病は気から
「でも、リッカもライカも元気なように見えますよ? 特に往診する必要はないのでは?」
初対面であるにも関わらず、臆することなくリアンが腕を組みながら不思議そうにセプスにそう訊ねると、彼は首を横に振りつつ、軽く溜息を吐いた。
「君達は島の外から来たから分からないかもしれないが、この島では外からの食料の物流が滞っていることにより無意識的に栄養不足の人が多いんだ。基本、料理には魚か野菜しか使われないからね。肉や乳製品はほとんど使われないし」
セプスの口調はまるで、学校で授業を教えている先生のような話し方だった。
「何せ食料の物流は漁を終えた漁師達がナルシス港に寄ってから、買いだめするしか方法がないからね。あとは定期船に乗って、それぞれが買いに行くくらいかな。でも、それだと渡航費が半端なく掛かってしまうし、必要な栄養分が入っている生ものの食材は日持ちしないから、買わないようだし……」
そう言いつつ、セプスは持ち歩いてきた鞄の中へと手を突っ込んで何かを探るようにしながら、すっとアイリス達の目の前へと取り出した。
「だから週に一度、往診の際に栄養剤を打ちに来ているんだ」
セプスが鞄の中から取り出したのは透明な液体が入れられている一本の注射だった。それを見た瞬間、リッカが途端に怯えた表情で後ろへと下がったのをアイリスは見逃さなかった。
……怖がっているみたい。一体どうしたのかしら。
それでも、リッカは恐れを抱いている表情を表に出さないように顔を少し顰めて、唇を一文字に結び直していた。
「わ、私もライカも、体調には気を遣っています。もう、必要ありませんから……」
掠れそうな声でリッカはセプスに対して拒否の反応を示す。
「うーん、そうは言っても心配なものは心配だからなぁ」
セプスが小さく唸るように言葉を返すが、それでもリッカは絶対に往診を受ける気はないと態度を取ったままだ。
この状況をどうするべきかアイリス達が迷っていると、それまで後ろで隠れるようにして話を聞いていたイトがひょいっと一歩前に出て、言葉を挟んできたのである。
「確か、セプスさんと仰いましたか……? ……他人が口出すようなことではありませんが、暫くお二人の体調に関しては様子を見てはいかがでしょうか」
鈴の音のように凛としているにも関わらず、有無を言わせぬ気合のようなものが込められた言葉がはっきりと響くように零され、その場に居る者が一斉にイトへと視線を向ける。
「東洋の国に伝わる言葉で、病は気からという言葉があります。気の持ちようによって、良くも悪くもなるという意味です」
一歩、一歩前へと進み、そしてイトは真っ黒の瞳を細めつつ、セプスを見上げる。
「人の健康を気にかけることはとても良い事だと思いますが、気にしすぎて逆にいらぬ病を本人にもたらす可能性もあるのでは?」
セプスよりも身長が低いイトから、見上げるように細い視線を向けられたことで、セプスは少しだけ身体を仰け反らせる。
「医者ではない上に医療に関して素人の私から見ても、リッカ達は健康のように見えます。栄養剤とは言え、多量に摂取し過ぎれば、今後の生活においても栄養剤無しでは生きてはいけない身体になりかねませんよ」
「……」
イトの言葉に圧倒されているのか、セプスは身体を仰け反ったまま、目を見開いて固まっている。その状態が暫く続いて、彼はふっと深い溜息を吐いた。
「確かに君の言う通りの部分もあるだろう。……だが、私も医者として患者が不健康になるのだけは避けたいんだ」
「目の前にいる本人が健康だからと拒否をしても、ですか?」
そう訊ねたのはリアンだった。リアンの表情はどこか不思議なものを見るような丸い瞳になっており、首を傾げてセプスに訊ねていた。
「……本人が気付かないことに気付くのも医者の務めだ」
「では、本人の要望に応えるのも医者の務めでは?」
言い返したのはイトだ。無表情は変わらないが、それでもリッカの意思を尊重したいらしく、イトはリッカを守るように立っている。
だが、イトは突然、ふっと息を吐くように口元を緩めて笑って見せたのだ。それがあまりにも自然な笑い方に見えたアイリスとクロイドは見間違いだったのではと何度も目を瞬かせる。
「大丈夫ですよ。……ね? 様子を見ましょう? それにリッカも断っていることですし、無理に栄養剤を与えても、逆効果で具合を悪くしてしまうかもしれませんよ」
目の前にいるイトは本当に先程までの無表情の彼女と同一人物なのか、疑いそうになるが、やはり穏やかな笑みを浮かべているイトは本人そのものだ。
だが、視界の端に見えたリアンの喉が低く鳴ったのをアイリスは気付いていた。リアンはどこか怯えるように肩を震わせて、叱られた子どものように首を引っ込めている。
彼の様子から察するに目の前で浮かべているイトの爽やかな笑みには何か裏があるようだ。
「……」
セプスが眼鏡の下の瞳を少し残念がるように細めて、イトからリッカへと視線を向ける。
リッカは少しだけ唾を飲み込んでいたようだったが、それでも視線を逸らす気はないらしく、真っすぐとセプスを見ていた。
「リッカ……。本当に、大丈夫なんだね? 無理はしていないかい?」
「だっ……大丈夫ですっ。私もライカも健康そのものです! 食事はしっかり摂っていますし、睡眠だって十分過ぎる程に取っています。暑い日に無理をして働いてもいませんっ!」
セプスの問いかけにリッカは慌てる素振りを見せつつも、はっきりとした声で答える。アイリスから見ても、リッカ達姉弟の様子は具合が悪そうには全く見えないし、むしろ元気と言っても良かった。
「……まあ、僕が心配し過ぎていることは認めよう」
セプスは溜息を吐きつつ、手に持っていた注射器を鞄の中へとしまった。
「暫くは様子を見ることにするけれど、もし少しでも身体に異常を感じたら遠慮なく言って欲しい。それで良いかな?」
「は、はいっ……」
リッカは何度も首を縦に振って、返事をする。余程、往診を受けたくはなかったらしい。
「それじゃあ、今日のところは仕方ないけれど、僕は帰るとするよ。……ああ、そうだ」
セプスはこちらに背を向けようとしていたが、足を止めて再びアイリス達の方へと振り返る。
「……君達も、この島に滞在するのならば、どうか健康には気を遣ってくれ。最近は暑い日が続いているから、よく具合を悪くする人が多いんだ。もし、用がある時は診療所に来てくれて構わないから」
「……はい」
セプスの気遣いに対して、アイリスが小さく頷きながら返事をすると、彼は納得したらしく、今度こそアイリス達の方に背を向けて、スウェン家の扉を閉めて去っていった。




