宿泊地
「――あの」
それまで、船長とリッカのやり取りをこっそりと聞いていたのか、先程よりかは顔色が良くなっているリアンが船着き場に座り込んだまま、軽く右手を上げる。
その場に居る者の視線が一斉にリアンのもとへと集まった。
「えっと、リッカさん、だっけ?」
リアンはまだ気分の悪さは抜けていないようだが、それでも表情を柔らかくしながら、リッカと呼ばれた少女に話しかける。
「はい? ……そうですが」
「勝手に話を聞いて申し訳ないけれど……。船に乗るためのお金が必要なんだよね?」
「……はい」
リアンは何を話すつもりなのだろうかと気にしているのはアイリスだけでなく、その場に居る者全員らしい。
彼の相棒であるイトまでもが不思議そうな表情を浮かべたまま、リアンの方へと視線を向けていた。
「それならさ、俺達四人を君の家に泊めてくれないかな? この島には一週間程、滞在する予定だからその期間に泊めてもらえると凄く助かるんだ」
初対面であるリッカを怖がらせないようにしているのか、リアンは船酔いがまだ治まっていないだろうににこやか笑みを浮かべていた。
「宿泊させてくれるなら、俺達は一週間分の宿泊費を君に出す。食事も出してくれるなら、食費も別で出すよ。……一日に一人5000ディールくらいかかるとして、それが一週間続けば……ほら、14万ディールになるよ!」
いかにも名案だと言わんばかりにリアンがそう言ったことが驚いたのか、リッカは初対面であるリアンに対して目を丸くして固まっていた。
「……リアン、それはあなたの個人的なお金から全て出ると思っていていいのですね?」
それまで黙って話を聞いていたイトが溜息交じりに言うと、彼女の隣に座っているリアンはにこりと笑みを返した。
「俺が全額出しても構わないよ? だって、俺はお金を貯めていてもあまり使う機会がないし……。それに誰かが必要とするなら、その人に使ってもらった方がお金も嬉しいんじゃないかな?」
にこにこと笑いながら答えるリアンに拍子抜けしたのか、イトは肩をわざとらしく竦めていた。
その一方でリッカの方はと言うと、リアンとイトの間で何の話がされているのか、まだ頭が追いついていないらしく、二人を交互に見ては目を丸くしたままである。
「……お金が使われることで喜ばしいという考えを持っているのはあなたくらいですよ、リアン。……まぁ、自分の宿泊費くらい、自分で出しますが」
深く溜息を吐きつつ、今度はイトがリッカの方へと視線を向けた。
「この者がこのように言っておりますが、いかがでしょうか、リッカさん」
「へっ……」
イトに話しかけられたリッカはそれまで呆然としていたらしく、肩を少し震わせながら我に返ったようだ。
「お互いに初対面であるのに、突然の提案をしてしまい、申し訳ありません。……泊めて頂けるだけで、十分ありがたいのですが……。一日置きに、その日の宿泊費をお支払いしますので、どうかこの提案をお受け出来ないでしょうか」
イトが丁寧な言葉遣いでリッカに尋ねると、穏やかな言葉による提案に驚いたままのリッカは女の子らしい短い声を上げる。
「えっ……。えっと、あの……」
リッカは突然の提案にどうしたものかと少し慌てふためいているようだ。
イトが今度はちらりとアイリス達の方へと視線を向けて来る。どうやら、リッカを説得しろと黒い瞳が問うているようだ。アイリスは小さく苦笑しつつ、頷き返す。
それを見たクロイドがアイリスの代わりにリッカに答えてくれていた。
「俺達はまぁ、観光客みたいなもので……島には初めて来たんだ。宿屋はこの島にはないと聞いているし、家に泊めて貰えると助かるのだが……」
リッカを気遣っているのか、クロイドの声色が普段よりも丸く柔らかいような気がした。
確かに知らない人からすれば、クロイドは普段からあまり色のない表情をしている場合が多いため、不機嫌だと勘違いされやすいらしい。
確かにアイリス達はオスクリダ島に来たばかりの訪問者だ。見知らぬ外部の人間が突然、家に泊めて欲しいなんて頼んできたならば、図々しい上に怪しまれるのは仕方がないことだと思う。
案の定、三人から頼み込まれたリッカはそれぞれの顏を見渡し、そして少しだけ思案するような表情で黙り込む。
だが、何かを決意したのかすぐに顔を上げてから、今度は真っすぐとアイリス達の方へと向き直った。
「あまり丁寧なお持て成しは出来ませんが、それでも宜しければお受けいたします」
「本当かっ?」
リアンが嬉しそうな声で告げると、リッカは少しだけ表情を緩めてから年頃の少女らしく笑みを浮かべつつ頷き返した。
「はい。家には私と弟しかいないので、どうぞ気楽においで下さい」
リッカの言葉には無理をしているような様子は感じられず、本当に快く引き受けてくれるらしい。
全く見知らぬ者達を家へと招き入れるとは、案外肝が据わっているのか、それともこちらを信頼してくれたのかは分からないが、これで島に滞在する間の宿は何とか決まったとその場にいる者は同時に思っているに違いない。
「――とりあえず、決まったようで何よりだ」
成り行きを見守っていた小型船の船長の男が腕を組みつつ、満足そうに何度も頷いている。彼としてもリッカの稼ぎ口が見つかって良かったと思っているのかもしれない。
「それじゃあ、リッカ。また一週間後に来るから、その時にライカと一緒に乗せてやるよ」
「……宜しくお願いします」
リッカは船長に向けて深々と頭を下げる。その横顔は何かを耐え、苦渋を飲み込むように見えてしまったため、アイリスは数度瞬きして確認した。
……気のせい?
一瞬だけ、リッカの表情が思い詰めているようにも見えたのは気のせいなのだろうか。だが、初対面であるため、見えた表情の理由を訊ねることなど出来ずにいた。




