帰国
……さぁて、どうするかな。このまま、この女の相手をするのも面白そうだが、これ以上身体を使いものにならなくすると、エレディテルが怒るしなぁ。
先日も魂の入れ物となっているこの身体をぼろぼろに傷付けて使用不可にしてしまったので、交換出来る部分を交換したばかりだ。
材料はその辺りに転がっている人間だが、収集するのだって楽じゃないし、悪魔の魂と合わない身体だってある。
……それにこの後、転移する時に負担もかかるし。
本音を言えば、この予測不能な攻撃を繰り出してきた魔法使いにはかなり興味があった。名のある魔法使いならば、知っているはずだが、この女はどこの家の出身なのだろう。
「なぁ! あんた、名家の人間か?」
「……」
しかし、女が答えることはない。青く光る瞳はまるで獲物を狙う獣のようで、こちらの隙を狙っているだけだ。
本気で首を落としに来るつもりらしい。自分の首を持ってこいと誰かに言われたのか、それとも女自身が己の意思で自分を狙っているのかは分からない。
ただ、手強そうな相手の登場にハオスは内心、好奇心と喜びで満ち溢れていた。
女は再び、剣を構えるとこちらに向けて一閃を薙いだ。風を纏ったその一撃が、ハオスに向けて近付いて来る。
だが、どちらにしても攻撃が当たると分かっているならば、対処法は変わって来る。避けるよりも直接攻撃を受けて、完全に防ぎきればいいだけだ。
ハオスは無動作のまま、自身の身体の皮膚を鋼のような硬さへと変えていく。風の刃が身体に触れた瞬間に、直撃した服は一瞬で切り裂かれたが、その身は傷一つないままだ。
服の方は替えがあるし、物質の造形を少しいじって、作り直せばいいだけだ。さすがにエレディテルも服を使い捨てのように扱うことに関しては文句を言わないだろう。
攻撃が完全に通らないことを確認したのか、女剣士の瞳が更に細められ鋭いものとなる。
「……なるほど、報告通りだな」
女が呟いた言葉にはどこか確信が持たれているような内容に感じた。
もしかすると、自分のことを知っている人間から情報を得ているのだろうか、と思った矢先に頭に浮かんできたのは先日、交戦した教団の人間だった。
「――ああ、アイリス・ローレンスか」
「……」
女剣士は全く反応することは無かったが、自分が硬化出来ることを知っているのは実際に衝突したことがあるアイリス達だけだ。つまり、この女はアイリス達の知り合いということになる。
……あとで、セリフィアの奴に情報を聞き出しておくか。
先日、内偵としてこのイグノラント王国に潜入していたセリフィアは膨大な量の人の記憶と情報を持って帰ってきていた。
それは彼女が得意とする魔法「心身接触」の魔法によるもので、セリフィアはその魔法を使うことで、触れた相手の記憶と情報、そして感情を抜き出すことが出来るのだ。
アイリス達以外にはブリティオン王国から来た魔法使いということを伏せて、彼女には様々な人間に触れ回って貰っていた。
出来る限り広い範囲で動いて貰い、たくさんの人と出会ってもらってから、そしてその身体に触れる――それがセリフィアに課せられた役目だった。
それによって、セリフィアの中には膨大な情報によって構築された、イグノラントの人間の情報網が出来ているのだ。
もちろん、教団側はセリフィアの中にイグノラントの人間の目録が出来ているなんて思ってもいないだろう。
恐らく、セリフィアはアイリス・ローレンスにも触れているはずなので、そこから情報を引き出して、この女が一体何者なのか調べておいた方が良いかもしれない。
……まぁ、どうせ近いうちにやり合うだろうし、今は我慢しておくか。
女剣士から次の一撃が来る前に、ハオスは障壁となる透明な結界をお互いの間に出現させる。
「っ!」
「残念だが時間だ。俺はもう帰らなきゃいけねぇんだ。また今度、やり合おうぜ!」
安全圏となった結界の中でハオスはすぐに転移魔法陣を出現させて、その中に足を踏み入れた。
「待てっ!!」
女が手を伸ばすように剣先を向けて来るが、少々強めに作った結界によって阻まれているため、簡単にこちら側には来られないだろう。
しかし、そう思ったのも束の間、展開していた結界は女の一撃によって、あっという間に粉々に弾け飛んで消えていく。
「おいおい、冗談かよ……」
一瞬で砕け散ることを予想していなかったため、さすがに苦笑いしてしまう。これは中々厄介な相手かもしれない。
だが――。
「まぁ、間に合わないけどな。それじゃあ、またな! ――蒼眸の魔法使いさんよぉ!」
結界を破った女剣士による次の一撃が来るよりも早く、ハオスの身体は完全に魔法陣の中へと吸い込まれていったのであった。
・・・・・・・・・・・
「ちっ……。逃がしたか」
ブレアは強く舌打ちをしつつ、そこに何も無くなった空を長剣で一閃してしまう。ハオスはどうやら転移魔法陣によって、移動したらしい。
周囲から彼の魔力は全く感じられないため、ここでは無いどこかへ移動したのだろう。
再び、無詠唱による結界を展開させて、ブレアはそこに着地する。先程、ハオスはこちらに対して好戦的のように思えたが、それにしては帰路を急いでいるように思えた。
「……出来るなら、二度と来ないで欲しいもんだ」
吐き捨てるようにそう言いつつ、ブレアは長剣を腰に下げている鞘へと収め直す。
「……」
ブレアは青く光る瞳でもう一度、じっくりと足元に広がる教団を端から端まで見渡していく。やはり、ハオスの姿は捉えられない。本当にブリティオンへと帰ってしまったらしい。
教団を混乱させるだけ混乱させた報いに白い首を両断してやろうと思っていたのだが、取り逃がしてしまったことを苦々しく思いつつも、ブレアは眼鏡入れをポケットから取り出し、そして眼鏡をかけ直す。
「……これ以上、面倒が起きなければいいが……」
魔具である「遮魔鏡」をかけたことで、それまで溢れんばかりに零れていた魔力は抑えられ、ブレアの瞳はいつも通りの黒茶色へと戻った。
魔具調査課の課長になってからは、あまり遮魔鏡を外すことが無くなっていたが、力は衰えてはいなかったようだ。
……だが、イリシオス先生への直接的な干渉がなかったのは意外だな。
たまたま、今回がイリシオスに接触することが目的ではなかったのか、もしくは最初から別の目的を持って教団を襲ったのかは分からない。
ただ、ハオスの突然の襲撃によって負傷者は居ても命を落とす者が出なかったのは本当に幸運としか言いようがないだろう。
……それでも、教団を弄んでいる感じはしたな。
二度目となる舌打ちをしつつ、ブレアは腕を組む。この先、嫌な予感しか待っていないことは分かっているのに、魔力を視覚化出来る見える瞳でさえ、未来を見透かすことは出来なかった。




