シャワー室
時間はすでにそれぞれが部屋で身体を休める時間になっているはずだ。それでも教団内は魔物を討伐するために動き回る魔法使い達が、交代で討伐と見張りを兼ねていた。
誰もが体力的にも精神的にも疲れ切っており、疲労によって倒れる者もいた。
いつまで続くか分からない緊張の中、それほど混乱らしい混乱が起きていないのは、やはり普段から統率が取れているからだろう。
「……」
アイリスはシャワー室の個室でお湯を浴びながら、汗を流していく。
昼間から食事を摂る以外で、ほとんど休憩することなく魔物を討伐しており、身体は完全に疲れ切っていた。そのため、一度休憩を貰い、仮眠を取ることにしたのだ。
「ふぁ~。さすがに、この時間になると眠いわね」
シャワー室の個室の扉の向こう側から聞こえたのはミレットがあくびをする声だ。今、アイリスとミレットは交代で見張りをしつつシャワーを浴びていた。
扉の向こう側で、先に汗を流して服を着替えたミレットが、魔物の接近がないか「千里眼」を使って調べているのだろう。
それでも、あまり体力のないミレットはアイリスよりもかなり疲れているようだった。この後、念のために一緒の部屋で寝る予定だが、早めに部屋に向かわせた方がいいかもしれない。
「先に部屋に戻っていてもいいのよ? 短剣は肌身離さず持っているし」
アイリスはシャワーを浴びつつ、扉の向こうのミレットへと答える。
個室の中には荷物を置く場所があり、その上に着替えの服とタオルと共に、短剣を護身用として置いておいた。
「嫌よ。だって、一人だと怖いもの。それに討伐が完全に終わっているわけじゃないから、どこに魔物がいるか分からないし……」
眠そうな声は相変わらずだが、それでもミレットは即答してくる。
確かにミレットの言う通り、気を休めるにはまだ早いだろう。
混沌を望む者が教団内へと持ち込んだ魔物の討伐は全て完了しておらず、そして黒い魔物に寄生された者達の意識を取り戻すための治療法や魔法は未だに見つかっていない。
……このまま、何も見つからなければ……あの人達は……。
悪い方向に考えてはいけないと分かっているが、あのまま寄生している魔物を討伐することが出来なければ、寄生されている団員達の意識は戻ることなく、医務室のベッドの上に縛られたままになるだろう。
……体力を回復させて、早く討伐に戻らなきゃ。
無理をしてはいけないと分かっているが、それでも教団内に平穏を取り戻すには一匹でも多くの魔物を討伐することを優先したかった。
「ねえ、アイリス」
ふと、ミレットの声色が先程よりも少しだけ明るいものへと変わる。
「なに?」
汗を全て流し終えたアイリスはシャワーから出るお湯を止めるために蛇口をひねる。水音がしなくなったことで、ミレットの声は更にはっきりと聞こえるようになった。
「クロイド、部屋に呼ばなくていいの? 彼一人で男子寮に帰すの、不安じゃない?」
「はぁっ?」
ミレットから告げられる言葉に、アイリスはシャワー室全体に広がる程の大声で返事をしてしまう。
このシャワー室には個室が10室あり、今の時間帯には自分とミレットしか使用者がいないから良かったものの、夜中に反響するような声を上げてしまえばシャワー室の外に響きかねないだろう。
そう思っていると、案の定シャワー室の扉を遠慮がちに軽く叩く音が聞こえた。
「――おい、どうかしたのか」
曇った声が聞こえたが、その声の持ち主は紛れもなくクロイドである。
彼は居辛いであろう女子専用シャワー室の前で、アイリス達が汗を流し終わるのを待ちつつ、魔物が近くにいないか見張ってくれているのだ。
「――だ、大丈夫! 何もないわ!」
見られていないというのに、アイリスは赤面しつつ、声をかけてきたクロイドに返事をする。
「――そうか。なら、良いんだが何かあれば言ってくれ」
