診療所
リッカによって連れて来られた島唯一の診療所は森に隣接している場所にあった。
他の民家と比べて、診療所は白い壁が目立つ造りに建てられており、長年使われている場所なのか、汚れが目立つが、それでも建物自体はしっかりしているようだ。
「ここが診療所です。多分、中に先生がいると思うので……」
そう説明してから、リッカは一歩後ろへと下がる。
「あの、私は……ここで失礼します。コージさんの畑の手伝いに行きたいので……」
そういえば先程、リッカはコージに後で畑仕事を手伝いに行くと言っていたことを思い出し、アイリスは頷き返した。
「ここまで案内してくれてありがとう、リッカ」
「いえ……。もし、他に案内して欲しい場所があったら、言って下さい。私はコージさんの畑にいるので」
「分かったわ」
「では、失礼します……」
少し焦るようにしながら、リッカはアイリス達に向けて踵を返し、来た道を早足で戻っていく。
余程、コージの手伝いに行きたかったのだろうか。もし、そうならば道案内を頼んでしまって、少々申し訳ない気もする。
「……行くか」
クロイドが一つ息を吐き、診療所の方へと視線を向けたため、アイリスもそれに続いて足を踏み出していく。
診療所の扉は他の民家と同じように横に引く様式の扉となっており、クロイドが数回扉を叩けば、中に人がいるのかすぐに返事が返って来た。
どうやら、診療所の中には男性がいるらしい。アイリスとクロイドは視線を交えて、頷き合い、そして扉を開いた。
「――おはようございます。……おや?」
低い声の主は、扉を開けたアイリス達の姿を定めると、眼鏡の縁を指先で少し上げながら、首を傾げる。
「島の人……ではないね? 観光客の人かな?」
見た目が四十近い男性は濃い茶色の短髪で、黒に近い茶色の瞳をしている。着ている服は白衣だが、白衣の下は男性ものの薄地の服を着ており、いかにも離島の医者と言った風情だった。
「おはようございます。……初めまして。えっと、こちらの診療所に勤めている医者の方ですか?」
恐らく目の前で、椅子の上に座って、万年筆を手に持っている彼こそが医者だと思われるのだが、念のために聞いてみることにした。
「いかにも。……どこか具合でも悪いのかい? もしくは怪我を……」
「あっ、いいえっ! 違うんです。診察に来たわけじゃないんです。その……」
リッカ達と同じように目の前にいる医者のことを先生と呼んでいいのか、アイリスが視線を迷わせていると、そのことに勘付いたのか医者の男性はにこりと笑みを浮かべて頷いた。
「ああ、名前だね? 僕はセプス・アヴァール。この島唯一の診療所を開いている医者さ」
セプスは椅子から立ち上がり、アイリス達に診療所の中へと入るように掌を見せて促してくる。アイリスとクロイドは顏を見合わせ、お邪魔しますと一言呟いてから診療所の中へと一歩踏み出し、扉を閉めた。
外の気温は暑いというのに、この診療所内は数度程、温度が下がっているのか、かなり涼しく快適に感じられた。
「そこの席に座るといい」
セプスは彼の目の前に置かれている長椅子に視線を向けて、アイリス達に座るように勧めてくる。
「……失礼します」
長椅子に座りつつも、アイリスは診療所の室内を軽く見渡した。今、自分達がいる部屋はどうやら待合室となっているらしく、長椅子が4脚、並べられていた。
セプスが座っていた席はどうやら受付のようで、彼は一人でここへ訪れる患者に対応しつつ、診察も行っているのだろうか。
視線を少し部屋の奥へとむければ、診察室と書かれた札が扉に張り付けられている場所が目に入って来る。外から見た診療所は一軒家くらいの大きさだったが、この待合室と診察室以外にも部屋があるらしい。
「突然、お訪ねして、すみません。アイリスと申します。こちらはクロイドです」
「初めまして」
「これは、これはご丁寧にどうもありがとうございます。……それで診察ではないならば、一体何のご用でしょうか」
穏やかに笑みを浮かべつつ、セプスは受付の机の上に散らばっていた何かの資料を簡単に片付けてから、診察記録簿が保管されている棚へと収めていた。
個人情報の塊であるため、注意して片付けているのだろう。
「あの……。セプスさんに訊ねたいことがありまして」
「僕にですか?」
セプスは身体の向きをこちらへと向けつつ、一体何事だろうかと問うような表情で小さく首を傾げている。
「一ヵ月程前に、この島を訪れたエディク・サラマンという男性をご存じでしょうか。彼は滞在中にセプスさんの家で寝泊まりしていたと聞いたのですが……」
アイリスが遠慮がちに訊ねるとセプスは瞳を数度、瞬きさせてから、ゆっくりと首を縦に振った。
「ええ、少しの間ですが、彼に家を貸していましたよ。……エディクさんがどうかされたのですか?」
「実は……」
アイリスとクロイドは出来るだけ言葉を選びながら、エディクと一ヵ月前から連絡が取れず、行方が分からなくなっていることをセプスに伝えた。
「まさか、彼が……」
アイリス達からエディクの話を聞いたセプスは目を大きく見開き、そして口元に手を当てながら驚きの声を上げる。
少しの間とは言え、同居していた知人が行方不明となれば、セプスの反応は当り前だろう。
「それで、私達はエディクさんの知り合いから頼まれて、彼の行方を捜しにこの島へと来たんです。……何でも良いんです。何か、エディクさんに関することを教えてもらえませんか」
「……」
セプスは知人が行方不明という事実に衝撃を受けているのか、暫くの間、口を押えたまま固まっていた。だが、すぐに何かを思案するような顔へと変えて、小さく唸る。
「うーん……。エディクさんと最後に顔を合わせたのは数週間前だからな……」
「その時、どんな話をしたか覚えていませんか。例えば――どこに行く、とか」
エディクはオスクリダ島の迷える森を調べるために、訪れていたはずだ。何か少しでも有力な情報が欲しいアイリスは少し身体を前のめりにしながら訊ねてみる。
「真面目だけれど自由な人だったからな……。どこに行くとは告げずに出掛けていたし……。──ああ、でも森が好きで、散歩するのが趣味だったらしく、裏手の森にはよく足繁く通っていたなぁ」
そこでふと、セプスの表情が柔らかいものへと変わり、懐かしいものを思い出しているのか眼鏡の下の瞳を穏やかに細めていた。
「でも、最後に会った日、中々家に帰って来ないから、どうしたのだろうと思ったら、部屋にあった荷物全てが綺麗に片付けられていて、ああ、彼は再び自由な旅に出たんだな、と思っていたよ。照れるから別れの挨拶をするのが苦手だと言っていたからね。……でも、そうか。エディクさんは今、行方不明になっているのか……」
どこか惜しむような声を吐きつつ、セプスは眉を大きく寄せる。彼としてもエディクの行方が分からなくなっているのはかなり心配なのだろう。




