挑発
教団内にある広い訓練場は剣術や魔法の鍛錬を自主的に行うために常時、開放されている場所の一つだ。
アイリスも任務の合間に時間を作ってはここで剣の稽古をしている。
稽古の相手はブレアが暇ならお願いしているし、もしくは手が空いている者がその場にいたら、声をかけて手合わせしてもらっていた。
「クロイドは訓練場に来るのは初めて?」
「そうだな」
「じゃあ、今度はここで一緒に鍛錬しましょうよ。魔法に対応するための剣術の稽古もしたかったの」
何気なくクロイドと会話していると前方から、突如として木製の剣が投げ渡される。
それを特に驚くことなくアイリスは片手で軽々と受け止めた。
「なに、べらべらと喋ってんだ。さっさと構えろよ」
青年はアイリスから3メートル程離れた場所で剣を構える。もう一人の青年は攻撃の届かない、少し離れた場所にいた。彼はどうやら見学するらしい。
「短気ね。あなた、人から嫌われやすい性質だって言われない?」
アイリスも剣を一振りしてから構える。木製の剣は普段使っているものと比べて、やはり手にかかる重さが随分と軽く感じられた。
「うるせぇ……。――そうだ。せっかくだから、賭けようぜ」
「賭け?」
どうせ下らない内容なのだろう。
目の前で木製の剣を構える青年の緩んだ口元を見れば、すぐに馬鹿らしいことを考えているのだと分かっていた。
「俺が勝ったら……。そうだな、お前を俺の下僕として使ってやるよ」
「……」
ふっと、後方に控えて見守っているクロイドの方から冷気のようなものが流れてきた気がしたが、気のせいだろうか。
ちらりとアイリスが視線をクロイドの方へと向けると、彼の瞳は細められ、アイリスの目の前に立つ青年を静かに見据えていた。どうやら、睨んでいるらしい。
「ふーん。じゃあ、私が勝ったら私達に対して敬語で話してもらおうかしら」
賭けなどしたことがないので大した要求は思いつかなかったが、見下している者に敬語で話さなければならないということは相当、自尊心に傷が付くだろう。
「いいぜ。……いくぞっ!」
青年は合図を数えることなく突然、構えていた剣を真っ直ぐと槍のように持ち、そのままアイリスへと突進してくる。
「おっと……」
しかし、特に大きく反応することなく、アイリスは突き刺そうとしてきた相手の剣を片腕で受け止めながら、木製の刃で反り合うようにゆっくりと刃同士を流しては攻撃を避ける。
青年は次々とアイリスに向かって遠慮する事無く剣を打ち込んでくるが鍛錬用の剣であるため、威力は大したことがない。
それどころか、青年の剣筋は正直に言って、我流に近いもので、更に言えば見えやすい剣筋をしていた。
アイリスは暫くの間、青年の剣を受け続けていたが呆れたように小さく溜息を吐く。
「――大体、こんなものね」
アイリスがぼそりと呟いた言葉が聞こえたのか、青年は頭に血が上ったらしく、それまでよりも大きく振りかぶってアイリスの頭を狙ってくる。
しかし、その剣筋さえもアイリスにとっては分かりやすいものだった。自身の剣を横に倒して、打ち込まれる一撃をアイリスは軽々と受け止める。
「あなたの剣筋は大体分かったわ。これ以上やっても無駄ね」
「何、だと……。分かったような口、利きやがって……!」
じりじりとお互いに刃を交わせる状態が続いていたが青年は突然右足を上げて、アイリスの腹を蹴ろうとしてきたのである。
しかし、それを瞬時に察知したアイリスは交えていた剣を強く横に薙ぎ払って、後ろへと数歩下がる。
「くそっ……」
「まあ、女性のお腹を蹴ろうなんて、最低ね」
「何が女性だよ。女でこんな乱暴な奴、お前以外にいないだろう」
視界の端のクロイドの肩がぴくり、と動くのが見える。アイリスとしては、言われ慣れている言葉ばかりなので、どちらかと言えば挑発に乗っているのはクロイドのような気がするが。
「……心配しているみたいだし、そろそろ終わらせるわよ」
短く息を吐き、強く柄を握りしめ直してから、今度はアイリスの方から青年に向けて遠慮することなく剣を打ち込む。
「はい、右! 左! 上! 最後に、真正面!!」
「なっ、うおっ……! う、あっ……」
先程までの受身の体勢とは打って変わり、急に攻撃的になるアイリスに青年はたじろいでいるようだ。
「ほらほらぁっ! ちゃんと打ち筋を教えてあげているんだから、構えなさいよ!」
アイリスは上げる声の通りに沿って、剣で攻撃を続けていくが、相手の青年の方がアイリスの剣の速さに追いついていなかった。
「……あれは完全に遊んでいるな」
呆れたようにクロイドがぼそりと呟く言葉が耳に入って来る。
全く失礼だ。遊んでいるのではなく、この青年の稽古を手伝ってあげているだけである。
彼ははっきり言って隙がありすぎる攻撃ばかりを仕掛けて来る。せっかくなので、我流の癖を直す機会に丁度いいだろう。
「さっきまでの威勢はどうしたの! 私に勝って、下僕にするんじゃなかったの?」
「う、るせぇ……! おい、フランク!」
名前を呼ばれたのは少し離れた場所からアイリス達の試合を見ている青年だった。フランクと呼ばれた青年は、何かを察したのか、仕方なさそうに頷き返しているのが見えた。
……もしかして、外野から魔法を使う気?
