巨石
昼食を食べ終えたアイリス達は少しだけ休憩をしてから、再び歩み始めた。
自分の体力の限界というものを分かっているため、途中で足を休めては再び歩くということを繰り返し、何が待っているのか分からない目的地を目指して進んでいた。
「──あ……」
先程と同じように風の魔法を纏わせた長剣で草を刈りつつ、先頭を進んでいたイトが訝しげな声を上げて、何故か急に立ち止まったのである。
「どうしたの、イト」
「いえ、向こうに……」
そう言って彼女が指差す方向に、3人は同時に視線を向ける。立ち並ぶ木々の隙間の遥か先に何かの物体が見えていた。
「うーん、遠くからだと良く見えないな……」
リアンは目を細めながら、向こう側に見えるものが一体何なのか考えているようだ。だが、やはりこの距離だと木々の隙間から見えるだけなので、その物体が何なのかはっきりとは分からなかった。
「とりあえず、行ってみましょう」
色々と疑問に思うよりも直接行って、自分の目で確かめた方が早いだろう。アイリス達は木々の隙間に見えた物体を目指して、歩くことにした。
……でも、やっぱり迷っている感覚はないわ。
森の奥深くは「迷える森」だと言われているが、今の自分達が居る位置は確実に森の中で深い場所だろう。
知らずの間に迷っている可能性だってあるかもしれないが、思案していても仕方がない。今は前に進むことが先決だ。
足を進めるたびに、一度視界に捉えた何かの物体との距離を少しずつ縮めていく。
木々の隙間を縫って、辿り着いた先でアイリスは思わず立ち止まっていた。
開かれた視界に最初に映ったものは見上げる程に高く、横幅も広い、白い巨石だったからだ。
「何だ、この石……」
先頭を歩いていたリアンも立ち止まり、口を大きく開けたまま目の前に現れた巨石を凝視している。
巨石は民家が2、3軒連なった大きさで、今までこれ程の大きな石を見たことが無いアイリスは目を見開いたまま動けなくなっていた。
「普通の石みたいだが……」
4人の中で一番に冷静を取り戻したクロイドが首を傾げながら、周囲を注意しつつ石に近づいて行く。
「クロイド、無闇に近付いたら危ないわ」
「ああ、分かっている」
アイリス達もゆっくりとだが、開けた場所に堂々と構えている巨石を観察するべく、近づいてみる。
「……見た目は白いですが、ところどころに苔が生えていますね。随分と昔からこの場所にある石のようです」
念のためにとイトが背中に抱えていた長剣を抜いて、構えながら慎重に前へと進んでいく。
「ねえ、イト。……東洋の国では、あらゆるものに神様が宿る考えが存在しているのよね? その中に、石も神様として祀られることはあるのかしら?」
アイリスの発言に、クロイドとリアンが一斉に振り返って来る。やはり、彼らも気になっていたのだろう。
「……ありますね。石そのものが神というよりも、神が宿るものとして祀られることもあるそうです」
「神が宿るもの……。だから、それを信仰対象にするということか」
クロイドの確かめるような問いかけにイトは真っすぐと首を縦に振る。
「そういうことです。……ですがこの巨石が、神が宿るものだとして、島人達は神がどのような存在であるのか知らないんですよね? 神を信仰しているなら、祀られる場所を大事にしていると思ったのですが……」
「島人達の中には神が住まう場所として迷える森を神聖視している人もいたから、こんなに奥まで入って来ないのかもしれないわ」
周りを見渡せば、巨石が佇んでいる場所以外は草が伸び放題だ。巨石に近づくまで、草の間を分けて入らなければならないだろう。
これならばもし、誰かが通っていたとすれば痕跡が残りやすいに違いない。
「えっ……。それじゃあ、島の外から来た俺達が森の奥まで入ったことが島人達に知られたら、怒られるかもしれないってこと?」
「……怒られるだけで済むといいけどな」
リアンが気まずそうに口走ったことに対して、クロイドが溜息交じりに答える。
