外周
アイリスは試しに抜いた剣の剣先を巨石へとそっと触れさせてみる。触れた瞬間、剣は大きな金属音を立てて自分の方へと跳ね返されてしまう。
しっかりと柄を掴んでいなければ、遠くに弾き飛ばされていたかもしれない。
「アイリス、大丈夫か?」
突然、大きな音が響いたため、クロイドが慌てた表情で巨石の陰から顔を覗かせて来る。
「ええ、平気よ。巨石にかけられている防御魔法がどのくらいのものか確かめたかっただけよ」
「そうか……。だが、素手で触れるなよ?」
「分かっているわ。あなたこそ、気を付けて」
お互いに注意するようにと言葉を告げてから、アイリスは再び巨石へと視線を向ける。
……クロイドの手も私の剣も跳ね返されたということは、この巨石にかけられている魔法は恐らく、あらゆる攻撃を防ぐものだわ。
防御魔法には様々なものがある。悪意ある攻撃を防ぐものもあれば、魔法をかけた本人以外が触れられないように完全に守るためのものもあった。
この巨石の場合、恐らくかけられている魔法は後者の方だと思われる。
……そうなると、魔法をかけた本人はどうしてもこの巨石に触れられたくはないってことね。大きさ以外の見た目は普通の石のように見えるけれど……。
巨石そのものに魔力が宿っているのかと思ったが、外から防御魔法がかけられているならば、その可能性は低くなるだろう。
それにエディクの魔力を辿るために持って来ていた魔力探知結晶も全く反応していないようだ。
他人が関わっているとすれば、どのような理由で誰も来ないはずのこの場所で、巨石を守るように魔法をかけているのだろうか。
この巨石を守ることで、魔法をかけた者が得をするようなことがあるのか、と考えたがやはり分からないままだ。
アイリスが悩むように唸っていると、どこか遠くの場所からクロイドの呼び声が聞こえた気がして、アイリスはぱっと顔を上げた。
「──アイリス、ちょっとこっちに来てくれないか」
「分かったわ」
アイリスはクロイドの声が聞こえた方へと向かうべく、再び背の高い草の中へと足を踏み入れる。クロイドが先に通ったおかげで、幾分か通りやすくなっているが、それでも視界が狭まるのは確かだ。
「どうしたの、クロイド」
自分の身長と同じくらいの背丈の草が伸び放題であるため、すぐにクロイドの姿を見つけることは出来ず、アイリスは声をかける。
「こっちだ」
先程よりもクロイドの声が近い。恐らく、近い距離にいるのだろうと思っていると、クロイドの黒髪が見えたため、アイリスは安堵の溜息をふっと吐いた。
やはり、声が聞こえるのに見えない位置にいるのは少々不安になるものだ。
「何か見つかった?」
伸び切った草の隙間から抜き出るようにアイリスはクロイドのもとへと歩く。
「これを見てくれないか」
アイリスはクロイドの隣に立って、彼の瞳が映しているものを見るべく視線の向きを変えた。
伸び放題の草で覆われている場所のすぐ隣には何かによって、地面と草が踏み固められている開けた場所があった。
その場所はほとんど円形に近いもので、よく見れば地面が所々ひび割れている。
「何、これ……」
まるで、地響きでも起きたように地面は割れており、そこには一つの空間が出来ていた。
初めて見る不思議な光景にアイリスが唸っていると、クロイドが一歩前へと進んで、その円形の中へと入っていく。
「危ないわよ、クロイド……」
しかし、クロイドはアイリスの注意を聞かないまま、円形に出来ている踏み固められた場所の外周を歩き始めたのだ。
何をしているのかと思っているうちに、クロイドは外周を一周してからアイリスのもとへと戻って来る。
「……なるほどな」
呟かれた言葉は納得、というよりも確信を得たもののように聞こえた。今の行動によって、何か分かったことがあるのだろうか。
「この場所の外周を歩いて、その歩数を調べてみたんだが……。巨石の外周とほとんど同じだった」
「え……」
思わず口をぽっかりと開けて、眉をひそめると、クロイドは困ったような表情で頷き返す。
「え、ちょっと待って……。どういうことか整理させて」
アイリスは頭の中でクロイドが言った言葉を整理しようと試みる。巨石の外周と今、自分達が立っている人工的に開けた場所の外周がほとんど同じということは、つまり──。
そこで、アイリスは唾を飲み込んだ。
「巨石が……この場所からあちら側へと移動しているということ?」
自分でも確信が持てないまま、静かに呟くとクロイドはアイリスの発言に同意するように真っすぐと頷いてくれた。
どうやら彼は、円形に作られたこの場所を見た瞬間に、巨石の外周と同じ大きさなのではと判断していたらしい。
巨石に防御魔法がかけられているだけで、状況は複雑になっているというのに、更に疑問が増えた気分だ。アイリスが右手で額を抑えつつ、唸るような溜息を吐く。
「……ひとまず、巨石について考えることは置いておいて、エディクさんがこの場所に来ていたのか、周囲を調べてみましょう。もしかすると彼がここに来た痕跡があるかもしれないし」
「そうだな。……暑いから、無理しないようにな」
「あなたこそね」
自分達がやるべきことは巨石について詳しく調べることではない。エディク・サラマンの行方を捜すことだ。
……エディクさんはこの島の神様と迷える森について調べるために来たのよね。それなら、彼が知りたかったことは見つかったのかしら。
どのような真実を見つけたくて、エディクはこの島へと訪れたのだろうか。もしかすると、すでに知りたかったことを見つけられたのかもしれないし、まだ夢半ばなのかもしれない。
だが、それでも確かなことが一つある。
……この島の神様は何だか不気味だわ。
誰かに視線を向けられているわけでもないのに、アイリスは小さく身震いした。人を攫い、神隠しを起こす神。
もしかするとすぐ傍にある巨石こそがその神が宿るものなのかしれない。そう感じてしまえば、恐れを抱かずにはいられないのだ。
……だからこそ、人は見えないもの、分からないものに対して畏怖を抱くのかしら。
深い信仰心は持っていないが、それでも「何か」を恐れるには十分過ぎるものがここにはある。
巨石がただの石ならば、変な疑いをかけなくて済んだのだが、誰かによって魔防されているため、現在も頻繁に起きている神隠しと関連しているのではと勘ぐってしまうのだ。
だが、いくら考えてもアイリスが、全ての真実を知るための術など持っているわけがなかった。




