往診
「あー……。もう、全然分からねぇー!」
リアンが自身の頭をがしがしと荒っぽく掻きつつ、床の上に背中をつけるように倒れ込んだ。どうやら考えることを放棄したらしい。
「こら、リアン。お二人の前で行儀が悪いですよ」
「だってさぁ、考えても何が本当のことなのか、全然分かんないし……」
「神や宗教に関しては難しい問答が永遠に続いてしまう疑問の塊ですからね」
呆れたようにリアンに向けて呟きつつも、イトもこれ以上考えることは出来ないと言わんばかりの表情で肩を竦めていた。
「それもそうね。……でも、この島に元々住まう神かそれとも、人によって作られた神なのかは分からないけれど、島の人達が信仰していることには変わりないもの。それを根本的に否定してはいけないと思うし」
それでも、疑問は残ったままだ。島人達は神様に連れ去られた人は現実とは別の世界で幸せに暮らしていると信じているが、それには一体、神様側にどんな利益があって人を連れ去っているのだろうか。
……神様の思考を考えても仕方がないことだわ。
見た事も信じたこともない神について考えても、理解が出来る頭を持っているわけではない。
ただ、神隠しを起こしているのが元々この島にいる「神」なのか、それとも人によって作られた「神」なのかは分からないが、何かしらの力を持っているのではと考えておいた方がいいだろう。
……見た事もない神を恐れるなんて、何てあやふやな世界なのかしら。
信仰するものは人それぞれだ。だが、「神隠し」を起こす姿の見えない何かに恐れを抱かずにはいられなかった。
「それじゃあ、とりあえず明日の早朝に森へ出発するとして、まずはリッカ達に話を通しておかないとな」
「そうね、1日……もしかすると2日も空けることになるなら、心配をかけてしまうかもしれないし」
アイリスがさっそく、リッカに話をするために部屋の扉を開けようとした時だ。
「──っ」
廊下の奥の部屋にいるはずのリッカが誰かに対して否定するような言葉を発した気がして、アイリスは扉の取っ手を触れたまま、立ち止まってしまう。
「何だ、今の……? リッカがライカを叱っているのかな?」
「喧嘩か?」
腰を上げたリアンに続くようにクロイドとイトも立ち上がる。どうやら三人共、扉の向こう側の様子が気になるらしい。
アイリスは一つ息を吐いてから、扉をそっと開いて、食器を片付けていたリッカがいるはずの部屋の方へと意識を向けた。
「──なので、もう大丈夫ですからっ」
リッカが震える声で、少々焦るように誰かに対して言葉を吐き出している。だが、その口調から察するに言葉を吐いている相手はライカではないようだ。
アイリスの背後にいる三人の方へ視線を向けると、三人はお互いの顔を見合わせて、奇妙な表情をしていた。穏やかなリッカにしては声を荒げているので珍しく思っているのだろう。
「そうは言ってもね、リッカ……。やはり、島の人達は島外の人と比べると明らかに摂取する栄養の量と質が低いんだ」
何だか聞いたことがある声に反応したのはアイリスとクロイドだ。二人はお互いに顔を見合わせて、それからそっと部屋から廊下へと出る。
「私もライカも、毎日ちゃんとした食事を摂っています。それに栄養を考えた献立だって、作っていますし……」
声色から察するにリッカは話し相手に対して、どうやら困っているような反応を示している。
これは自分達が出て、話の仲裁をした方がいいだろうかと思っているうちにアイリス達を通り越して行ったのはリアンだった。
リアンはどうやら頭で考えるよりも心が先に動いて行動してしまう性質らしく、イトの右手がリアンの服を掴もうとしていたが、間に合わず空を掴んでいた。
リアンの背中が見えてから、アイリス達も慌ててその後を追うことにする。
「だが、ほとんど食料の物流が行われていないこの島において、摂取する栄養は限られているだろう。……これも君とライカのためなんだ」
「でも……」
「──どうしたの、リッカ」
リッカとその話し相手の会話にリアンは無理やりに入り込み、話を中断させたのである。
ちらりと背後にいるイトの方へ視線を向けると彼女は右手で頭を抱えつつ、どうしようもないと言わんばかりに深い溜息を吐いていた。
「あ……。リアンさん……」
「ん?」
そこで話し合っていた二人は、突然現れたリアンの方へと一斉に視線を向ける。アイリス達もリアンの背中越しに見た人物に対して、思わず小さな声を上げてしまった。
「セプスさん……」
何と、リッカが困った様子で対応していた相手は先程、アイリス達が訪ねた診療所の医師、セプス・アヴァールだったのだ。
「おや、先程の……」
セプスは白衣姿でスウェン家の入口の扉のところに立っていた。
眼鏡を指先で押すように少し持ち上げながら、突然現れたアイリス達4人を交互に見やって、不思議そうに首を傾げている。恐らく、どうして自分達がここにいるのかと思っているに違いない。
「こんにちは、セプスさん。……私達、この島に滞在する期間はリッカの家を少しの間だけ借りているんです」
問われるよりも先にアイリスが簡単に説明すると、それだけで理解したのかセプスは首を縦に何度か振りつつ、納得したようだ。
そして、彼はその視線をリアンとイトの方へと向ける。
「君達も観光でこの島に?」
「まあ、そんなところです。リアンって言います。こっちはイトです」
リアンが軽く自己紹介をすると、一番背後にいるイトはどこか胡散臭そうな瞳を隠すことなく目を細めながら、セプスに向かって小さく頭を下げていた。
「どうもご丁寧に……。僕はこの島の診療所に勤めているセプス・アヴァールだ」
セプスがそう答えた瞬間、視界の端に映るイトが一瞬だけ動じたような様子を見せた気がした。
「あ、医者だったんですね。……それで二人は何だか言い争っているように聞こえたけれど、一体どうしたんですか?」
すでに相手に対して警戒を解いているリアンがリッカとセプスに訊ねると、リッカはどこか気まずそうに視線を逸らした。
「……ふむ。いや、実はね……。僕は週に一度の往診を行なっているんだが、リッカとライカが応じてくれないんだよ」
「往診?」
訝しげな表情でクロイドが訊ね返すと、セプスはその通りだというように首を縦に振った。
「とても大事な往診なんだ。でも、リッカが受けてくれなくてね……。前まではこんなに拒むことなんてなかったのに」
どうしたものかと言うように、セプスは腕を組みつつ困った表情をリッカへと向けた。リッカは唇を小さく噛み締めながら、自分の左腕を右手で抱くようにしながら黙っていた。
訊ねなくてもどうやら彼女の方に訳ありなのは何となく察せられた。




