憂いの表情
「エディクさんはとても良い人物だったからな……。島の人達にも慕われていたし、僕としても彼は良い友人だった」
「……」
セプスによって低く、切なく吐かれる言葉は、エディクが行方不明になっている現実をまだ受け入れられないと言わんばかりに気弱なものだった。
それほど、目の前のセプスはエディクの身を案じているらしい。自分達には分からないが、セプスとエディクの間には確かな友情らしきものがあったのかもしれない。
「あの……」
アイリスは思い切って、声を張り上げた。セプスの視線がゆっくりとアイリスの方へ向けられる。
「私達がエディクさんの行方を捜しますので。……結果がどうなるかは分かりませんが、もしエディクさんについて色々と分かった場合は、その結果をお伝えしに来ても宜しいでしょうか」
もしかすると、エディクの身に何かが起きている可能性だってあるのだ。それは生死に関わることだってあるかもしれない。
任務中であるアイリス達にはエディクの生死を受け止める覚悟はある程度、出来ているつもりだが、知人であるセプスや島の人達はどう思うかは分からない。
そして今回、アイリス達が任務として任せられているのはエディクの安否を確かめて、彼を教団へと連れて帰ることだ。
だが、彼の生死を誰かに伝えてはいけないとまでは言われていないので、エディクに関わった者達に任務内容は話すことは出来なくても、無事かどうかくらいは伝えてもいいはずだ。
「……良いのかい?」
セプスは意外だと思ったのか、眼鏡の下の瞳を再び大きく見開く。
「はい。……もしかすると、エディクさんはもうこの島を出ているのかもしれないし、出ていないのかもしれない……。それがどちらなのかは分かりませんが、少しでも彼の事が分かれば、お伝えしたいと思います」
この目の前にいるセプスも、ブレアと同様にエディクの友人なのだ。友人の行方がどうなっているのか心配する心は同じだろう。
「ありがとう……」
アイリスの言葉にセプスがふっと薄い笑みを浮かべて、どこか力なく微笑んだ。だが、彼はすぐに真面目そうな表情へと戻って、一つ呼吸をする。
「だが、君達に一つだけ忠告しておきたいことがある」
「え? 忠告、ですか?」
一体、何だろうかとアイリスとクロイドは顏を見合わせてから、セプスの方へと少し身を乗り出すようにしながら話の続きを訊ねる。
「ああ。……オスクリダ島で伝わる『神隠し』は知っているかね」
「……」
突然の言葉にアイリス達は思わず、返す言葉が見つからないまま黙ってしまう。
「その様子だと、どうやら知っているようだね」
「……この島を訪れる前に少し耳に入れた程度です。何でも、島人が迷える森と呼ばれる森の奥に祀られている神に突然、連れ去られるらしいですね」
島に来る前にブレアから聞いていた話をクロイドが思い出すように思案しながら呟くと、セプスは肯定の意で首を縦に振った。
「そうだ。だが、これはただのおとぎ話じゃないんだよ。そして、島人達も突然、姿を消すことがあるのも事実だ」
セプスの表情は真剣なものへと変わっており、アイリス達以外に誰も診療所の中には人がいないにも関わらず、聞き耳を立てられたくないのか軽く周りを見渡していた。
しかし、セプスは他の島人達のように、神隠しを良いものだと思っていないらしい。その事が少し気になったが、アイリスは訊ねないまま、セプスの話に耳を傾けた。
「迷える森と呼ばれる森の奥深くの場所にだけは、気をつけて欲しい。君達はエディクさんを捜してこの島に来たようだが、森の中に入ることはあっても、どうか……決して、迷える森にだけは入らないようにしてくれ」
ブレアからも注意を受けた森の名前にアイリス達は思わず拳を握りしめてしまう。だが、この森は一度入れば出られないから迷える森だとブレアが言っていた。
頭では分かっているのだが、この迷わないようにする方法をどうするべきか、まだ考えが至っていないというのが本音である。
そして、エディクを捜すためにこの島へと来た以上、避けることが出来ない場所でもあった。
「……」
アイリス達の無言を肯定だと受け取ったのか、セプスは一度強く頷く。
「君達がどんな結果を運んで来ようとも、全て受け止めるつもりだ。……待っているよ」
「……はい」
セプスの表情はどこか憂いているようにも見えて、アイリスはエディクに関する話を本当に彼に話してしまって良かったのだろうかと少しだけ心を痛めた。
相手にこんな悲しい表情をさせるつもりはなかったのだ。だが、謝ることも出来ず、アイリス達は長椅子から立ち上がる。
「すみません、突然お訪ねして……。エディクさんについて何か分かり次第、お伝えしに来ますので」
「ええ、待っています」
アイリスとクロイドは同時にセプスに向けて、頭を軽く下げてから、診療所から立ち去ろうと扉に手をかける。
「……どうか、お気をつけて」
背後から聞こえたセプスの言葉にはどのような意味が含められているのか、訊ねることは出来ない。アイリスは少しだけ頷いてから、診療所の扉の向こう側へと足を進めた。
この季節特有の暑い日差しが、その場に降り注ぎ、それまで自分達が滞在していた診療所とは別世界に来たような感覚に一瞬だけ捉われそうになる。
診療所の扉を閉めてから、アイリス達は少しの間、無言のまま歩き始める。
……死の宣告をしたような、そんな気分だわ。
誰かにとって近しい人の死を告げた時、恐らく先程のセプスのように憂いの表情を相手に与えることになってしまうのだろう。
だが、それでも自分達のやるべきことは分かっているつもりだ。エディク・サラマンの行方を捜す、そのためにオスクリダ島へと訪れたのだから。
「クロイド」
「何だ」
「もっと、聞き込みをしましょう。先にエディクさんがこの島から出ていないことを確かめて、その後に──森を調べましょう」
「……分かった」
クロイドもアイリスの言った言葉にどのような意味が込められているのか瞬時に察したらしい。
オスクリダ島には本土の港であるナルシス港から週に一度の定期船しか出ておらず、それ以外で渡航するにはオスクリダ島の漁師たちが使っている漁船に乗らなければならない。
そのため、もし誰かがエディクをオスクリダ島からナルシス港へと船に乗せて行った可能性があるならば、漁師たちに聞き込みをすれば詳細が分かるかもしれないと思ったのだ。
エディクがもし、この島から出ていないならば、やはり彼の行先として残るのは一つだろう。
……迷える森。一体、何が潜んでいるというの。
アイリスは診療所の裏手にある森の奥深くを睨むように瞳を細める。
立ち並ぶ木々によって、大きな影が出来ている森からは、アイリス達を誘うように涼しい風が吹き通っていった。




