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信仰


 リッカの真顔による言葉を聞いたアイリスは思わず、唾をごくりと飲み込んでいた。

 吹き通った風の温度が数度程、下がった気がして、背筋に冷たい汗を流していく。


「突然、姿を消した島人達は二度と戻っては来ていません。……先程、会ったコージさんの奥さんも半年ほど前に居なくなったばかりです」


「……どうしてそんなに人が頻繁に姿を消しているのに、この島の人達は平然としていられるんだ? 普通ならば、事件として取り扱われる程の案件だと思うが……」


 アイリスも疑問に思っていたことをクロイドが代わりに訊ねてくれた。リッカはそう思われても仕方がないと言わんばかりに肩を竦めてから、視線を再び、深い森へと向ける。


「……神様を信仰しているからですよ」


 呟かれる言葉は静かに響く。自然が作り出す音の中に、ぽつりと振って来たようにさえ思える声は、アイリスの耳の奥に深く残った。


「島の皆はこの神様が自分達をいつかきっと幸せにしてくれると信じているんです。だから、人が突然いなくなっても、自分達が知らない場所で幸せに暮らしていると……信じているんです」


 信じるという言葉が、重い言葉だということは分かっている。

 それでも、目の前のリッカによって発せられた言葉の意味は何よりも重く、そして疑うことさえ最初から存在していない言葉のように聞こえて、アイリスは途端に恐ろしく思えた。


「この一年で島に住んでいる人の数は一気に半減しました。それでも、いなくなった人達は神様の世界で幸せに暮らしているって、島人達は心からそう思っているんです。……本当、意味が分からないですよね」


 溜息交じりに吐かれる言葉には、どんな感情が混じっているのか訊ねることは出来なかった。

 だが、そこにまた新たな疑問が一つだけ生まれたアイリスはふっと顔を上げる。


「リッカは島の神様を……信じていないの?」


 そう訊ねるとリッカは目を大きく見開き、そしてアイリスから視線を逸らして唇を強く噛み締めていた。


「……前までは信じていました」


 その呟きの意味は、今は神様が幸せを島人にもたらしてくれることを信じていないということなのだろうか。それとも、神様の存在を信じていないという意味なのかは分からなかった。


「……あの、私が神様を信じていないことは誰にも言わないで頂けますか。もちろん、ライカにも」


「え? ……ええ、分かったわ」


 アイリスとクロイドは同時に頷き返すと、リッカは安堵の溜息を一つ吐いてから、木にもたれていた身体をふっと起こす。


「すみません、こんな話をしてしまって……。せっかく、観光でいらしているのに、気分を害すようなことを……」


「ううん。……色々と思い出せて、こちらこそごめんなさい」


「そんなっ……。違うんです、私は別に……」


 リッカにとって、彼女の両親は大切な存在だったはずだ。


 スウェン家の食卓の椅子は、リッカとライカの二人になった今でもずっと四脚のままだ。アイリスが昨晩、使わせてもらったリッカ達の両親の部屋は、今でも綺麗なまま残されている。

 

 彼女は、本当はいつか両親が帰って来るのではと思っているのかもしれない。だからこそ、それまで使っていたものを同じように使い、そして保っている。


「両親のことは……もう、諦めています。きっと、戻っては来ないでしょう」


 リッカは静かに呟きつつ、そして視線を丘の下に広がる海へと向けて、風を受けるように目を閉じる。


「でも、両親がいなくなったことと私が神様を信じていないことは別物なんです」


 薄く目を閉じて、彼女は海に向けて何を願っているのだろうか。だが、それを問いかける権利など、アイリスは持ち合わせていなかった。


「おかしいですよね、島の外の人にこんな話をするなんて。本当なら、島の良い所を紹介しなきゃいけないのに、一つも思いつかなくって」


 そう言って、リッカはこちらへと身体の向きを変えて来る。そこには何故か自嘲のような笑みを浮かべているリッカがいた。


「ああ、でも……。お二人が島の外から来た人だからこそ、話しやすかったのかも。……島人には、私がこんなことを考えているなんて、知られるわけにはいきませんから」


「リッカ……」


 どんな言葉をかければいいのか、アイリスもクロイドも分からずにいた。目の前の少女が、何かを抱えているのは分かるのに、自分達にはそれを問いかける勇気さえなかったのだ。


「さて、お話はこれくらいにして、診療所に向かいましょうか」


 大きな木の日陰から、リッカは自ら出て、太陽の下に立つ。

 華奢な身体に、穏やかな笑み。どこにでもいるような、明るい女の子だ。それでも、彼女は何かを秘めている。一人、秘めたまま、立っているのだ。


 ……きっと、まだ聞いてはいけないことなんだわ。


 昨日、知り合ったばかりの他人である自分達に「神隠し」についての話をしてくれたことは、彼女なりに思うところがあったからだろう。

 島で起きている神隠しと、行方不明のエディク・サラマンに関係があるのではと思ったからこそ、リッカは教えてくれたのだ。


「……ねえ、リッカ」


「はい?」


 アイリスは思わず、リッカを呼び止めてしまう。

 もし、自分達がこの島で頻繁に起きている神隠しの正体を見つけることが出来れば、彼女は喜ぶだろうか、何てことを考えてしまい、アイリスは自分の口を右手で押さえた。


「……アイリスさん?」


 目の前のリッカがどうしたのかと問う視線をアイリスに向けて来る。


 自分達はただの観光客としてこの島に来ている。その上でエディク・サラマンを捜しているということしか、リッカに認識させてはいけない。任務は一般人には秘密にしなければならないからだ。


 ……優先すべきは感情よりも、責任。


 アイリスは一つ、深呼吸してから、リッカに向けて首を横に振った。


「ううん、何でもないわ。……診療所までの道案内、宜しくね」


「はい。では、行きましょうか」


 再び、リッカを先頭にして三人は整備されていない道を歩き始める。隣を歩くクロイドが、どこか心配そうな表情でアイリスの顔を窺って来たが、すぐに首を横に振り返した。


 そして、視線をリッカの背中へと向ける。自分よりも小さい背中は震えることなく、真っすぐのままだった。


   

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