それならば魔法を使わせる前に、目の前にいる調子に乗った青年を倒せばいいだけだ。
「はぁああっ!」
今度は打ち筋を伝えず、青年にとって隙だと思うところに打ち込んでいく。もちろん、相手が怪我をしないように手加減はしていた。
この程度の試合で怪我をしてしまっては、彼の今後の任務に影響が出てしまうからだ。
ふと、視界の隅に捉えていたクロイドがフランクの元へと歩いていくのが見えた。冷めた表情をしたまま、クロイドがフランクへと話かけているようだ。
二人は何か言葉を交わしたのだろう。フランクは少し怯えた表情をしながら首を横に振り、そしてクロイドに対して頷くのが見えた。
……聞かなくても何を話したのか分かるわね。
クロイドもフランクが魔法を使おうとしていたことを察知したのだろう。その上で何か言葉をかけたのだ。彼が怯えるような一言を。
……さて、クロイドの気遣いを無駄にするわけにはいかないわね。
これで最後だと言わんばかりにアイリスは力の全てを剣に込めて、一撃を放った。
青年はアイリスの渾身の一撃を受け止めきれず、彼が構えていた木製の剣は、まるで小枝がぽっきりと折れたようにいとも簡単に二つに圧し折れてしまう。
「あ……」
勢いあまってか、青年がどさりと大きな音を立てて尻餅をついた。彼の手元には半分に折られた剣の木片が握られたままだ。
青年は少し表情を顰めつつも、ゆっくりと顔を上げていく。
だが、彼の喉元にアイリスは剣の先端をそっと添えて言い放った。
「それで勝負は決まったけれど……。――まだ続きをしたいかしら?」
にこりと微笑むアイリスに対し、青年は少し怯えた表情のまま首を横に振り、尻餅をつけたまま後ろへと素早く後ずさる。どうやら、これで青年との試合は終了のようだ。
「くそっ……」
短く言葉を吐き捨ててから青年は急いで立ち上がり、尻尾を巻いて逃げる動物のように、アイリスに何か言葉を伝えることなく、その場から立ち去ろうとする。
逃げていく青年の後ろ姿を追うように、控えていたもう一人の青年も慌てながら訓練場から出て行った。
「あ、ちょっとー? ちゃんと賭けは覚えていないさいよ?」
こちらに背を向ける青年二人に、アイリスは後ろから声をかけるが、返事がないまま彼らは逃げ去ってしまった。恐らく、勝負前に決めていた賭けは勝手に反故にするつもりだろう。
折れた木製の剣を拾い、アイリスはクロイドの元へと戻ってくると、彼は苦笑いしたまま青年二人が去って行った方向を見ていた。
「……負け犬の遠吠えってやつだな」
「あら、上手いこと言うわね」
アイリスは特に汗もかかず、呼吸も普段と変わりはない。それを見てクロイドは呆れ半分、感心半分といった表情でわざとらしく肩を竦めていた。
「最初からあいつに勝てると分かっていて、この勝負を挑んだだろう?」
「そうよ? 剣術で私といい勝負してくれるのは魔物討伐課の中でも一握りだし、強い人なら私が名前を憶えているはずだもの。……まぁ、元魔物討伐課だったブレアさんにはさすがに勝てないけれどね」
「……あの人、そんなに強いのか」
「強いわよ。私の師匠だもの」
晴れ晴れとした顔でアイリスは満足そうに頷く。その表情を見て、クロイドは気が抜けたらしく、短い溜息を吐いていた。
「あ、忘れていたわ。……それでお祝いは何がいいの?」
目先の勝負にばかり意識が向かっていて、すっかり当初の目的を忘れてしまうところだった。
「そうだな……。……それじゃあ、アイリスおすすめの紅茶でも淹れてもらおうかな」
「お安い御用よ」
どうやら以前、クロイドに紅茶を淹れたところ、すっかりその味が気に入ったらしい。それからというもの、アイリスが紅茶を淹れる際には自分の分も淹れて欲しいとカップを持ってわざわざ来るほどだ。
「それじゃあ、ブレアさんに魔法使用の許可が貰えたって報告がてら、魔具調査課でお茶会でもしましょうか」
「……次の任務もついでに頼まれそうだけどな」
「ふふっ、そうね。美味しいお菓子も準備してあげるわ。――あ、そういえば、クロイド」
「何だ?」
「次は魔具所有の許可を得るための資格試験もあるから、それに向けた勉強もしましょう」
きらきらとした瞳でアイリスがクロイドの方へと振り向く。
「まだ、あるのか……」
「あなたは魔法を使う時、媒体がいらないまま魔法を使えるけれど、やっぱり魔具所有の資格を持っていた方が後々便利だと思うの。大丈夫よ、私がしっかりと勉強を見てあげるから!」
アイリスによる強制的な決定事項に対して、クロイドは諦めと苦笑が混じった笑みで答えるしかなかった。




