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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
裏の教団編
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婚約者


 アイリスはこれでも学生である。セントリア学園には初等部から高等部まであり、その学園の広さは嘆きの夜明け団が所有する敷地に匹敵する程だ。

 通っている学生は庶民から貴族の子息子女まで様々だが、やはりそこには見えない格差が存在していた。


 だが、アイリスにはそんなことはどうでも良かった。正直に言って、学生で学ぶべきことはほとんどが頭に入っているので通う必要はないのだ。

 もちろん学費は成績優秀な特待生であることから免除されている。


 それでも通うのはブレアが行きなさいと言うからだ。彼女は勉強することだけが勉強ではないといつも口癖のように言う。


 何が学べるのかと聞けばそれは自分で見つけるべきだ、と。中等部からここに入ったが未だにその何かを見つけることは出来ていない。


 しかもアイリスは嘆きの夜明け団での仕事が忙しい際はほとんどの授業を欠席していることから、アイリスよりも成績が下の者達は妬みなどを向けてくることが多かった。


 あまり行きたくないと思いつつも行くのは、真面目な性分だからであり、さっさと卒業したいと思っているのが本音だ。


「……今日から新しい学期の始まりだってのに、相変わらず暗い顔ねぇ」


 隣を歩いているミレットが呆れ顔で自分を見て笑う。


「だって、行きたくないんだもの」


 ここには同じ教団の者も通っている。

 人の視線ほど、痛いものはない。


「あ、そういえば……」


 ミレットは何かを言いかけて考える素振りを見せてから、にやりと笑う。


「やっぱり、やめた」


「え、何? 気になるじゃない」


「ふふん。後でのお楽しみに、よ。さ、教室行くわよー」


 半ばミレットに引きずられるようにアイリスは門の下を通る。その場所を通るのはもちろん同じ学生ばかりだ。


 ……本当にここは同じ世界の一部だなんて思えないわね。


 学校に通えない子どもだっている。それでも一生懸命に勉強している子どもも。

 なぜ、金がある者だけしか通うことが出来ないのか、誰もが同じではないということがアイリスは不思議で堪らなかった。


 だから自分が学校へ行くのが面倒だと思っていることはとても贅沢な我儘なのだと自覚していた。

 

 ……ローラや、孤児院の皆、元気にしているかしら。シスター服でも借りて、様子見に行こうかな。


 そんな事を思いつつ、アイリスは教室へと向かう。そこにいるのは同じ年頃の男女ばかりだ。

 そんな彼らが一斉にアイリスの方へと目を向けて、「今日は来たんだな」という顔をする。これも毎度のことなので仕方がない。


 唯一の救いはミレットが同じクラスだと言うことだ。長い机が縦に二列、横に四列の八列が並んだ教室には、まばらだが人がそれぞれ座っている。


 指定されている席は無いがアイリスのお気に入りは窓の近くの端っこの席だった。出来るだけ目立ちたくないからだ。

 それも分かっていてミレットはいつも隣に座ってくれる。


「ねぇねぇ、今日、新しく来る子がいるんだって」


 女子の高い声が響く。


「え、男の子?」


「そうみたい。どんな人かなぁ」


 そんな声を流すように聞きながらアイリスは外を見る。


 ……クロイドは今頃、何しているかしら。


 もうすぐ魔具所有の資格の試験だから、勉強しているかもしれない。彼は自分が思っていたよりもかなり真面目で意外と好奇心旺盛なのだ。


 きっと、もっとたくさんの魔法を覚えられるに違いない。ただ、押し付けしすぎないようにだけは注意しなければ。

 

 そんな事を考えているといつもの彼が来てしまう。

 後ろからの気配にはもう慣れてしまった。


「――やぁ、アイリス。元気だったかい?」


 やけに鼻に付くような話し方にアイリスはまたか、と隠すことなく顔を歪める。


「何? 用がないなら、あっち行って頂戴」


 露骨なほどに嫌だという態度をとってみせる。振り向かなくても声の主が分かるのは、仕方ないことだ。


「邪険にしなくてもいいじゃないか。どうせ、結婚するんだし」


「しないわ」


 さすがにアイリスはその男に睨み返す。

 

 嫌でも視線に捉えたのは自分の従兄弟であるジーニス・ブルゴレッドだ。もちろん、アイリスの大嫌いなジョゼフ・ブルゴレッド男爵の息子だが、正確には自分と血は繋がっていない。