確かに無関係である上に神を信仰していない自分達が、島人によって神聖視されている迷える森の中へと入ったならば、信じている清らかなものを踏みにじられたとして、激怒されるかもしれない。
いくら島人達が温厚で優しい人達だとしても、大事なものを粗野に扱われれば、その表情は一変するに決まっている。
「うわぁ……。知られないといいけどな……」
リアンは引き攣った顔のまま、小さく唸る。どうやら怒られるのは苦手のようだ。
「とりあえず、この巨石を調べてみましょうか。……イト達もここまで一緒に来てくれてありがとう。あとはクロイドと調べてみるから、二人は島の北側の見回りに行ってくれて構わないわ」
「……お二人で大丈夫ですか?」
イトが少し心配を含んだ瞳でアイリスを見上げて来る。
「ええ、大丈夫よ。……ねえ、クロイド」
「ああ。それにエディクさんを捜す任務は俺達が任せられたものだからな」
同意するようにクロイドも力強く頷き返してくる。アイリスとクロイドを交互に見やって、イトは小さく溜息を吐いた。
「……分かりました。それでは、出来るだけ早く北側の見回りを済ませて戻ってきますので、どうかお気をつけて」
「ありがとう。イト達も気をつけてね」
「それじゃあ、行って来るよ。何かあったら魔法で手紙でも飛ばしてくれ」
そう言って、リアンは自身の荷物へと手を突っ込んで、何かを探し始める。
「えーっと……。あ、これだ」
リアンが荷物から取り出したのは手に乗る大きさの一枚の紙だった。その形は鳥のような型をしており、形以外はどこにでもあるような紙の端切れに見える。
「最近、魔物討伐課で新しく使われ始めた、伝達用の魔具なんだ」
「式魔みたいだな」
クロイドがリアンからそれを受け取ると、不思議そうな顔でじっと鳥型の紙の端切れを見つめ始める。 以前、アイリスの従兄妹であるエリオスが扱っていた式魔を見た事があるクロイドは式魔についての勉強もしたいと言っていた。
「元は式魔から閃きを得て、魔法課で新しい魔具として考案されたらしいよ。式魔と違って、この魔具は一方的にしか相手に送れないんだ。役目を終えたら二度と使えなくなるから、一度限りの使い切りだけれどね」
「どうやって使うんだ?」
「まず一番上に送る相手の名前を書くんだ。そして、伝えたいことを書いてから、最後に自分の名前を書く。まあ、普通の手紙みたいな感じで書くといいよ」
アイリスもクロイドの手に載せられた一枚の鳥型の紙を覗き込んでみる。何の変哲もない覚え書きのようにも見えるが、れっきとした魔具なのだろう。
「それで相手に送る時はこの紙に魔力を込めて、相手の名前を呟きながら空に放てば鳥みたいに羽ばたいていくんだって。一方的に相手に情報を送るだけなら水晶より持ち運びが楽だし、便利だろう」
教団では、連絡手段として建物内は電話線が引かれているため電話を使用することが多いが、現在も水晶を使用して交信する方法が使われている。
水晶だと両方向からの交信が可能であるため、かなり便利なのだが、持っていては荷物になるし、しかも水晶の数は限られているため、持ち歩くことはあまり好まれていなかった。
「もし、調査中に何かあればこの魔具で私達に知らせて下さい。即行でこの場所に戻ってきますので」
「分かったわ。二人共、ありがとう」
「いえ。……では、行ってきます」
「夕方までにはここに戻って来るからー。それじゃあ、また後で!」
リアンはこちらに向けて軽く手を振りつつ背を向ける。その隣をイトがどこか申し訳なさそうに頭を小さく下げてから、巨石を通り過ぎて、島の北側目指して、歩き始める。
伸び放題の草があるせいで、背中を向けた二人の姿はあっという間に見えなくなり、そして足音さえ届かなくなっていった。
それまでは四人で行動していたため、突然クロイドと二人だけの状態になると、何だか寂しい気もする。
しかし、やるべき事はすでに目の前だ。深く息を吸い込んでから調査を始めるべく、アイリスは気合を入れ直していた。




