリアンへと手渡していた。
「はい、リアン」
「ありがとう!」
しかし、リアンはすぐに食べることはせずに、全員分の食事が揃うまで、待つつもりらしい。恐らく、イトが静かにリアンを睨んでいることも関係していると思われる。
イトの分を注ぎ終わってから、クロイドはアイリスにスープが注がれた皿を手渡してくる。
「はい、アイリス。あと、スプーンも」
「ありがとう、クロイド」
手元に渡された皿に入っているスープの匂いは、すっかり空腹となっている身体に染み込んでいくようだ。
クロイドが彼の分のスープを注ぎ終わったのを確認してから、リアンが満面の笑みを浮かべる。余程、食べることを楽しみにしていたらしい。
「いただきますっ!」
「いただきます」
クロイド達が作ったスープにスプーンを浸してから、一口分を掬い、そして口へと含めていく。
広がっていくのは魚と野菜が融合したような優しい味だった。何か調味料を入れているのか、その味はくせがあるようなものではなく、ゆっくりとお腹へと伝わって、内側から温めてくれる気がした。
その美味しさに思わず、クロイドの方をちらりと見ると彼はどこか嬉しそうな表情を浮かべて、アイリスに頷き返してくる。
「君の好みに合ったようで何よりだ」
「……私、顔に出ていたかしら」
「美味しいものを食べた時、君の表情はふわっと緩まるからな」
「……」
どうやらクロイドに表情を観察されていたらしい。アイリスは少々気まずさと恥ずかしさを感じながら、次の一口を食べるためにスプーンを動かす。
空は先程よりも暗くなっており、アイリス達が囲っている竈の火以外で、灯りが見える場所は他にはない。暫くすれば月が昇ってくるだろうと思っていると、それまで食事に夢中になっていたリアンが突然、手を止めたのだ。
「……リッカやライカは今頃、何をしているかなぁ」
ぽつりと呟かれる彼の言葉を聞いた他の三人は、一斉にリアンへと視線を向ける。
「あの二人はしっかり者です。きっと今頃、私達と同じように夕食を食べていますよ」
リアンにそう答えつつも、やはりイトもリッカ達のことが心配なのか、彼女の視線はどこか遠くを見ていた。
「昨日の診療所の先生の件があるから、あまり二人きりにしたくはなかったんだけれどね。でも、俺達の任務に同行させることは出来ないし……」
「……ああ、セプスさんか」
「うん。何というか……俺の気のせいかもしれないし、相手に失礼だけれど、妙な人だなって思っていて」
「まあ、医者というものは人の身を心配するのが仕事のようなものだからな。……だが、リッカ達の健康状態を素人目で見る限りでは、栄養剤を打つ程までには見えなかったけれどな」
「私もそう思うわ……。セプスさんが異常に心配性なだけかもしれないけれど……」
それぞれが食事を進める手を止めて、黙り込むと何かを決意したように、イトがぱっと顔を上げた。
「皆さんの耳に入れておくべきか迷ったのですが、一つお伝えしたいことがあります」
真面目な表情で彼女は突然、話を切り出して来たため、アイリス達は一斉にイトの方へと振り返った。
「何だ、イト?」
「……現在、島の診療所に勤めている医者の名前は、セプス・アヴァールで間違いないですよね?」
「ええ、そうよ。確かにそう聞いたわ」
やけに真剣な表情をしているのが気になったため、アイリスが首を傾げながら訝しげに答えるとイトは一度、息を飲み込んでから、言葉を吐いた。
「一年前にこの島へ定期巡回に訪れたチームが書いた報告書を読んだのですが……。そこに『セプス・アヴァール』という名前はありませんでした」
「え?」
「以前、診療所に居た医者の名前はクリキ・カールという中年の方です」
イトの視線は何か意味を含めたような言い方にも聞こえて、アイリスがどう答えようか迷っていると、リアンが疑問の声を上げる。
「前のチームが巡回を終えてから、勤務している医者が変わったんじゃないの?」
「リアン……。あなたも前回の報告書をよく読んでおくようにと言っておいたはずですが、まさか忘れていましたか?」
「うぐっ……。そんなことは……」
リアンはイトから視線をゆっくりと逸らしつつ、スープに口を付けて、わざと言葉を出せないようにしていた。恐らくイトの言う通り、一年前に定期巡回したチームが書いた報告書をよく読んでいなかったのだろう。
「それで勤務している医者が一年前とは違うということが、何かおかしいのか?」
リアンから意識を逸らすためにクロイドがイトへと話の続きを求めると彼女は首を縦に振った。
「一年前の報告書には、島人達に栄養剤が打たれるなんてことは一言も書かれていませんでした。恐らく、セプスという医者が独自で判断して行っていることなのでしょう」
「……」
「前任のクリキ・カールという方はこの島に彼自らの意思で駐在することを決めた唯一の医者でもあり、そして──嘆きの夜明け団所属の魔法使いだったそうです」
イトの視線は皿の中のスープへと注がれている。彼女の黒い瞳は一体、何を知っているというのだろうか。
アイリスは何となく、イトが紡ぐ言葉を聞いてはいけないような気がしつつも、しっかりと耳を傾けていた。