 茶色の髪と緑の瞳はブルゴレッド男爵譲りのようだが、はっきり言って自分の好みではない顔だ。

 声も耳に入れたくないとさえ思っている。


「絶対にしないわ。私はそんな事、認めていない」


 立ち上がり、真っ直ぐと挑むように彼を見る。


「あんたの父親が勝手にそう言っているだけで、私は一切了承なんてしていない。家に帰って伝えておきなさい。私はあんた達の欲望の糧になんかならないってね」


「ひどい言い様だなぁ。これでも僕は結構、君の事を慕っているのに」


 口が上手いのはあの男の息子と言ったところか。

 それでもアイリスは態度を変えることはない。


「そう。残念ね。私はあんた達のことなんか、大嫌いよ」


 周りには聞こえないように小声だが、それでもはっきりと低い声で言い放つ。

 その言葉に余裕の表情だったジーニスも渋い顔をする。


「……まぁ、君がどうこう言って変えられることじゃないよ。……これはもう、決まっていることだから。それじゃあ、また来るよ」


「来なくていいわよ、一生」


 ジーニスが背中を向けるとアイリスは思いっきり舌を出して見送る。

 するとそれまで黙って見守っていたミレットも深い溜息を吐いた。


「……あのお坊ちゃんも相変わらずねぇ」


 自分の事情を知っているのはミレット、ブレア、クラリスくらいだ。

 他には自分がブルゴレッド男爵の息子と無理矢理に婚約させられている状態だということは知らない。


 もちろん、クロイドにもまだ伝えてなかった。


「ここに来たくない理由、分かるでしょ?」


「まぁね」


 ミレットに頼めばあの息子の悪い噂の一つや二つ、簡単に手に入りそうだが、敢えてそうしないのは、いざと言う時の切り札として持っておきたいからだ。


「アイリスも大変よね。……でも、いつか来る問題よ。早く解決しないと」


「分かっているわ。でも、良い解決方法が見つからないのよねぇ」


 するとミレットは閃いた、という顔をする。


「クロイドに婚約者を頼めばいいんじゃない?」


「はぁ?」


 予想外過ぎて思ったよりも間抜けな声が出てしまう。


「先にクロイドと結婚しちゃえば、あのお坊ちゃんとの結婚なんて出来ないでしょ」


 いかにも名案だと言わんばかりにミレットは鼻で息をする。


「いやいや、どうして私とクロイドなの? 私達、会ってからまだ一ヶ月も経ってないのよ? ただの相棒であって、そんな感情なんてないわ」


「でも、この先どうなるかは分からないでしょ?」


 得意げに人差し指を口に当てて、ミレットは小さく笑う。


「……それなら、ミレットだって気が変わってヴィルさんと結婚するかもしれないわね」


 意地悪でそう言うと案の定、ミレットの顔が苦いものへと変わる。


「ちょっと、どうしてそうなるのよ」


「その理論なら、当てはまるかもしれないでしょ?」


「あーもう、この話終わりっ」


「ミレットからはじめたのに……」


 苦笑しながら、アイリスは視線を空へと戻す。


 ……クロイドが、恋人になることなんて、あるのかしら。


 今まで、「恋慕」と呼ばれる感情に陥ったことはない。一つの目的しか目に入っていなかったからだ。

 だが、今は前よりも心に余裕というものが持てるようになっているのかもしれない。

 

 クロイドは良い人だと思う。

 自分が出会った人は少ないが、それでも彼は良い人だと思えるほどの感情は持っている。

 それは多分、相棒として接しているからだ。


 ……世間の女の子の気持ちが分からないわ。


 誰それが好きだ、誰それに告白した。

 そんな話は遠い世界の話であって、自分には関係ないことだと思ってしまうのだ。

 

 いつか、自分にも心から添いたいと思える人が出来るだろうか。

 偽りではなく本当に心の底から、そう願える人が。


 ふと、クロイドの顔が思い出されたが、気のせいだろうとアイリスは首を横に振った。



 時間を知らせる鐘の音が校舎中に響き、生徒達は各々、好きな席へと座り始める。

 そこへ先生が一人の少年を伴って入ってきた。転入生なんて、特に気にはならないが、その時は違った。


 視線を感じたからだ。


 そして向けられた視線の方向を向くとそこには自分がたった今、頭の中で浮かべていた人物がいた。


「今日から、この学園へと通うことになったクロイド・ソルモンドだ」


 先生の言葉がやけにゆっくりと聞こえた。

 隣のミレットは横目で分かるくらいににやにやと笑っている。


「宜しくお願いします」


 彼はたった一言、それだけ告げる。


「席は自由だ。分からないことがあれば、皆に聞くといい」


「はい」


 軽い挨拶の後にクロイドは席に座るため動き出す。

 そしてアイリスの前の席へと鞄を置き、座ってから少しだけ振り返る。


「……宜しくな」


 まだ、慣れていない悪戯っぽい笑み。

 本物だと認識するには頭の中がいっぱいで整理しなくてはならなかった。


 ぽっかりと口を開けたままのアイリスにミレットは笑いが堪えきれなくなったのか、机に伏せるように腹を抱えていた。



    

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