「うん。ありがとう、クロイド」
短く返事をすると、クロイドの声はすぐに聞こえなくなる。アイリスは深く溜息を吐いてから、個室の向こう側にいるミレットに向けて、小声で叫んだ。
「何、言っているのよ! 深夜の時間帯に男子が女子寮の部屋に泊まるのは極力禁止でしょうが!」
「ふふっ。分かっているわよ。でも、今は緊急事態でしょう? 出来るだけ、一人でいないようにと上からのお達しも出ているし、今夜くらいは大目に見られるでしょうね。現に教団内の恋人達は、お互いの部屋に泊まっているらしいわよ」
「……それ、どこからの情報なのよ……」
げんなりとした声で答えつつ、アイリスは髪に滴る水を手で絞るように切って、防水性のリボンでうなじ辺りに髪を一つに束ねた。
「どこからって、別に聞かなくても、見ていれば分かるわよ。部屋に男女が行き来する姿を見ればね」
「……まぁ、確かにこの緊張感の中だと簡単に気を休められるわけじゃないから、心の支えになる人と一緒にいたいという気持ちは分かるけれど」
わざと面倒そうに答えるのは、ミレットに内心を覚られないための照れ隠しだ。自分をからかっているためにそう言っているのは分かっているため、興味が無いふりをしなくてはならない。
「あ、でもクロイドがアイリスの部屋に来るなら、私がお邪魔になっちゃうわね。うーん、一人きりで仮眠を取るのはちょっと怖いし……」
「どうして、クロイドが私の部屋に来る前提なのよ。……多分、レイク先輩達と一緒に寝るんじゃない? さっき、魔具調査課に寄った時に先輩達が誰の部屋で、誰と一緒に寝るかという話をしていたもの」
そう答えつつ、アイリスはタオルを手に取り、身体に付着している水分を優しく拭った。
タオルを首にかけて、全く色気のない上下合わせて一式の下着を手馴れたように着けて行く。
「あら、そうなの。……クロイドには悪いけれど、今日は私がアイリスをお借りして――」
そこで、ミレットの言葉が突然、途切れたのだ。
「ミレ――」
「きゃああっ!」
どうしたのかとアイリスが問いかける前に、ミレットの短い叫びがその場に響き渡る。そして、尻餅でも付いたのか鈍い音が聞こえた。
個室の扉の向こうで、ミレットの身に何か起きたのだとすぐに察したアイリスはすぐさま、近くに置いていた短剣を手に取ると、自身の現状の姿を気にすることがないまま、個室を飛び出した。
「ミレット!」
そこには腰を抜かして、床の上に座り込んでしまっているミレットがいた。彼女は震えながら、それでもアイリスに何かを伝えるために指をさす。
「魔物が――」
ミレットの言葉を全て聞かないまま、アイリスは何かの気配を感じた真後ろに振り返りつつ、大振りに短剣を横に薙いだ。
手に残る感触は確かなもので、アイリスの短剣が薙いだのは宙に浮かんでいた魔物だった。その色が赤色だったことに一瞬だけ安堵するも、アイリスはそのまま魔物の身体を両断する。
二つに分かれた魔物の身体はそのまま、床の上へと転げ落ちた。
これで終わりかと思っていた次の瞬間、ミレットが再び叫ぶ。
「アイリス、真上に――」
叫ばれた言葉にそのまま反応したアイリスはミレットが更に指をさした方向を見ようと、足の向きを変える。
だが、その時、床が水浸しとなって濡れていることに気付いていなかったアイリスは簡単に足元を滑らせて、体勢を大きく崩してしまう。
「きゃ……」
床上に尻餅を付いたアイリスは顔を顰めつつも、すぐに手元に短剣がないことに気付く。どうやら、足を滑らせて、倒れた瞬間に短剣が手元から離れてしまったらしい。
アイリスの短剣は1メートル程先に落ちていた。
「アイリスっ!」
ミレットが短く叫んだことで、短剣へと向いていたアイリスの意識は頭上へと戻される。
だが、手が触れられるくらいの近距離に迫ってきていたのは――黒い魔物だった。




