暁の始まり
そして、夜は明けた。宵の色は完全に消え去り、空が白んでいく。
全ての魔が消え去る時間。
教会が建っている小さな丘からは、遠い遥か向こうの山の谷間から朝日が射し込み始めるのが見えた。アイリス達は無言のまま、昇って来る太陽に宿る暖かさを身体に感じていた。
「――黎明の魔女」
夜明けの光景を見ていたアイリスが突然思い出した言葉をぽつりと呟く。
「誰だ、それ」
「本名はエイレーン・ローレンスと言って私の先祖なの。今の嘆きの夜明け団の礎を作った一人よ。彼女は魔力が大き過ぎて孤独な人生を送っていたの。……大切だと思える人達に出会うまで」
アイリスは足に力を入れて、ゆっくりと立ち上がる。その足はもう、震えることはなかった。
全身に痛みと疲れが残っているはずなのに、それでも気分だけは清々しく思えたのだ。
「彼女が教団を創ることを決意した時、昇ってくる美しい朝日を仲間と一緒に見て、思ったらしいわ。……魔力を持つ者達にも温かく優しい夜明けが来るようにと」
人の心が捨てられたおぞましい魔女狩りなどにより、罪なき人々が迫害、虐殺される世に切なく願ったのだ。
毎日同じように目が覚めて、朝日を見て、そしてその日を生きていく。ただ、それだけだと思われるかもしれない。
それでも自分の先祖達は、その何気ない日々こそが尊いほどに特別だと感じていたのだろう。
そして、願うと同時に決意したのだ。
今、自分達が見ている美しい光景を全ての人が永遠に見る事が出来る世界になるようにと。
「優しい人だったんだな」
「ええ……」
再び、沈黙が訪れる。
だが、その静けさは緩やかで、そして心地良くも感じていた。
きっと、クロイドと一緒にいることで、安らぎのようなものを感じているからかもしれない。
いつの間にかアイリスの隣にはクロイドが立っていた。
彼もまた全身がぼろぼろである。出血はしていないようで安心したが、やはり念のために医務室へ連れて行った方が良いだろう。
少しずつ昇る朝日を見て、アイリスはふと名案が浮かび、小さく笑みを見せる。
「……ねえ、私達のチーム名のことだけれど黎明の魔女の意志を受け継いで『暁』という名前はどうかしら?」
「暁か……。良いんじゃないか?」
クロイドも同意するように笑顔を見せる。どうやら、自分達のチーム名は『暁』で決まりのようだ。
あとで、チーム名が決まったことをブレアに報告する際に名付けの由来を伝えれば、彼女も笑って賛成してくれるだろう。
「それじゃあ、改めて――」
アイリスはクロイドに向き直る。
「アイリス・ローレンスよ」
「クロイド・ソルモンドだ。……これからも宜しくな」
差し出した右手をお互いに握り合う。
少しだけ照れくさそうにクロイドは口元を緩めた。きっと、これが彼本来の笑い方なのだろう。これから先も、この笑みを自分はたくさん見ることが出来るのかもしれない。
だが、クロイドの表情を見るのが楽しみだと伝えるのは止めておくことにした。彼のことなので、恥ずかしがって顔を逸らすに決まっている。もちろん、その表情さえも見たいというのが本音でもあるが。
「……さて、これから後処理が面倒な事になるわよ」
「……そうなのか」
「そうよ! だって悪魔を封印したのよ! 通常だと、これは悪魔専門の祓魔課が担当だもの。それ以外の団員は手出ししてはいけない規則なのよ。しかも廃墟だったとは言え、教会を全壊……。また、真紅の破壊者の名が広がりそうだわ……」
「何だ、その……真紅の破壊者って」
「私の異名よ。任務の時に色々と破壊しまくるせいでこんな名前が付いちゃったのよ」
それまで自分が壊してきたものを思い出しながら、アイリスは力なく空笑いする。
「でも、何で真紅なんだ?」
「剣を血で紅く染めるから。あ、もちろん人に対してじゃないわよ? 魔物よ、魔物。私、一年前は魔物討伐課に所属していたから……。それで、その……少々暴れ過ぎたというか……」
いくら、魔物相手に自制が利かなかったとは言え、暴れ回ったという事実を思い出すだけで虚しくなってくる。
おかげで一緒に任務をしていた魔物討伐課の人間に恐怖を植え付けてしまったくらいだ。
「もう、そんな事は良いのよ! 早く本部へ帰るわよ! ブレアさんに報告しなきゃいけないし、ローラの事も心配だわ」
「ああ、そうだな。……また今度、時間が空いた時にその話については色々と聞かせてもらうことにするよ」
「止めて頂戴……。一応、私も過去の事を蒸し返したくないんだから……」
身体の節々はまだ痛むが、ある程度は体力が回復したのか歩けないわけではない。
それにクロイドが肩を貸してくれるおかげで大分楽だ。
いつの間にか自分の腰にはクロイドが着ていた上着が巻かれていた。
スカートが破れてしまっているので、素足が見えるのを隠すためだろう。
……本当、こういう時は紳士みたいなんだから。
自分の速度に合わせて隣を歩いてくれるクロイドを横目で眺めつつ、アイリスは静かに微笑んでいた。




