仕事
アイリスは食堂に入った瞬間に、端から端まで視線を見渡してみる。
奥の厨房には結界を張ってはいるものの、攻撃魔法は得意ではないらしく、フライパンや鍋の蓋を両手に構えた調理員が数名、怯えた表情で身を寄せ合っていた。
「――ご無事ですか!?」
魔物から襲われないように結界の中に入っている調理員達に向けて、アイリスは声を張り上げる。
「おお、アイリスじゃねぇか!」
「ねぇ、この大きい虫みたいな生き物は何なの? 気味が悪いわぁ」
「虫が食堂にいるって、衛生上悪くないかっ!?」
アイリスが声をかけた途端に、調理員達は次々に我先にと声を上げていく。
どうやら、調理員達は自らを守るために結界を張っているのではなく、料理をする厨房に昆虫型の魔物を近づけさせないために結界を張っているらしい。
「なぁ、この虫みたいなのって、一体何なんだ?」
「魔物です! 今から討伐するので、皆さんは結界の中から絶対に出ないで下さい」
「はぁ!? 魔物ぉ? 何で教団の中に……。いや、食堂に何でいるんだよ……」
中年の調理員が不満そうな声を上げるが、ごもっともな意見だとアイリスはつい頷きそうになっていた。
「今、外で問題が起きていて、大量の魔物が教団内にいるんです」
「もしかして、さっきの地響きが……」
調理員の中で、最も年若い青年が顔を引き攣らせながらそう言ったため、アイリスは短く頷き返した。
「この赤い昆虫型の魔物は人に張り付いて、魔力と血を吸いとるらしいです。……ですが、黒い色の魔物は人に寄生するらしいので、見つけ次第、無理に討伐せずに退避するか、魔物を討伐することが出来る方を呼ぶようにして下さい」
出来るだけ手短に状況と魔物についてを説明し終えたアイリスは、剣を強く握りしめたまま、青嵐の靴の踵を三回、床を鳴らすように叩く。
「……行くわよ」
「ああ」
クロイドの返事を確認してから、アイリスは広い食堂の空間の中に並べられている椅子と長い台を避けつつ一気に駆け抜けていく。
そして、宙を飛んでいる魔物に向けて、床を強く蹴り、思いっきり跳躍した。
アイリスの存在に気付いた魔物はすぐに攻撃しようと向きを変えて動き始めていたが、すでに遅い。彼らの間合いをアイリスが完全に掌握していたからだ。
「っ……!」
乱舞という言葉がふさわしいほどの速さでアイリスは左右交互に剣を振りながら、迷うことなく昆虫型の魔物を叩き斬っていく。
最後に真正面に突撃してこようとしていた魔物に向けて、アイリスは真っすぐと剣を振り下ろし、その身体を両断させる。
宙を飛んでいた魔物を全て切り裂き、アイリスは床の上へと軽い音を立てながら、着地した。
「浄化!」
すぐに後ろを振り返り、クロイドに向けて叫ぶと彼は手袋をはめた右手を宙から落ちて来る魔物に向けて魔法を放った。
「冷酷な業火!」
触れれば身が溶けてしまいそうな程に熱い炎の玉が死体となった魔物を包み込んでは、一瞬で灰へと変えていく。そしてその灰は空気中に溶けるように霧散して消えていった。
これで討伐と浄化は完了だろう。アイリスは一安心するようにふっと息を吐きつつ、長剣を鞘へと戻した。
「うおおっ! すっげぇな、アイリス!」
「早業じゃん!!」
「まぁ~。見事なものねぇ~」
それまで身を寄せ合って隠れていた調理員達が、アイリスとクロイドの連携による魔物討伐を見て、わっと明るい歓声を上げる。
「魔物を討伐する瞬間なんて、初めて見たぜ!」
確かにそれもそうかもしれない。自分の仕事場から出ることがなければ、他の仕事と関わることは少ないだろう。
食堂に勤める調理員達は、魔力はあるが戦闘団員として教団に属しているわけではない。教団の中には、部課に属さずに彼らのように団員達に料理を振舞う者もいれば、掃除に徹した者や修理、管理などの業務に徹した者達もいるのだ。
そうやってアイリス達の日々の生活は支えられているのである。
厨房を取り仕切っている料理長がアイリス達のもとへとやってきて、にかっと歯を見せて豪快に笑った。
「いやぁ、助かったぜ。何せ、料理は出来ても戦闘は出来ねぇからよ」
「いえ、皆さんがご無事なら良かったです。……でも、また魔物が侵入してくる可能性もあるので、食堂全体を結界で覆っておいた方がいいかもしれません」
「そうだな、まだ夕食の下ごしらえも終わってねぇし……。とりあえずは様子を見て、ここから出ないようにするさ」
すると、料理長の男は突然、アイリスとクロイドの肩を大きな両手で、がしっと掴んできたのである。
「おい、お前の名前は?」
料理長は大きな手でクロイドの肩をしっかりと掴んだまま、何故か名前を訊ねてきたのである。
「え……。く、クロイド、です」
突然、名前を訊ねられたクロイドは料理長の探るような瞳に少し、怯んでいるのか顎を軽く引いていた。
「よし、クロイドだな。好きな料理は?」
「え? えっと……サンドウィッチ、ですかね」
何故、料理長はクロイドに好きな料理を聞いているのかと思ったが、今度はアイリスの方へとその顔を向けて来る。
「アイリスは? お前の好きな料理は何だ」
「へっ? ……アップルパイです」
咄嗟にアップルパイと答えたが、好きな料理を聞かれる意図が分からず、アイリス達は首を傾げたままだ。だが、目の前の料理長はアイリス達から好きな料理を聞くとにやりと楽しそうに笑っている。
「――アイリス、クロイド。今度、お前達の好きな料理を作ってやるよ」
「え……」
「助けて貰った礼だ。ちゃんと食べに来いよ? 大量に作って待っていてやるからな」
まるで歳の離れた兄貴分のように料理長が再び歯を見せて、アイリス達に笑顔を向けて来る。
自分達はただ、やるべきことをしただけなので、お礼をされる程のことをしたわけではない。だが、料理長の男は助けられた恩があると言わんばかりの表情で二人に笑顔を向けたままだ。
アイリスとクロイドは一度、お互いに顔を見合わせて、それから料理長に向けて頷き返した。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
「今度、料理を頂くのを楽しみにしておきますね」
「おうよ!」
返事と共に料理長は二人の背中を同時に叩いてきたが、その反動でアイリス達の身体は少し前のめりになった。
その力強さは想像以上のもので、戦闘に関する魔法が扱えなくても、腕力だけで魔物を討伐出来るのではと思ったが何も言わないことにしておいた。
「では、私達は他の魔物を討伐しに行きますので……。皆さん、くれぐれも気を付けて下さいね」
「おう! 来てくれてありがとうな!」
「アイリスちゃん、またねぇ~」
「今日の夕食、お楽しみに!!」
魔物という危機が去った今、調理員達は夕食の下ごしらえを始めるつもりなのだろう。
気持ちの切り替えの速さには驚くが、それでもすぐに自分達の仕事に取り掛かる姿勢はやはり教団に属する人間なのだと改めて思う。
受け持つ仕事は違っても、それぞれの仕事に対する姿勢は真摯だ。きっと、人それぞれが持っている仕事に対する想いや矜持に、大きな違いはないのだろうと思った。
アイリスとクロイドは手を振ってくれる調理員達に軽く頭を下げながら、彼らに背を向けて、次の魔物を討伐するために食堂から足早に去った。




